第2戦【カタブツな女】

春の過ごしやすい気候から一転、じめじめと陰鬱な季節がやってきた。

朝だというのに既に曇っている。今日も天気は優れないようだ。


ここ最近は配信活動に専念していたため生活習慣が地に落ちていた。案の定、気持ちよく寝付くことはできず、瞼を擦りながら洗面台に向かう。

鏡の前で何度も身だしなみを確認し慣れないネクタイを締めたら、顔を叩いて気合いを入れる。


「よし!今日から新しい高校生活だ。だが気をつけろ俺……視聴者は日に日に増えてきているんだ。ボロでも出して俺の正体がバレてみろ。校長から許可は得ているが高校生活が過ごしにくいったらない。なんとか2年間隠し通して卒業だ」


スマホのボタンを押して時間を確認する。

そして高校までの経路を確認する。幸い、総一郎は昔この近くに来たことがあった。幼い記憶だが、なんとなく頭に残っている。


「そういえば昔、オフラインの大会があった時にこの辺りに来たな」


5年ほど前、まだランドセルを背負っていた頃の話だ。当時の記憶が蘇ると、必ず脳裏に浮かぶ『ai』の2文字。かつてオンラインゲームをプレイしていた時に仲良くなった、ネット上のフレンドの名前。周りがゲームのプロだなんて……と嘲笑する中、唯一親身になって相談に乗ってくれた人物だ。


競技シーンから身を引き、しばらくネット断ちしていた間に連絡がつかなくなってしまった。


「笑えるよな、もうあれから5年だぜ。なのに、顔も見たこともないお前のことを俺は未だ一途に想ってる。我ながら全く、どうかしてるぜ」


スマホのアルバムに保存されている彼女とのゲームの記録の写真に、総一郎は独り問いかけるのだった。


「なぁ、いま何してる? 俺の配信、結構人気になったんだぜ」




自転車に跨り、生温い風を浴びながら目的地を目指す。

流石は東京、色んな制服を着た学生がわんさか歩いている。入口の生徒指導らしき教師に挨拶し、校長室に向かう。まずは自分を拾ってくれたことのお礼だ。


「失礼します。今日からお世話になります、財津と申します」


ノックの後、ドアを開くと後ろ向きだった椅子がクルッと顔を向けた。


「財津くん、待っていたよ。その声、配信で聞くのとは少し違うが、『筑前煮キング』で間違いないみたいだね。ようこそ、我が橘高校へよく来てくれた」


「その名前で呼ぶのはよしてください……。校長先生こそ、こんな腫れ物を受け入れてくださってありがとうございます」


「なにを言っているんだね。推しが困っていたら手を差し伸べるのがリスナーの役目だよ。さあ、君のクラスは2年1組だ。皆が待っている、行ってきたまえ」


橘高校の校長は40代後半と言ったところか、スラっとした体型と甘いマスクで若い頃は相当女性から人気があったことが窺える。

お言葉に甘えて、総一郎は校長室を後にした。既にホームルームは始まっている。3階まで階段を上がり、生徒のいなくなった廊下を歩く。


コツコツと響く靴音が、自身の心臓と重なるようだ。そして、遂に1組の前まで来た。担任の先生からお呼びがかかったので、意を決して扉を開ける。


「今日からここで1年間一緒に過ごすことになった財津 総一郎です。よろしくお願いします」


自己紹介とともに礼をすると、拍手が飛び交った。

女子じゃないのかと落胆の野次が聞こえたり、ジロジロと見定めるように見てくる生徒もいる。


「じゃあ財津くん、あの後ろの席に座って。杉本さんの隣ね」


丸メガネの担任から指差されたのは、教室の向かって右端。黒髪を真っ直ぐ伸ばした、大人しそうな女生徒の隣の空席だ。


視線を感じながらも指差された席へ。杉本なる隣人は、これっぽっちも顔を合わせようとしてはくれない。


(ずっと俯いてんじゃねえか。どんな顔かも分からん、まあいいか)


1時間目は数学。担任の受け持つ授業だったので、ホームルームの流れでそのまま授業が始まった。担任の授業が特別退屈な訳ではなかったのだが、如何せん昨夜の配信が響いている。酷い眠気に襲われるのを、腿を抓ることでなんとか堪えている。


(おいおい、初日から寝るのは流石にマズいよな。隣の席の女子は話しかけられるような雰囲気の奴じゃないし、前の席の奴は寝てるし。真面目に授業聞こうにもなんも頭に入ってこねえ)


そんなことを朦朧と考えている矢先、クラスの皆の視線が突き刺さった。


「じゃあこの問題、財津くんいってみようか」


(……ッ俺かよ!)


担任からの突然のご指名に、慌てふためく総一郎。先程まで夢の世界と行ったり来たりの彼に、解けるハズはない。


視線が突き刺さる。流れる沈黙。転校生に対して膨らむ期待。


マズいッ!


