幕間 白草米徳の郷土史覚書 1994.10.20.

・猿の神さまとおみつきさん/提供者:古老のYさん

 先生、猿の神さまってご存じですか。猿の姿をしとんやないです、猿が大事に大事に拝んどる神さまですわ。〝ねねさま〟っちゅうんです。

 もう年寄りでも、知っとるもんは少のうなったけど。昔は七守ななかみの辺りには、ごうおばけみたいな不思議な獣がほらあ多うてね。


 金縛りをかけるネズミやら、一家を祟り殺した大王猫やら、ハジキキってのもおましたなぁ。カラスは死者と話せるさかい、クチバシからお告げをもらう、でハジ聞き、ですわ。もうほんなんやる人も、おらへんと思うけど。

 ええ、ここら辺も合併ですっかり変わってしもうて。


 ほいでね、なんで七守に不思議な鳥や獣が多いかっちゅうたら、あら全部神さまなんですわ。神さまの使い? まあそうとも言いますけど。

 使いのもんやったら、神さまを拝んでるっちゅうことやろうな。

 そんでわしが知っとるんは、猿ですわ。山の神さま〝ねねさま〟を、猿たちは朝な夕なに拝んで、供え物を人の畑から盗んでいきよるんです。


 それを邪魔したり殺したりしたら祟りにあういうて、そらかなん困った話やろう。ほんでにそうだからあそこらへんは、やっていけんようになったんや。

 どこが? 先生もご存知やろうに、まあええでが。崩艮くえやまですよ、ねぶら筋やらまどお筋やら呼ばれて、とっくのとうにうなった。


 なんでそうなったかって?

 仲間を殺された猿たちは、当然腹の虫が収まらん。ほんで神さまに、どうぞ天罰を下してくださいいうて祈って、〝ねねさま〟が聞き届けたんやろうな。

 それで実際、大凶作になったとか。天保の大飢饉? そうやでえ、そのくらいの時代には、なんべん何度かおんなじようなこと、あったんやないですか。


 で、猿の神さまはずーっと人間に祟り続けよるさかい、こらかなわんて、崩艮くえやまの人らも許してください、堪忍してください、って〝ねねさま〟を拝むようになりまして。猿たちに言われるまま……いや、ほんまに口きいたかは知りませんが、あれをよこせ、これをよこせと。はいはいと芋あわひえに大根、酒やら卵やら貢いだ。


 まあすると、どんどん調子乗りよったんや。しまいに食うから人間よこせやって、なんぼなんぼでも、崩艮くえやまの連中も、もう我慢ならんって。

 それで七つの村々から「犬貸いせたい貸しておくれ、犬貸いせたい」と集めて、猿どもにけしかけたんですわ。


 猿どもは噛み殺されたり、追い立てられたところをくわやらすきやらでたたっ殺されて、ほうほうのていで逃げたそうです。

 だけどそれがあかん良くなかった。人間どもが反乱して、拝む猿がおらんようになったから、〝ねねさま〟も本気で業沸いた腹が立ったんでしょうな。


 合歓ねむせきってあるでしょう、あそこの白重川しらえがわが氾濫して、村の半分を飲みこんでしもたって。溺れる村人を、猿が木の上からニヤニヤわろうとったて。

 そうです、猿が憎たらしい顔で笑ったって、聞かされたんよ。そりゃよぞくろしい恐ろしい眺めだったでしょうなあ。


……お気づきなんやないですか。

 犬を出した七つの村々がまつぼったまとまったのが、七守道ななかみどうなんです。まあ近いんやさかい、そら当然やろうが、なんて言うんですかね。

 この七つをいっしょにしたのは、一蓮托生、あんたらも共犯やで、ということにしたかったのかも、なんて思いますやん。

 まあ、やったらもっと早う合併しとったかもしれまへんが。ははは。


 今でも白重川の近くに、小さいお堂が建ってんでしょう。〝ねねさま〟を鎮めるため、結局差し出された人柱の供養ですよ。

 その話自体は、若い人でもよう知ってるみたいですけど。最初は猿どもを殺したせいだってのは、今じゃすっかり忘れられてしもうて。何でやろうねえ。


 猿を殺して、人柱を立てても、祟りは続いた。ねずらわしやら、ねむらわしやら……〝ねねさま〟に祟られた子孫が、ねぶら筋の人たちっちゅうことです。


 つきものすじ? 何ですか、それ。

 ははあ、そんなよぞい恐ろしいもん、この辺りでは聞いたことあらへんですな。ねぶら筋には死んだ猿が憑いとるとは聞くけど、祟られとるだけです。

 ねぶら筋の崩艮くえやまうなって、あの家の人らは今どこにおるんやろうな。まあ、〝ねねさま〟に祟られとるのは七守ななかみのほとんどがそうやったけど。


 やっと収まったのが、どっかから流れてきた若い彫師ほりしが居着いてからですなぁ。彫刻やのうて、刺青を彫るほうです。〝おみつきさん〟と呼ばれてました。

 何やらぐるぐる渦を巻いた、金ぴかの目をした不思議な男でしたわ。

 で、刺青を彫って祈祷やお祓いをするっちゅうんですが、祟りでにっちもさっちもいかなんだ村の衆は、飛びついた。


 するとてきめんに効いたもんやさかい、後は我も我もと先を争うての騒ぎです。わしは子供やったさかい入れてまへんが、親父も爺さまも彫ってもろうた。

 ヤクザもんが入れてるのとはちゃう、見たことのあらへん模様をしてましたなぁ。色んな線があっちゃこっちゃ迷路みたいに絡まっとって、漢字を崩したような。花や鳥の絵もあって。


