ぼくは、変身人間。

山本田口

第1話 動物の体を持つ少年。

 ぼくの名前は、中村慎一、十七歳の高校二年生。至って普通の高校生……

では、ないのです。ぼくの体に、10匹の動物を飼っている。

精神を集中させることによって、いろいろな動物に変身できる

いわゆる、変身人間なのだ。そんな、普通の人間ではなくなったのに、

普通に生活しているぼくの話を聞いてください。


 ぼくの父は、世界的に有名な生物学者で、今もアメリカで研究を続けている。

母は、ぼくが幼い時に亡くなったので、ほとんど記憶もない。

そんなぼくを、事もあろうか、父は実験台にしたのだ。

 アメリカでどんな研究をしているのか知らないが、突然、帰国すると、ぼくの体を使って生体実験をすると言い出した。もちろん、最初は、拒否した。

いくら実の父親とはいえ、息子の体を実験台にするなんて酷すぎる。

 でも、ぼくは説得に弱い。押しに弱いのだ。結局、押し切られて、

渋々承諾してしまった。

高校生になったばかりの頃だった。入学早々、ぼくは、実験台として、学校から帰ると毎日欠かさず実験台になった。だから、クラブ活動はしていない。

放課後は、帰宅して実験に協力しないといけないので、当然のように友だちも

いない。それでも、ぼくは、父のためと思い協力した。

もちろん、実験は、簡単ではなかった。苦しい思いもした。つらい思いもした。

もしかしたら、失敗するかもしれない。失敗したら、どうなるんだろう……

ぼくは死ぬのかな? そんな不安と戦いながらも、一年間がんばった。

 自宅の地下室で父と二人だけの実験だった。他人から見たら、狂気の沙汰と

しか見えないだろう。

このぼくでさえ、どんな実験なのか、詳しくは教えてもらえなかった。

いったい、ぼくは、どうなるんだろう…… そんな不安を抱えての実験だった。

 そして、一年後、ぼくは、無事に完成した。失敗しなくてよかった。

それしかない。

父は、満足して、ぼくに説明してくれた。でも、それは、驚くべき事実だった。

ぼくの体をこんなにした父を恨んだりもした。でも、時間がたつにつれて、

そんな現実を受け入れた。


 それじゃ、どんな体になったのか?

ぼく自身の体の中に、いろいろな動物の細胞を組み込んだ。それによって、

その場に応じて、精神を統一すると、その動物に変身出来ると言うものだ。

と言っても、完全に変身するわけではなく、その動物の一部が体から飛び出すと

言ってもいい。

 まず、耳にウサギの細胞が組み込まれた。なので、耳を澄ませば、遠くの方

までの音や声を聞き分けられる。

目は、トンボなので、遠くから近くまで、すべてを見渡せるくらい視力がいい。

鼻は犬。嗅覚が敏感になって、どんなニオイでも嗅ぎ分けられる。

首がキリン。精神を統一すると、首が伸びて、高いところから下を見渡せる。

背中には、鷲の羽が生えて、自由に空を飛ぶことが出来る。

胸には、ライオンを飼っている。なので、体が頑丈になって、ライオンを

呼び出すと、何でも食べてしまう。

右手がゴリラ、左手が熊になる。腕力だったら、誰にも負けることはない。

下半身と足は、チーター。本気で走れば、オリンピックの金メダルも夢じゃない。上半身は、イルカ。背中から背びれを呼び出し、水の中でも呼吸ができて、誰よりも早く泳げる。

 以上、10匹の動物をこの小さな体の中に飼っている。

精神を集中させると、その動物を呼び出すことが出来て、体の一部が変身する。

それを自由に使いこなすまで大変だった。

 当たり前だが、普段の学校生活のときに、変身したらいけないので、常に気にして、自分の力を理性で押さえ込めていなければならなかった。

 熊なら熊、鷲なら鷲と、自由に呼び出せるようになるまで、時間もかかった。

それでも、一年かけて、ようやく自由に変身できるようになった。

 父は、この研究結果を持って、アメリカに戻った。

正直言って、変身人間になったものの、一人になってホッとしたのを覚えて

いる。

これで、きつい実験や練習から逃げ出せる。そう思うと、ホッとしたのだ。

 

