第26話 緑色と古本と新書

 先輩はこの場にいるものの少女と話ができないのなら、少女と僕の二人きりのようなものだ。

 そう出かかった愚痴を飲み込んで、気まずさを覚える。

 暇つぶしというがこの場にあるのは本と埃くらいなもので、時間を経過させるに効率の良いものは一つも無い。

 だから僕は初対面の少女と会話を余儀なくされており、そのぎこちなさは目も当てられない。


「すきな食べ物は?」

「食に興味はない」


「好きな遊びは?ほらかけっことか、かくれんぼとか」

「人を見た目で判断してはいけない。私はそういう幼稚な事から卒業している」


「そ、そういえばこの前面白いことが起きたんだけど、」

「前振りから事故してる。話術を磨いた方が良い」


 さっきからこんな感じで少女はずっとそっけない応答しかしてくれない。

 これが暇つぶしに付き合ってほしいと言った人の態度かと思うと、腹が立ってしょうがない。

 子供の耐え症なんてこんなものだろうと思い、どうにか溜飲を下げている状態だった。

 

 そもそもこいつの言う通り、僕の話が面白くないことにも責任がある。

 人間関係構築が大の苦手で、極力避けてきた者の話術などQ&A戦法が限界なのだ。

 むしろエピソードトークをはじめようとした気概を褒めてほしい。


 自嘲と苛立ちを混ぜた感情に眩暈がして、眉間を抑えた。

「熱中症?冷やす物持ってこようか」

 と、心配そうに少女は首を傾げる。

 やめろそういう健気な面を見せるな、ますます自虐気味になるだろ。


 問題ないと不自然に口角を上げて笑ってみせる。

 少女は頷き、納得した。


「…………」

「…………」


 再び、沈黙が襲う。


「……じ、じゃあ趣味はなにかな?」

 静寂に耐え兼ねて、何度目かの質問を繰り出した。

 焦って無難オブ無難なことを言ってしまった……!

 僕たちはお見合いでもしているのか!?

  

 挫けそうになり、なんとか訂正しとうと口を開きかけて――

「しゅみ……」

 少女はなにか考えているようだった。

 今までにない好感触!

 

「私は……本を好んでいる。趣味と呼べるほど博識ではないが、読むのは好きだ」

「へえ。僕も読書は好きだよ」

「恐らくあこくと私とではジャンルが違う」

「ジャンル?あー、ここ古本――文字通りの古い本しかないもんな」

 少女は気まずそうに、首を縦に振る。


「よって、私はあこくの期待に沿える会話ができそうにない」

「ん?あー……古本ばっかのお前と新しめの本も読める環境にいる僕とじゃ会話が噛み合わないってことか」

 少女は黙っている。

「あんまりお兄さんを舐めるなよ。こちとら友人一桁、夏休みの予定ほぼ無しの究極完全暇人だぞ。古本の一冊や二冊読んだことあるわ……そうだな、最近だと」

 ぱっと思い出せたのは夏休み入る前、図書館で暇潰しに読んでいた小説だった。

 ――って題名のが」

 

 少女は身を乗り出して、こちらを凝視した。

 その目はさっきよりもずっと澄んでいて、輝いていた。

「それ、私も読破済み」

「そ、そうか。それは良かった、共通の話題が見つかったのは何より。けどちょっと離れて」

 少女はぐいと近づき、至近距離に顔を置いている。


「導入良かった。よく見る始まり方だったけど言い回しが上手くて、既視感と未知のあいなかをすり抜けていくような感覚がたまらない」

「たしかにな、刷られた年代からは考えられない良質な文だった。わかったから少し落ち着いて」

 近いなんてもんじゃない、息遣いが聞こえる距離になった。


「中盤の主人公の決意のシーン。綺麗事ばっか並べて腹が立ったが、それが意図的なものだって気が付いたとき鳥肌が立った」

「うんうん、あんまり受け入れられなさそうな展開だったけど面白くまとめてたな。お前の熱意は十分伝わってるから止まれって、」


「ラストの展開。静かに終幕していく雰囲気、登場人物の終わりゆく物語への思い、古臭くもあるが新鮮にも感じる爽やかさがたまらなかった。特に九八ページ、青年の一言がここにきて皮肉に聞こえてしまうギミックが素晴らしくて――」

