まず乙若屋の娘、お京が殺された第一の事件から始まる。

 お京は二年前、須磨に連れ去られ、空蝉うつせみの術によって須磨に身体を奪われた。しかし須磨は、今度は三笠屋の娘、お美津をさらい、お美津の身体を乗っ取っている。

 お京の身体から須磨は消えたものの、お京は口封じのために殺された。致命傷が刀傷であったことから、おそらくは武士、限られるのは海野家の家臣、もしくは海野左衛門佐が自ら殺したということだ。

 第二の事件は、海野家の女中、お咲の殺しである。

 今まで絶対に死体は見れないと言っていた環游であったが、二の足を踏みつつ、吐きそうになりながらお咲の死体から絵を描いている。その絵をお咲の家族に見せたところ、間違いなくお咲であると断定していた。

 うたを攫った須磨たちが、うたは死んでいると思わせるために、お咲は身代わりとなって殺されてしまったのだ。

 どちらの事件も老中に関係していて、とても同心が手を出せる事件ではないが……

 北町奉行所同心の及川貞之進は、お役御免を覚悟で捜査を名目に、老中屋敷にて左衛門佐と面会していた。

「恐れながら、この屋敷の中に、お咲を殺した犯人がいると思われます。それがしのような者に任せられないのならば、目付の方に筋を通して調べさせていただきたい」

 奉公人の出入りが自由でなかった海野家において、犯人が内部にいるのは間違いなかった。お咲と同じ女中による犯行ならば、同心でも捜査できるが、相手が武士となれば、目付に捜査を依頼しなくてはならない。老中の家臣を調べろと言って、目付は渋るに決まっている。だが、お咲を殺したのはお京と同様、刀傷から侍の仕業であった。

「その必要はない」

 にべもなく断られたのかと思ったが、左衛門佐は意外なことを言った。

「お咲の事件については、すでに調べがついている」

 刹那、男の断末魔が聞こえた。及川が声のした方に行くと、庭に血だらけの男が一人、倒れている。近くには血のしたたる刀を持っている男がいて、すぐに状況は把握できた。

「お咲を殺したのはそこに倒れている用人である。家臣の不始末ゆえ、当方で成敗させてもらった」

「…………」

「その方の出る幕ではない。引き取られよ」

 殺された用人が、はたして本当にお咲を殺したのかも定かにならないまま、事件は終わってしまった。

「せめてお美津だけでも無事に帰さなくては、誰も報われない」

 空蝉から解放されれば、正気に戻ることはお京からわかっている。須磨が簡単にお美津を手放してくれるわけはないが、何としてでも、お美津を救い、彼女たちをおとしめた須磨たちを断罪しなければならない。

 そして最大の謎は、盗賊に連れ去られたはずのうたが、薄雲一座にいることだ。

 盗賊は何のためにうたを連れ去ったのか……

(あの身のこなし……)

 盗賊は軽々と海野家の屋敷に侵入し、うたを連れ去るときも、しなやかな動きであった。まるで、技であったかのように。

「薄雲一座が盗賊なんだ」

「へ?」

 唐突な言葉に、伝吉は思わず素っとん狂な声を上げた。

「薄雲一座は軽業で有名なんだろう。しかも、アワノウタをうたう巫女の公演は、うたが薄雲一座にきてすぐに、演目が決まっていた」

「じゃあ、あの座長が盗賊で……」

「だろうな。少なくとも盗賊は、二人いることはわかっている。いつ子と環游の報告だと、座長には弟がいるとも言っていた……」

 薄雲一座が盗賊であったとして、なぜうたを攫ったのかは、まるで結びつかない。

「たしか、公演は今日からだったな」

 二人はすぐに、猿若町に向かった。

 薄雲一座の芝居小屋には、続々と人が入ってゆく。ちまたの噂は本当だったようだ。

 十手を携えて芝居小屋に入るのも気恥ずかしいと思っていると、よく見知った顔を見つけた」

「母上!」

 沙世だけではなく、隣には宿禰と兎之介もいた。

 宿禰と兎之介は、うたが薄雲一座にいる経緯いきさつを知っていたが、沙世は知らないはずだった。というのも、うたが記憶損失になってしまっていると伝えることができずに、沙世には行方不明のままだと仁助は何も言わなかった。