 最初に言っておくが、変身人間になったからと言って、地球の平和を守るために悪の組織と戦うわけではない。

特別な力を持ったからといって、ヒーローになったわけでもない。

変身人間になっただけで、日常は、どこにでもいる普通の高校生なのだ。

 学校に行って、勉強して、帰宅して、食事して、寝る。それだけだ。

そして、父は、置き土産に、もう一人、ぼくにプレゼントしてくれた者がいる。

名前は、ウワン。生後一年未満の男の赤ちゃんだ。もちろん、ぼくの弟では

ない。

 父は、どこから連れてきたのか、男の赤ん坊もぼくと同じく、生体実験に

した。そして、脳手術をした。それが、どういうわけか、大成功したのだ。

たまたまだったのだろう。おかげで、赤ん坊でありながら、IQ800と言う超天才になった。つまり、超能力が使えるようになってしまったのだ。

 しかし、成長は、出来ない。一生、赤ん坊の姿のままだ。

常にゆりかごの中にいて、ふわふわと宙を飛んでいる。

食べるものは、ミルク。これは、普通の赤ん坊と同じ。違うのは、頭がよくて

超能力が使えると言うことだ。

 頭がよすぎるのも、困ったものだと思う。脳を活性化して、超能力を使うと

疲れるらしく一ヶ月のうち、15日は寝ていると言う生活リズムだ。

つまり、一ヶ月のうち、半分は寝たきりと言うことだ。

 このウワンをぼくのお守りとして、置いていったわけだ。

ウワンの話では、ホントは、ぼくに脳手術をするつもりだったらしいが、

人間としての理性と本能は残すと言う決断を下して、たまたまどこかの国から

引き取った赤ん坊に、脳手術をしたらしい。ウワンもいい迷惑だ。

ちなみに、ウワン自身は、どこの国の人間なのか知らないらしい。

 会話は、テレパシーで、直接ぼくの脳に話しかけてくる。

赤ん坊だから、言葉が話せない。

でも、ぼくの言葉は理解できるらしい。さすが、天才赤ん坊だ。

 そんなわけで、ぼくは、このウワンと二人暮らしが始まった。

ウワンは、月の半分は寝ているし、食事はミルクだけなので楽だ。

でも、肝心のぼくの食事が大変なのだ。何しろ、体の中に、10匹の動物を飼っている。

ウサギやトンボならまだしも、ライオンに熊にゴリラは、食事の量がハンパではない。

いくら食べても、お腹一杯にならない。毎回、食事は、10人前食べないと

いけない。

しかも、肉ばかりではない。ウサギやキリンもいるので、野菜も食べないと

いけない。

栄養のバランスを考えて、大量に食べないと、体の中の動物たちがうるさい。

なので、食事が一番大変なのだ。

 朝と夜は、ウチで作るからいいが、昼は、学校の給食なので、それでは足りない。だから、弁当を三個作って持っていって、人が見てない屋上などで食べる。

食費が大変なので、外食は出来ない。大食い大会とか、デカ盛りの食堂に

行っても、全然食事の量が足りないのだ。肉食動物をいくつも体にいるので、

とても人間の食べる量では追いつかない。

 もっとも、その分は、父の研究費から、出してもらっているからいいけど、

とてもじゃないが、高校生のぼくのお小遣いだけでは、これだけの動物たちは

養えない。

 こんな体になったものの、学校生活は、至って平和だ。

この体の特性を使って、なにかするわけではない。体育の時間もチーターの脚力をつかうこともしないし水泳の時間にイルカに変身することもしない。