「分かった!分かって!お前の熱量は十分に理解したから僕から離れろ!!お前はファーストキスを僕に奪われてもいいのか!?」

 唇か触れるか触れないか、すんでのところで少女は硬直した。

 ほんの少し顔を赤くして「興奮し過ぎた」と言って、元の距離に戻る。


 恥ずかしそうに申し訳なさそうに目を伏せ、

「一人で盛り上がってしまった。申し訳ない」

「別にいいよ、そうやって好きに話してくれたのは嬉しいし……距離感さえ間違えなければ」

「んむぅ、分かった。今度はあこくの好きな本の話が聞きたい、私の知らない小説でも構わない」

「僕の好きな本かあ。よし、じゃあ京都が舞台の愉快な小説の話を――



 小説の話で盛り上がり、時間は数分数時間と過ぎていく。

 好きなものの話になると少女はとても饒舌になって、いくらでも話してくれた。

 SF、ミステリ、ファンタジー、群像劇……ジャンルを問わず読むらしく、どんな本の話題だろうと少女は子気味よく返答してくれる。

 

「あ、もうこんな時間か」

 部屋の壁掛け時計は六時を過ぎている。

 大して遅い時間ではないが、朝から動き回ってきたことを考えると体力の限界も近い。

 それに、

「んむぅ……なに?あこくは帰るつもりか。嫌だ。もっとここにいるべき」

 少女は話し疲れて睡魔と戦っている。

 夕食時も近い、少女はここに居ることを快諾してくれたが、老人は――彼女の保護者にとっては迷惑だろう。

 

「嫌とか言うな。またいくらでも話してやる」

「……それもそうか。わかった。今帰路に立つ為の地図を書く。どこまで書けばいい」

「あ、ああ。駅まで頼む。さすがにあそこまでいけば分かるから」

「わかった」

 聞き分けの良さに動揺しつつ答えると少女は奥へと小走りで去ってゆき――しばらくして、紙切れとペンを持ってきた。

 

 本棚を机代わりにしてペンを走らせる。

 覗き込んでみると、少女は正確に一部の隙も無い地図を高速で書き上げている。

 なにも参考にせずこんな離れ業ができるのか……。


「すごいな」

「すごくはない。私には地の利があるし、土地勘もある。あこくの近所ならあこくの方が正確な地図が書けるはずだ」

「えらく謙遜するな。褒められたら、ありがとうって言えばいいんだよ」

 少女は少し黙って、

「あこくにはそうする。ありがとう」

 と、少し含みのある応えを返した。


「ん」

「ありがとう。これさえあれば迷わないな」

 丁寧に目印まで書き込まれた地図を無くさないようにポケットへしまい、


「先輩はどこにいるか分かるか?」

「多分……あそこ。誰もいないのに何度も本が崩れた」

 少女の指差した先には山積みになった本の上で寝息を立てる人物が。

 あの人なにやってんだよ。

 というか、

「いいのか、先輩本の上で寝てるけど」

「問題ない。あれらは廃棄予定の劣化と古さが著しい書籍。役目終えた本を、どんな風に扱ってもバチは当たらない」

「家主の家族がそういうなら、そうなんだろうけど」

「先に渡した紙切れもあれの一部」

「えっ」

 取り出すと確かにその紙は黄ばんでいて古さが伺える。

 裏側を見ると、確かに黒のインク染みが文字の形をして残っている。

「本当だ……」


 もう一度ポケットへ、今度は少し丁寧にしまった。

「おーい先輩、起きて下さい。そろそろお暇しますよ」

「んー……あと五分……」

「五分でその眠気が冴えるわけないでしょう。ほら肩貸しますから」

「んえー?おぶってよぉーー」

「そんなことしたら傍から見たら腰を痛めて変な体制になってる人になってしまうでしょ」

「いまさら人目を気にしちゃ負けだよぉ……、ね?いいじゃないですかー……」

 手を引っ張ってみるが、先輩は動くのが本当に嫌なようでだらんと手を上げるだけだった。


「分かりましたよ。じゃおぶるんで背中に乗って下さい」

「はーい、わーい、やったー」

 眠たげながら喜び、先輩は背中に飛び乗った。

 その瞬間ズシリと人間の重みが脚の先まで伝うと同時、確かに柔らかいそれが背中には当たった。

 ただまるで運動をしていない人間の体は興奮より先に痛覚を伝えるようで、

「うぐっ……お、重い」

「殺します」

「急にハキハキ喋りますね!?!?」

 そんなやり取りの後、よろけながら出入り口まで向かう。


「お嬢ちゃん、悪かったな。長居してしまって」

「問題ない……それより。あこくに言いたいことがある」

 引き戸に手を差したまま、顔だけ振りむいて少女の方を見る。


「私の名前を聞いてほしい」

「あーそういえば、聞いてなかったな。ごめんごめん」



「……私の名は、式彩七色」



 少女は暖色の電球に照らされながら、軽く唇を噛んでいる。

 深碧の――緑色の長髪が灯りに透けて、深い夜のように凪いでいる。



「あこくに、勝負を申し込む」


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