(そういえば隣のコイツ、ずっと集中して授業聞いてたな。ええい、万事休すだ。とても仲良くなれそうなタイプじゃないが、背に腹は代えられん。とりあえず答えだけ教えてくれりゃいい)


総一郎は身体を隣にすり寄せ、先程から見向きもしない杉本なる女に声をかけた。精一杯、申し訳なさそうに声を作りながら。表面上の謝罪や礼なんて配信で死ぬほどやっている。少しばかり筑前煮キングのご登場だ。


「あの~杉本さん……でしたっけ。いきなりごめん!どの問題だっけ、できれば答えも教えてくれれば助かるんだけど。ハハハ……ちょうど聞いてなくてさ」


総一郎、決死の頼み込み。前の学校でもこんな感じで乗り越えてきた。世渡りの上手さには自信がある方だ。


だが、総一郎の予想は大外れ。この杉本、一筋縄ではいかない。

長い黒髪を掻き分けて、ようやく顔の全貌を見せたと思ったら、虫でも見るような非情な視線を浴びせるのだった。


「聞いてないのは自業自得です。恥かいて反省してください。私からは代わりに消しカスあげます、捨てておいてください」


「んなッ……消しかs」


彼女は言葉通り、なんの躊躇もなく灰色の消しカスをパラパラと総一郎の手に零す。

踊る消しカス。消しカスも嘲笑している。消しカスは彼女の味方だ。

目をひん剥いた総一郎は鬼の形相で睨んだが、彼女は動じない。

そうこうしている間にタイムアップだ。担任から催促がかかる。


「財津くん、答えはまだかい?」

「すいません!聞いていませんでした!」

「素直でよろしい、まだ浮かれているのかもしれないけどメリハリはつけないとダメだよ。罰として宿題、問題集の32ページまでの問題を全部明日までに解いてきて」

「うげっ!?」


クラスに巻き起こる爆笑の渦。一気にクラスメイトとの距離が近くなった気がした。

なんだかんだ、これはコレで良かったのかもしれないと思う程、クラスの皆は笑ってくれた。一番近くで現場を見ていた隣の鉄仮面以外は。


(ウケたのは結果オーライだが、宿題なんてやってる暇ねえよ。今日も配信の予定があるっていうのに。……にしてもこの野郎、人の心とかねえのかよ)


澄ました顔でノートを取り続ける彼女を横目に、総一郎は溜め息をついた。





総一郎の橘高校での初日の授業が全て終了した。

教室からは部活やらバイトやらで瞬く間に人が減っていく。

そんな中、隣の杉本は帰る気配がない。


(なんだコイツ、授業が終わったってのに。椅子にアロンアルファでも塗布されてんのか?)


配信の予定は20時から。それまでに数学の宿題とやらを済ませておきたい。

知らぬ間に教室に残ったのは総一郎と杉本の2人。

総一郎の方から、数学の宿題を手伝ってくれと切り出そうとした矢先、彼女の口元が細かく震えた。


「自己紹介が遅れました、私は杉本 瑞樹。財津くん、突然ですが私の方から質問があります。コレを見てください」


突然ペラペラと喋り始めたので身構えたが、彼女はなにやらスマホを操作してとあるページを開いた。見覚えのあるロゴの動画投稿サイトだ。


(コイツ、俺に何を見せようってんだ)


「私が敬愛しているゲーム配信者さんに、財津くんの声が凄く似ているのでまさかとは思うのですが……」


そう切り出した彼女のスマホには、間違いなく『筑前煮キング』のページが示されていた。チャンネル登録はおろか、有料会員ではないか。筋金入りの筑前ズ。

総一郎は卒倒しそうになった。編入初日、こんな身近に出会うことになるとは。


「誰だよこれ、変な名前だな」

「やめてください、相変わらず失礼な人ですね。知らないならいいんです、安心しました。財津くんみたいな方がキング様なハズないですよね」


(キング様……)


総一郎がしらを切ったことに関しては疑う様子はない。

随分な言い方をされたのに反論できないのはもどかしいが、深く詮索してこないのは好都合だ。


「キング様が昨夜、明日から早起きになるとか、この前も引っ越しで1カ月ほど休養するとか言っていたので、まさかまさか、あり得ないですけど、本当にあり得ないんですけど、財津くんかもしれないぁと思っちゃったり!」


顔を赤らめて早口で捲し立てる瑞樹。数学の授業で観た鉄仮面とはまるで別人だ。


「そんな偶然ある訳ねえだろ、お前って賢いのかと思ってたらやっぱりアホだな」

「……んなッ!」

「そんなことよりホラ、数学の宿題手伝ってくれよ」

「断固として拒否です!私は帰ってキング様のアーカイブを視聴する用事がありますので!それでは失礼します!」


そう言って立ち上がると、彼女は黒曜石のような艶のある黒髪を揺らして、駆け足で教室を後にした。完全に彼女が去ったことを確認すると、大きく深呼吸する。


「あぁ、緊張した。あの野郎、本当に心臓に悪いぜ」







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