 どこにでもいる、平凡な高校生なのだ。もちろん、この特殊能力のことは、

学校の先生にはないしょだ。友だちにも秘密だ。友だちもいないから、話す相手もいないけど…… 

このことを知っているのは、ウワンだけだ。

 平凡な学校生活だけど、ぼくは、それが好きだった。学校にいる間は、

特殊能力を使わずにすむ。

たまには、この力を思い切り使ってみたくなるときもあるが、そんなことを

したらどうなるかだいたい想像できるので、やめておく。

別に、宝の持ち腐れとは思わない。

こんな体にしたのは、父であって、ぼくが臨んでやったことじゃないから。

 普通に生活する分には、まったく問題ない。人付き合いが苦手なぼくだから、今更、友だちを作る気もない。

むしろ、余計な気を使わなくて済むので、それのが楽だ。

ただし、成績の方は、中の中くらいで、良くも悪くもない。

運動神経もある方ではない。もちろん、特殊能力を使えば別だけど。

 そんなぼくは、どこにでもいる高校生として、毎日を過ごしている。


 今日も特に何事もなく、一日が終わろうとしている。

これが退屈だとは思わない。ぼくのような体をしている人間は、普通が一番

なのだ。

とりあえず、帰ったら、夕飯を作らなきゃと思いながら、今夜のメニューを考えながら帰っている。

途中のスーパーによるために、交差点に差し掛かった。

何気なく横を見ると、ウチの制服を着ている女の子が目に入った。

 可愛いなとは思ったけど、顔と名前がわからない。こんな子が、ウチの学校にいたのか気になる。

これでも、一応、ぼくも思春期の男子なので、異性には興味はある。

彼女は、いないけど……

 信号が点滅して、もうすぐ、歩行者用の信号が青に変わる。

横断歩道を渡ろうとしているのは、ぼくと彼女以外にも、数人いる。

親子連れの母と小さな子供、ベビーカーに赤ん坊を乗せている母親、杖を付いている老人、スマホをいじっている若い男女などなど、もちろん、向こう側にも

同じくらいの人が信号待ちをしている。

 そんなとき、ぼくの耳がなにか異常な音を聞いた。ぼくの耳は、ウサギの耳

だから、遠くの方まで音が聞こえる。

その音は、車の異常なくらいのエンジン音だった。ものすごい音を立てて、

こっちに走ってくる。車の姿はまだ見えない。ぼくは、音のするほうを見た。

ぼくの目は、トンボなので、視力がいい。

周りの人には、見えないけど、ぼくには、見えるのだ。

 やがて轟音を立てた車が見えてきた。このままだと、交差点に突っ込む。

信号は、車側は赤だ。でも、ブレーキを踏む気配がない。運転手はどうしたんだ?

目を凝らすと、ハンドルに頭を乗せている。急病かなにかで、気を失っている

らしい。もしかすると、心臓発作ですでに、亡くなっているかもしれない。

 問題は、このままだと、ぼくたちがいるところに車が突っ込んでくることだ。

子供も老人もいるのだ。どう考えても、すぐに避けれない。

「危ない、車が突っ込んでくるから、逃げて」

 ぼくは、声を限りに叫んだ。最初は、びっくりするだけで動かない人たちも、車の姿を見ると慌てて逃げ出した。

さて、どうするか? ぼくの特殊能力を使えば、車の一台くらい、止めることは

簡単だ。だけど、周りの人の目が気になる。どう考えても、生身の人間が、車を素手て止めるなんて異常だ。

スーパーマンかウルトラマンしかできない。それを、ぼくのような学生が

やったら、どうなるだろう??