 それからは、病気や不幸があると〝おみつきさん〟を頼る頼る。みんなすっかりありがたがって、神主さんやごえんさんお坊さんに煙たがられてましたで。

 今思うと、新興宗教ですな。

 人がどんどん集まって、気ぃつくとその男……柊っちゅうたかな。が教祖みたいに担がれて、なんたらいうややこしい名前を掲げた集団になってましたよ。


 それも二代目のころには下火になって、三代目は彫師の仕事だけ継いで、教団は畳んだ。もしかしたら、まだ七守道に住んどるかもしれまへんな。

 しかしねえ、先生。こうして話しとって今さらわしも思うんですけど、〝ねねさま〟はどうなったんやろうな。猿は今でも七守におるし、人間を祟るのは諦めて、静かに拝まれとんでしょうか。やとしたら、助かるんですけど。


[メモ]

・古老のYさんから非常に興味深い話が聞けた。神を、宗教を持つ猿!

 ならば同族の葬儀を執り行うのも納得だ。それはもはや、人間とどれほど違うというのだろう? 類人猿と呼んでも差し支えないかもしれない。

 しかし、いかに七守が閉鎖的な地域だったとしても、陸の孤島ではない。

 ホモサピエンスに滅ぼされることなく、こんな本州の片隅でそのようなものが生き残っていたとは考えにくいだろう。


・可能性としては、「猿」とは差別され、人間扱いされなかった山の民ではなかろうか。山子というものもある。だが、このことは慎重に調べた方が良い。


・気になるのは犬に襲わせたくだりだ。「生け贄を要求する大猿を退治した」人身御供譚の典型的類話に見えて、退治には失敗している。

 それに、このような話で犬を連れてくるのは、共同体の外側からやって来た異人(旅人)の役割りなのに、この話では村々が協力して事にあたっている。

〝おみつきさん〟が異人に当たるとも考えられるが、では、なぜその方法が刺青という手段なのか。疑問は尽きない。


・植物の柊は別名を「鬼の目突き」「鬼の目潰し」という。〝おみつきさん〟の語源はおそらく、鬼の目突きが変化したものだろう。しかし「ぐるぐる渦を巻いた、金ぴかの目」とはいったい?


●〝ねねさま〟について。

・有名なのは、重要文化財指定されている大太刀・祢々ねね切丸きりまるの由来であろうか。

 栃木県日光にっこうさん系の鳴虫なきむしやまには、「ネーネー」と鳴く虫の妖怪〝祢々ねね〟が住んでいた。ある日、拝殿に収められていた大太刀が自ら抜け、山を越え、川を越え、沢を駆け上って逃げる祢々をどこまでも追い詰めて斬り殺し、鞘に戻ったと言う。


・この時、祢々が逃げた沢は〝ねねが沢〟なのだが、当地の方言で祢々とは河童のことと言う説ある。河童といえば、西日本を中心に「秋の彼岸に山へ入って山童やまわらとなり、春の彼岸に川へ入って河童となる」と伝えられる妖怪だ。

 山童はすなわち山の精霊、山神の使いである。であれば、ねねさまとは祢々/河童であるかもしれない。問題は、関東の栃木と関西の七守道は遠すぎることだ。


・他の仮説として、ねねさまとは神仏を呼ぶ幼児語〝ののさま〟から来ているのかもしれない。これは幼稚園の仏教童謡『ののさまのうた』などに登場する。

 地方によって〝のんのんさま〟、〝のんのさま〟、そして〝ねんねさま〟というバリエーションがあることを考えれば、〝ねねさま〟がここからの派生である可能性は高いだろう(「ののめく」は関係がなさそうだがここにメモする)。


・辞書を引けば、「のの」とは「日・月・神・仏など、尊ぶべきものを指していう幼児語」とある。もし宗教を持つ猿などというものがあれば、その神をののさま=ねねさまと呼ぶのは、自然なことではなかろうか?

 仮に名付けるなら「禰々之ねねのみこと」「野之ののみこと」といったところか。

・なお鳥取県境港さかいみなと市で信心深い人をさす言葉に「のんのん婆」というものがある。これは観世音菩薩=観音様=のんのんさまと呼んだことに由来し、拝み屋のことでもあるそうだ。のの、ねねという語はやはり神仏とのつながりを強く感じさせる。

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