「ごめんなさい。うたちゃんのこと、聞いちゃったの」

「私が教えたのです。無事でいることだけは、どうしても伝えたかったので……」

 怪我一つしていなくても、うたは沙世のことを覚えていない。うたが悪いわけではないが、沙世にしてみれば、仁助たちと同様に、哀しい思いをしたことになる。

「うちの両親も、うたの帰りをずっと待っている。早く帰って来てほしいと、それだけを願ってるんだ」

 あるべき家族の姿だが、もし両親が自分のことを探していると聞いて、うたは驚いただろうか。早く彼女に、両親がどれだけ心配しているのかを教えたいと、誰もが願っている。

 一同はそろって、芝居小屋へと入った。すでに客席は満席で、仁助たちは後方での立ち見を余儀なくされる。

 開演前ともあって、まだ開け放たれている出入り口から陽が射しこんでいて、優に客席を見渡すことができた。

「旦那、あれ……!」

 こそと耳打ちした伝吉の視線の先には、兵馬と、隣には……

 仁助は懐から紙を取り出して、兵馬の隣に座る女の顔と見比べる。

「間違いない。お美津の顔だ」

 環游には殺された海野家の女中、お咲の他に、行方不明となっている三笠屋のお美津についても、家族から証言をもらって、絵を描いてもらっていた。

 その絵と見比べると、兵馬の隣に座る女はお美津に間違いなかった。正確に言えば、空蝉の術を使った須磨である。

「捕えますか」

「西崎さんがいるのでは、容易には捕まらないだろう。それに、須磨が空蝉の術を使ったことを白状しても、お美津の身体から出て行ってくれるとは限らない」

 下手に講じれば、お美津の前に身体を乗っ取っていたお京のように、殺されてしまうかもしれない。目の前に須磨がいても、捕らえることは得策ではなかった。

 仁助たちが歯噛みしている間に、公演が始まった。


——昔々、不思議な力を持つ巫女がいました。

 舞台上には巫女の姿に扮装した女がいるが、うたではなかった。

 巫女が怪異や疫病を、自らの力で解決する様を、華麗な軽業を交えながら物語は進む。

——ある日、巫女の噂を聞いた時の権力者が、巫女に自身を占ってほしいとせがみました。

 物語の時代が移ろうごとに、巫女を演じる人物もまた、変わってゆくようだ。複数の演者が、巫女を演じている。

 巫女は権力者に会い、占ったのだが……

——このまま己のほしいままにまつりごとをすれば、貴方は地獄に落ちる。

 巫女は占いの結果を正直に告げた。専横の激しい権力者は、自らの非をかえりみず、意に沿わないとして、不届き者よと哀れにも巫女を追放したのだった。それだけでは飽き足らず、巫女からすべてを奪おうと、巫女に従い共にいた仲間さえ、見せしめに殺してしまったのである。

——何もかも、焼き尽くしてくれる……

 仲間を殺されたとき、巫女は権力者に対して復讐を誓った。必ず、仲間の敵を討つと。

——罪のない人を巻き込めば、貴女も権力者と同じだ!

 生き残った仲間が一人、巫女の復讐を止めようとする。町を焼き尽くせば、巻き込まれる者は数知れず、仲間は巫女に、非道なことをさせたくはなかった。かつてその力で人々を救っていた、慈愛に満ちていた昔に戻ってほしかった。