 しかし、そんなことを考えている余裕はない。隣にいる可愛い女の子に声を

かけた。

「同じ学校だよね。悪いけど、これ、ちょっと持ってて。それと、あっちに逃げてて、危ないから。それと、救急車と警察に電話してくれる」

 ぼくは、制服の上着を脱いで、彼女の返事も聞かずに持たせると、背中を

押して奥のほうに押しやった。

「さて、行くか」

 ぼくは、ワイシャツのボタンをはずして、車道に出る。

そして、精神を両手に集中させた。車が轟音を立ててやってくる。周りの人たちは、怖がって逃げているので目撃者を気にしなくてもいい。

万が一のときは、ウワンになんとかしてもらう。

 ぼくは、両手を前に伸ばすと、ワイシャツがちぎれて、右手が熊に、左手が

ゴリラの腕に変身する。

そして、胸からライオンを出した。ライオンは、雄叫びをあげて口を開ける。

 車が突っ込んできた。ぼくは、両手に力をこめて車を受け止めた。

車の前方に、ライオンが噛み付いている。ぼくは、少し押されて後ろに下がったけど、その程度だった。

やがて、車は、止まった。ドスンと言う音とともに、車の前輪が地面に落ちて

止まった。

「やっぱり、なんてことはなかったな」

 ぼくは、独り言のように言うと、運転席の車を開けた。開けたというより、

壊したと言う感じだ。

そして、中から運転手を引きづり出した。ぼくは、精神を開放した。両腕と胸が元に戻る。

戻っても、シャツはビリビリだ。だから、変身すると洋服代がかかる。

 ぼくは、運転手を抱いて道の脇に寝かせた。どうやら息はあるようだ。

ホッと息をついて、彼女を探した。そこにあった小さな店先で震えていた。

当然だろう。もし、そこに自分がいたら、どうなっていたか、それを思うと

怖いに決まってる。

 ぼくは、彼女に近寄ると、握り締めていたぼくの制服を返してもらう。

「悪かったね。ビックリしたよね。でも、このことは、ないしょだよ」

 彼女としては、いきなり、破けたシャツで上半身を裸のぼくが近寄ってきたら、怖がるのは当然だ。

ぼくは、制服の上着を着て、ボタンを嵌めながら、何事もなかったかのように、横断歩道を渡る。途中で、救急車とパトカーとすれ違った。

 別にいいことをしたとか、そんな気持ちにはならない。当然のことをしたとも思わない。これは、特殊能力が使えるぼくだけの自然の行動なのだ。

 回りの人たちは、ぼくよりも、倒れている運転手と止まっている車に視線が

集中している。

これなら、特に目撃者とかはいないだろうし、突然のことだから、携帯で写真を撮られることはないだろう。

「とりあえず、スーパーに行かなきゃ」

 ぼくは、そう言いながら、いつものスーパーに行って、いつものように、

大量の買い物をした。

何しろ、動物10匹分の食事だから、作るのも大変だけど、食べるのは、

もっと大変だ。

そういや、ウワンが言ってたのを思い出した。

『慎一、それは、人間の食事じゃなくて、動物のエサだぞ』

 確かにそうだ。なんだか、思い出すと、笑いがこみ上げてくる。

カゴを手にして、肉とか野菜とか、魚とか、とりあえず、考えずに放り込んだ。

 すると、いきなり声をかけられた。

「さっきは、ありがとう。キミ、同じクラスの中村慎一くんよね」

 交差点にいたあの彼女だった。

「そうだけど」

 同じクラスに、こんな可愛い子は、いたかな? 名前も思い出せない。

「買い物なの?」

「う、うん」

「なにを作るの?」

「特に考えてない」

「それじゃ、助けてもらったお礼に、あたしが作ってあげようか」

 いきなり、なにを言い出すんだ。ぼくは、ビックリして、手が止まった。

「あたしの名前、わかる?」

「……」

「やっぱり、わからないんだ。慎一くんらしいね。キミって、クラスの人に馴染んでないし、仲のいい友だちもいなさそうだもんね」

 ズバリ的中だ。だから、返事が出来ない。

「それじゃ、特別に教えてあげるから、忘れないでね。あたしの名前は、五十嵐美樹」

 そんな名前の女の子がいたなと、今頃になって、思い出した。

「五十嵐さん…… うん、覚えたよ」

「下の名前で呼んでほしいな」

「えっと…… 美樹さん」

「あたしは、慎一くんて呼んでるんだから、もっと親しみをこめて、美樹ちゃんでいいわ」

「それじゃ、美樹ちゃん……」

「ハイ、よくできました」

 なんだ、この展開は? いきなり、女の子の下の名前で呼ぶなんて、ぼくには、

あり得ない。でも、名前を覚えてなかったぼくの方が悪いのか?

「それで、なにを作るの?」

「何って、なんでもいいんだ」

「でも、この買い物って、なんかバラバラね」

「食えればいいんだよ」

 ぼくは、そう言うしかなかった。実際、そうだし。だから、ウワンにバカに

されるんだ。

「貸して、あたしが選んであげる」

「いやいや、いいから。たくさん買うから重いし、大丈夫だから」

 ぼくは、慌てて、カゴに大量の野菜を放り込んだ。

彼女は、黙って、ぼくの後について買い物を見ている。

 そして、レジに並ぶ。いつもの顔馴染みのおばちゃんが話しかけてくる。

「慎ちゃん、今日もたくさん買うわね。毎日、毎日、こんなによく食べるわね」

「食いしん坊がたくさんいるんですよ」

 毎日、これだけ大量に買えば有名になる。ぼくは、すっかり、このスーパー

では、お得意さんだ。

両手にズッシリくる食材を持って帰宅する。

「あたしも手伝ってあげる」

「大丈夫だよ。いつものことだから」

 彼女は、持ちたそうだったけど、とても重たすぎるので、それは出来ない。

ぼくの両手は、ゴリラと熊がいるので、この程度はなんてことはないが、

普通の人間では、もてない重さだ。特に、女の子なら、無理だろう。

「慎一くんのうちって、こっちなの?」

「そうだけど……」

「お家に行ってもいい?」

「イヤイヤ、それは、無理。悪いけど、ごめん」

 ぼくは、慌てて否定した。悪いけど、ウチに他人は上げられない。

ウワンがいるんだ。見られるわけにはいかない。第一、説明がつかない。

「残念…… せっかく、助けてくれたお礼に、料理を作ってあげようと思ったのになぁ」

「気持ちだけ、もらっておくから」

 ぼくは、なるべく普通に笑顔で言った。何しろ、女の子と話したことなんて、変身人間になってから初めてだから。

「それじゃ、ぼくは、こっちだから、さよなら」

「うん、バイバイ」

 彼女は、笑って手を振って、ぼくと逆方向に歩いていった。

ぼくも荷物を持って、帰宅する。さて、なにを作ろうかな……

 そう呟きながら、歩く足取りは、いつもより軽いような気がした。


「だから、真一は、バカなんだ。彼女の口から、秘密が漏れたら、どうする

つもりだ?」

「美樹ちゃんなら、大丈夫だって、信じてるから」

「なにが信じてるだ。彼女に会わせろ。ぼくの超能力で、記憶を消してやる」

「やめてくれよ。大丈夫だから」

 帰ってくるなり、ウワンに怒られた。ゆりかごを揺らしながら怒っている。

顔の表情はよくわからない。おしゃぶりを咥えて、小さな目は前髪で隠れているので、顔はよく見えない。

でも、テレパシーで送られてくる声の大きさで、怒っているのは、わかる。

 ぼくは、夕飯の支度をしながらウワンの相手をしている。

結局、今夜のおかずは、トンカツ五枚、キャベツ一玉、カツオ丸ごと一匹、

カレーライス五人前、トマト10個だ。

トンカツはともかく、カツオを捌くのが面倒だ。もう、面倒臭いから、ぶつ切りにして生で食べることにした。

「さて、いただきます」

 手を合わせて、楽しい食事だ。ウワンに言わせれば、エサを食ってるだけなんだが……

それでも、ぼくは、味わって食べる。味覚は、人間のまま残してくれた、父に

感謝しなきゃいけない。

これだけ食べても、胃袋が破裂することもなければ、お腹がパンパンに膨れる

こともない。

「こんな姿は、とても他人には、見せられないよなぁ」

 ぼくは、そう呟いた。確かに、こんな食事風景なんて、彼女には見せられない。

ぼくが食事をしている最中に、念の為にウワンはネットでさっきの交差点の

事故のことを検索していた。

それによると、事故を起こした運転手は、運転中に心筋梗塞を起こしたらしい。

すぐに病院に運ばれたので、命には別状はないのはよかった。

他に、通行人から怪我人もいないので、まずは、ホッとした。

 しかし、ぼくの姿を見た人もゼロではない。もしかしたら、変身した姿を写真に撮られて、ネットに晒されているかもしれない。

ウワンのことだから、そんなのを見つけたら、すぐに消してくれるから心配してないけど。

「ねぇ、ウワン、ワイシャツをダメにしたんだけど、新しいのを買ってもいいよね」

「しかたがないだろ。だけど、変身するたびにこれじゃ、服代が持たないぞ」

「わかってるけど、だからって、いちいち、裸になるわけにいかないじゃないか」

「何か、方法を考えてみよう」

 そう言ってくれたけど、そんなのどう考えても、思い付かない。

さすがのウワンでも無理だ。

ぼくは、食事を終えて、風呂に入る。後は、寝るだけだ。

ぼくにとって、寝るのが一番楽しい時間だ。体に飼ってる動物たちは、

よく寝る。

動物は、寝るのが仕事のうちだからなのか、毎晩、8時間以上は寝ないと、昼間が眠くなる。

 こうして、何とか、一日を終えることが出来た。


 翌日、ぼくは、いつものように学校に行く。教室に入って、自分の席に座る。

ぼくの席は、一番後ろの窓際の席だ。いわゆる、窓際族だ。ここが、一番の

お気に入りだった。

クラスの人たちにも、先生からも目立たない。ぼくは、いつも、ぼんやりと

窓から外を眺めているだけだ。

授業が始まるまでの間も、誰もぼくに話しかけてくる人はいない。

みんなは、それぞれ仲のいい人同士で何かしらのおしゃべりをしているが、

ぼくには、仲のいい人はいない。

もっとも、それは、煩わしくて面倒臭いので、一人のが楽だ。

 ふと視線に気が付くと、昨日の彼女と視線があった。

名前は、五十嵐美樹ちゃんだっけ?