 ここでやっと、巫女に扮したうたが舞台に登場した。

 巫女は復讐に囚われている。仲間の声も聞こえない。あまつさえ、巫女は邪魔をする仲間を呪い殺そうとした。

——アカハナマ、イキヒニミウク……

 それは呪いの言葉だった。

 けれど仁助たちは、うたの唱えたアワノウタが、呪いの言葉ではないことを知っている。心が浄化されるような、神秘的な言葉だ。

 呪いをかけられた仲間が、高所から落下する……

 巫女は目を塞いだ。

——こんなこと、望んでいなかった……

 殺したくなかったはずなのに、呪いをかけたのは己である。失ってから、思い出した。

 仲間が落下した場所は、客席からは物陰に隠れていて見えない。誰もが舞台に釘付けになった。

——思い出してくれたのならば、私は再び、殺されてしまった仲間の分まで一緒にいます。

 呪い殺したはずの仲間は生きていた。

 巫女が改心したことで、呪いの言葉は救いの言葉になり、仲間はすんでのところで助かったのだった。

 巫女と仲間は行く当てのない旅に出る。そこにかつての仲間たちはいないが、いつか死後の世界で会うまで、想いだけは変わらないように。

 舞台は幕を閉じた。異色の芝居に圧倒されながらも、観客たちは皆、薄雲一座の軽業や、巫女の行く末に拍手する。舞台は大成功を収めた。

 だがこの後、薄雲一座が舞台に上がることは、二度となかった。


 舞台が終わった後、一座の者は達成感やら疲労感で、くたびれていた。

 軽業は披露していないとはいえ、アワノウタを唱えただけのお蓉も、緊張が弛緩して、あとには疲れが押し寄せていた。無事に終わってよかったと安堵あんどの息を漏らすと……

「どうして科白せりふを変えたの?」

 女の整った顔が、冷たい眼差しでお蓉を見つめる。

 お蓉は女に見覚えがなかった。忘れてしまった、誰かである。

「言うことを聞かない子は嫌いよ」

 どうして女が科白のことを知っているのか。土壇場で変更した科白なのだが、もしや月臣がアワノウタを教えてもらったという須磨という女が、目の前にいる女なのだろうか。

 疑問はあると言えども、とても問えるような雰囲気ではない。ましてや嫌いとまで言われてしまったのだ。

「須磨!」

 何をするためであったか、お蓉に伸ばした女の手を、織本がつかんだ。織本は須磨のただならぬ気配に飛んできたらしい。

 須磨は織本の手を振り払って、余裕に微笑んだ。

「この子に情が移ったのかしら。十二年前、一緒にいたいと言った貴方を止めたのは、意味がなかったみたいね」

「……お前は舞台を見て、何も思わなかったのか」

 須磨の顔から微笑みが絶えた。

「とても不愉快だったわ」

 身体をひるがした須磨は、興味を失くしたようにその場を去って行った。

 織本は難しい顔をしていて、お蓉を見ようとはしない。うたは思い切って、織本に尋ねた。

「十二年前、何があったんですか?」

「…………」

 その頃から自分と織本は知り合いだったのかと尋ねるも、織本は口を開かない。織本はどうして自分と話すときに辛そうな顔をするのだろう。これも尋ねたところで、教えてはくれないはずだ。

「俺が……お前を不幸にした張本人だ」

 会いたかった。どんな手を使ってでも……


 兵馬と須磨の動向を見張っていた仁助たちは、二人が舞台裏に入るのを見た。仁助の姿を見つければ、二人は逃げてしまうかもしれないと、小屋の中では環游が二人を監視している。

「うーちゃん、何もかも忘れちゃったわけじゃないみたい。この前ね、折り鶴を作ってたの。友達の月命日にはいつも作ってるって聞いたことがある」

 だからじきに記憶が戻るとは、医師ですら断言はできない。このまま記憶は元に戻らないという絶望の可能性も言えないが、うたが折り鶴のことを覚えていたことは、微かな希望だった。

 報告をするいつ子も、うたに忘れられた哀しみを隠しながら、彼女に接している。

「あと、薄雲一座は解散するんだって……」

「解散って……旦那、やつらは江戸からずらかるつもりですぜ」

 盗賊が一通り働いた後に、雲隠れするというのは、よくあることだ。仁助は盗賊よりもまず、うたのことが気になってしまった。

「うたはどうするんだ」

「うーちゃんも江戸を離れるって……行かないでって言ってるけど……」

 そうなれば二度とうたには会えなくなってしまう。

 不安が渦を巻き始めた頃、芝居小屋の舞台では、影臣が高所から落下し床に血を流すのを、うたが見下ろしていた。

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