ぼくは、彼女の名前を思い出した。ぼくの二つ斜め前の右に座っている。

そこが彼女の席なのか。それすら、今まで気が付かなかった。

 ぼくは、昨日のこともあるので、軽く会釈をすると、彼女は、立ち上がって

ぼくに近づいてくる。

なんか悪いことしたのか…… ぼくは、一瞬、身構えた。

「おはよう、慎一くん」

「おはよう」

 朝の挨拶か。ぼくは、心からホッとした。なにか言われるのかと思ったのだ。

「ねぇ、帰り、いっしょに帰ってもいい?」

「えっ?」

 ぼくは、驚いた。まさか女子から、いっしょに帰ろうなんて言われるとは思わなかったのだ。

もちろん、今まで一度もない。ちなみに、男子からもそんなお誘いは受けたことがない。

「ダメ? それとも何か用事でもあるの」

「イヤ、別にないけど……」

「それじゃ、帰り、校門で待ってるね」

 そう言って、彼女は、自分の席に戻って行った。

確かに用事はない。でも、今夜も毎度お馴染みのスーパーで食材を買って帰らないといけない。

またしても、大量の買出しを彼女につき合わせるのは、なんか申し訳ない気がしてくる。

 そして、先生が教室に入ってきて、授業が始まった。

一時間目、二時間目の授業は、滞りなく終わった。問題は、三時間目の体育の

授業だ。確か、今日の体育は、サッカーだ。走るのは、苦手なのだ。走っているときに、ちょっとでも気を許すと足が勝手に走り出す。

ぼくの足には、チーターの細胞が入っている。

動物界で、一番足が速いチーターだ。もし、ホントに走ったら、大変なことになる。

「参ったなぁ…… 見学しようかな」

 ぼくは、そんなことを考えていた。と言っても、そうもいかないので、

なるべく目立たないようにする。

体育の授業が始まった。ぼくは、なるべく走らないように校庭の中をとろとろ

しながら走る。

もちろん、味噌っかすで、空気のような存在のぼくにパスが回ってくるわけも

なく、何とか前半のゲームを終えることが出来た。ぼくは、次のグループが試合をしているのを座ってみる。

 何気なく横を見ると、女子は、隣のコートでバレーボールをしていた。

「女子は、バレーか」

 ぼくは、独り言のように呟いた。すると、コートから外れて、彼女が近づいてきた。

「慎一くん、なんで、走らないの?」

「えっ?」

 いきなり聞かれて、ぼくは、返事が出来なかった。

「ぼくは、運動は苦手だから」

「ウソ。慎一くん、ウソが下手ね。昨日は、あんなにカッコよかったのに、走れないわけないじゃない」

 ズバリ、ウソを見抜かれると、下を向くしかない。

だらしない男だ、ぼくは……

「ちょっと、訳があってね。だから、走らないんだ」

「どんな訳か、後で教えてね」

 そう言って、彼女は、バレーのコートに戻っていった。

なんか、放課後が心配になったきた。


 昼休みになった。給食の時間だ。だけど、ぼくの場合、給食だけでは、とても足りない。

なので、こっそり、弁当を持参している。しかも、ドカ弁で三個だ。

ぼくは、それを持って、こっそり屋上に行って、食べるのが日課だった。

雨の日は、体育倉庫で隠れて食べる。

こんな体になると、食事をするのもいろいろと気を使う。

 ぼくは、二個目の弁当を食べていると、屋上のドアが開いて、誰かがやって

きた。

こんなとこを見られるのは、まずい。ぼくは、慌てて弁当に蓋をして、

隠れることにした。

「あっ、慎一くん、見つけた」

 弁当を抱えて腰を浮かしかけたところで、声をかけられた。

「もう、教室にいなかったから、探したのよ。こんなとこで、なにをしてるの?」

 彼女に見つかったのなら、仕方がない。ここは、正直に言うしかない。

「給食だけじゃ、足りないから、弁当を食べてるんだよ。悪いけど、ないしょにしてくれないか?」

 ぼくは、そう言って、手を合わせた。

「いいわよ。でも、どんなお弁当なのか、見せてくれないし?」

「いいけど、見せるような弁当じゃないよ」

 確かにその通りだ。それほどオカズを凝って作るわけではない。

同じオカズの弁当を三個作るだけだ。ちなみに、今日のオカズは、から揚げ、

卵焼き、焼き鮭、ほうれん草のおひたし、ミニトマト、そして、定番の海苔弁だ。しかも、特大サイズのドカ弁だ。

今時、こんな大きな弁当を食べるのは、柔道部の人でもいない。

「それ、三つも食べるの?」

「まぁね」

「よく、そんなに食べられるわね」

「しょうがないんだ。ちょっと、事情があってね」

 ぼくは、少し笑いながら、弁当を食べ始める。

「そんなに食べて、よく太らないわね。見た目は、すごくスリムだし」

 普通は、これだけ食べたら、カロリーオーバーだろう。それに、食べすぎだ。

「でも、慎一くんて、おいしそうに食べるのね」

「そうかな……」

 ぼくは、思ってもいない感想を言われて、ちょっと照れた。

ぼくは、あっという間に、三個の弁当を平らげた。それでも、まだ、ちょっと

足りないくらいだ。

ぼくは、弁当箱をかばんにしまっていると、彼女が話しかける。

「慎一くんて、いつもここでお弁当を食べてたの?」

「そうだよ」

「なんで、教室で食べないの?」

「だって、給食以外のものを持ってきたら、先生に怒られるだろ。それに、

こんな弁当を見られるのは、恥ずかしいし」

「別に、堂々と食べればいいのに」

 そう言われても、そんなところをクラスの人たちには見られたくない。

そんなとき、タイミングよく、昼休みの終了のチャイムが鳴った。

ぼくたちは、急いで教室に戻った。そして、午後の授業が始まる。


 午後の授業も、滞りなく終わった。後は、買い物をして帰るだけだ。

しかし、今日は、この後に最大の難関が待ち受けているのだ。

校門で彼女が待っているはず。無視して逃げるのは、いくらなんでも失礼

だろう。

かと言って、買い物につき合わせるのも気が進まない。

どうやって、断ろうか考えるが、ちっともいい考えが思い付かない。 

 そんなことをぼんやり考えていると、すぐに校門に着いてしまった。

見ると、すでに彼女は、そこにいた。

「ホントに来てくれたね。てっきり、すっぽかされると思ったわ」

「そんなことは、しないよ」

「それじゃ、行きましょう。って、どこに行くの?」

「買い物だよ」

「昨日のスーパー?」

「うん」

 ぼくは、そう言って、ゆっくり歩き出した。彼女は、ぼくの隣に並んで歩く。

女子と並んで歩くなんて、きっと生まれて初めてだ。正直、ドキドキしっ放しだ。

 彼女は、はっきり言って、とても可愛くて美人だ。そんな可愛い女の子が、

どうして、ぼくみたいな冴えない男子に近づいてくるのだろう??

もしかして、からかわれているのか? ぼくは、そんな気がしてきた。

でも、彼女の優しそうな顔を見ると、とてもそんな悪気があるようには見えない。

 ぼくは、会話が続かないので、黙って歩くしかない。何を話していいのか

わからないからだ。

「今日は、慎一くんのお家に行ってもいいでしょ?」

「あぁ、イヤ、それは、その……」

「ダメ?」

「う、うん」

「どうして?」

「部屋が散らかってるから」

 ぼくは、まるで言い訳になってない言い訳をした。

「それじゃ、あたしが片付けてあげるわ」

「イヤ、それは、ちょっと……」

 どうする…… ここからどうやって、切り抜ける。何もいい訳が思い付か

ない。

「食事は、どうしてるの?」

「自分で作るんだよ」

「慎一くんのご両親は?」

「母親は、ぼくが子供の頃に病気で死んだんだ。覚えてないんだけどね」

「そうなんだ。悪い事を聞いちゃったね。ごめん」

「気にしてないから、いいよ」

「それで、お父さんは?」

「親父は、アメリカで仕事があって、ずっと留守にしてるんだ」

「アメリカで仕事をしてるなんて、すごいのね」

「別に、すごくはないよ」

 正直言えば、ものすごい仕事をしている。何しろ、変身人間を作り上げたんだから。

でも、そんな詳しい事情は、どうでもいい。今は、どうやって、彼女をウチに

来させないようにするかだ。

 そんな話をしていると、ぼくの体の中の動物的な感がなにかを教えた。

ぼくは、反射的に、彼女の手を引いて道の反対側に引き寄せた。

そのとき、彼女がいた場所に、上からなにかが落ちてきた。

見ると、それは、植木鉢だった。

「すみません。水をやろうとして落としちゃったの。ケガはないですか?」

 声の主を探して見上げると、マンションの上のベランダから声がした。

「大丈夫です」

「ごめんね、今、行くから」

 そう言って、ベランダの人が急いで降りてきた。

「大丈夫? ホントにケガはない?」

「ホントに、大丈夫ですから」

「でも、彼女の方が、驚いているけど」

 見ると、壁に寄りかかっている彼女が、顔面蒼白の状態で呆然としていた。

「美樹ちゃん、大丈夫?」

 ぼくが声をかけると、彼女は、首を縦に振った。

「よかった。もう、平気だから」

 ぼくは、壊れた植木鉢を片付けているベランダの人を横目に、彼女の手を

持って、支えるようにして立たせた。

「それじゃ、ぼくたちは、これで」

 ぼくは、ベランダの人に言って、彼女の腕を支えるようにして、ゆっくり歩き始めた。

少し歩くと、そこに小さな公園がある。小さな子供たちが今も遊んでいる。

ぼくは、そこに入ると、ベンチに彼女を座らせた。

「驚いちゃったね。少し、休んでいこうか」

 ぼくは、さり気なく言った。彼女は、俯いているだけで、何も話さない。

余程ビックリしたのか、黙ってしまった。そんな女の子に、なんて言ったら

いいのか、わからないぼくは、しどろもどろになってしまう。

どう考えても、まずい雰囲気だ。そのとき、彼女の口から、思いもよらない

言葉を聞いた。

「真一くんは、どうしてわかったの? どうして、上からなにかが落ちてくるのがわかったの? とっさに、私を庇ってくれたけど、どうして、そんなことが出来るの?」

 さぁ、どうする。どうやって誤魔化す。ぼくは、テレパシーを飛ばして、

ウワンに助けを求めた。しかし、まったく返事がない。

こんなときに限って、寝ているようだ。役に立たない、天才赤ん坊だ。

「カン、カンだよ、カン」

「ホントに?」

「そうそう、たまたまカンが当たっただけ」

 ほとんど冷や汗ものだ。これで、誤魔化せたとは思えないけど、とりあえず、今は、これで切り抜けられるだろう。

「あのさ、驚かせちゃったから、今日は、帰ったほうがいいんじゃない」

「でも、買い物が……」

「そんなの一人で出来るから。今日は、帰ってゆっくり休んでよ」

 ぼくは、そう言った。我ながら、百点のいい訳だと思った。

「うん、そうする」

 彼女は、小さく頷くと、静かに立ち上がった。

「送っていくよ」

「うぅん、一人で大丈夫」

「そ、そう…… それじゃ、気をつけて」

「うん、バイバイ」

「さよなら」

 ぼくたちは、そう言って手を振って別れた。彼女の去っていく後姿が、小さく見えた。

驚かせてしまったことは反省する。でも、あの場は、あーでもしないと、彼女が怪我をする。

まともに上から落ちてきた植木鉢を頭に直撃だ。大怪我しているだろう。

それを回避できただけでも、よかったと思うしかない。彼女の心境を考えると

心配になる。



 

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