かにの日


 ~ 六月二十二日(水) かにの日 ~

 ※明哲保身めいてつほしん

  知者は、危険を避けて安全に過ごす。

  誤った用法だが既に一般的に、自分の

  身の安全だけを考えるという意味でも

  よく使われる。




 四時間目。

 先生の英語の授業。


 もう本鈴は鳴っているというのに。

 先生は教室内にはいない。



 ……そう。



 教室内にいない。



「保坂あああああああああ!!! 教室前に妙なものを作りおって! 何の真似だああああああ!」

「いいかげんにしろ。なぜ俺と決めつける」


 朝から準備を整えて。

 三時間目が終わった瞬間、クラスの全員で一斉に作業に取り掛かり。


 たったの十分で完成した一夜城。

 その名もお馴染み『脱出ゲーム』。


 教室に入るためには。

 正しい手順を踏まないと開かない。

 そんなドアを三つ突破しなければいけないのだが。


「……まあ、突破に二時間はかかるだろうな」

「先生は、どうして立哉くんばっかり叱ってるの?」


 必死で働く女子一同の中から声をかけて来たのは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 こてこてのかっぽう着姿が舞浜母そっくり。

 やっぱり親子だなと思わずにはいられない。


 しかし、秋乃の言う通り。

 あいつはどうして俺ばかり叱るのか。


 俺は、設計図と工作と設置を。

 ほんのちょっぴり手伝っただけの。


 ただの首謀者にすぎないってのに。


「おい立哉、大丈夫なんだろうな?」

「お前に言われた通り足止めはしたぞ? 保坂」

「ええい、どいつもこいつも保身に余念がねえな」


 わざわざ先生に聞こえるように、大きな声で。

 俺一人に罪を擦り付けやがって。


 でも、今日ばかりは仕方ない。

 扇動してみんなを巻き込んだのは確かに俺だからな。



 ――事の発端は。

 早朝の教室内で起きた。


 配膳しかしてないくせに。

 天ぷらが大好評だったと親父さんに伝えた秋乃へのリアクション。


 『お前から皆様へお礼を差し上げておくように』


 そんな一文が添えられて。

 届いていたのは十杯ものカニ。


 あのクソ親父のことだ。

 秋乃の料理が褒められて。

 前後不覚に陥ったんだろう。


 これだけのカニを調理するのに。

 どれだけ時間がかかると思ってるんだ。


 まあ、そんなわけで。

 みんなでカニパーティーをしたいと懇願してきた秋乃に。


 彼氏としては、最大限の努力をするより他はない。



 ……そう。

 俺は精一杯。


 リスクを分散するために。

 全員を巻き込んだという訳だ。


「はい! カニ、茹で上がったわよ!」

「次のを入れて! 早く!」

「じゃあ二班のみんなは食べていいわよ!」

「イェーイ!! パーティーパーティー!!」

「カニパーティー最高!」


 もはや、カニの件はどうでも良くて。

 バカ騒ぎ自体を楽しむみんな。


 俺も楽しい。

 でも。


 やがて悲しき鵜舟かな。


「そこで首を洗って待っておれ!」

「まじか! もう抜けた!?」

「おい、ほんとに大丈夫か!? 先生、一つ目の扉を突破したぞ!?」

「一つ目はチュートリアルだから」

「ほんとだろうな!?」

「カニが茹で上がるまで持ちこたえるんだろうな!?」


 なんたる他人事あつかい。

 でも、確かにちょっと不安。


「五十嵐さんが考えたトリックだから大丈夫だとは思うけど……」

「なんだ、五十嵐なら大丈夫だな」

「それなら安心だ」

「お前ら……」


 呆れた連中だけど。

 こと、お祭り騒ぎに関しては他の追従を許さない。


 そもそも無事にカニにありつけたとして。

 そのあと、全員生徒指導室行き間違いなしなのに。


 カニを茹でる女子たちも。

 キャーキャーはしゃいで。


 男子は、万が一に備えて。

 最終関門である教室への扉のさらに先に。

 余った資材で〇✕クイズのドアを作り始める始末。


「……下手すりゃ退学だってのに。こいつら、悪ふざけに関しちゃ命かけるよな」

「だ、大丈夫と思う……。先生、たまには息抜きをしたいって言ってたから……」

「抜くどころか。限界まで吸いこんでると思うけど」


 そして最後の扉を開いた瞬間大爆発だ。


「だ、脱出ゲーム、楽しい……」

「そうは思うけどさ」

「秋乃ちゃん! 手ぇ空いてるなら〇✕クイズの問題考えてくれ!」

「わ、わかった……」


 まあいいか。

 こんなバカやれるのも、もうあと少しだけ。


 受験や就職を控えた三年だ。

 普通のクラスなら。

 今年は文化祭にも参加しないだろうし。


「おお、そうだ! 最後の文化祭は、大脱出ゲーム作らねえか?」

「いやだよ、俺はメイド喫茶がいい!」

「あたしは執事喫茶が……」

「じゃあ、脱出途中の部屋を全部みんなの希望する物にすればいいじゃん」

「それだ!」

「それよ!」


 …………そうだった。

 このクラス、普通じゃないんだった。


「次! 上がったわよ!」

「四班! 食べて食べて!」

「問題児ばかりを押し込んだクラスだったの忘れてた……。おい、秋乃」

「じゃあ、問題文はそれで……。えっと、誰か呼んだ?」

「俺だ俺」


 とびきりの上機嫌。

 秋乃が珍しくはしゃいだ様子で駆けてくる。


 この笑顔を見るために。

 俺はバカ騒ぎの首魁になったわけなんだけど。


「お前、この後滅茶苦茶叱られるけどいいのか?」

「だ、大丈夫……」

「みんなと一緒だからか?」

「ううん? 叱られないと思うから……」

「だからさ。先生、楽しんでねえから」


 ええい、その件については頑固だね。

 後で泣きを見るがいい。


「おいおい、先生第二関門も突破したぞ!?」

「予想より早い! 大丈夫か!?」

「こっちも想定より速いわ!」

「最後のカニ、茹で上がった!」

「おお、間に合ったか」


 最後に食卓に着いたのは。

 舞浜軍団の七人だ。


 クラスのみんなの歓声と。

 やり切った感溢れる笑顔に包まれながら食うカニは。


 実際の味よりも。

 何倍も美味いものに仕上がっていたのだった。


「……あ、立哉君」

「なんだ?」

「そのお皿はダメ」

「え? 余ってるじゃねえか、ダメなの?」


 八つ目の皿に乗せられたカニ。

 そこから摘まんだ足を元に戻すと。


 秋乃は皿を持って。

 扉の方へ向かう。


 そして、目をぎらつかせながら。

 『〇』の扉を突き破って現れた先生に。


 呑気に、どうぞと差し出した。



 きっとどでかい雷が落ちる。

 そう思っていた俺の目の前で。


 先生は美味そうにカニを平らげると。

 秋乃には目もくれず。


「……おい首謀者。これからちょっと職業体験して来い」

「俺が首謀者だという証拠がどこにある?」

「ほう? では首謀者だった場合、大人しく指示に従うという訳だな?」

「おお。その時にはなんでも言う事を聞いて……? なんだよ手招きなんかして」


 先生が俺を呼び入れたのは。

 増設した〇✕クイズの小部屋の中。


 そこに貼られていた最終問題は。




 『今回、全員を脅迫して命令していた首謀者は、保坂立哉である』




「うはははははははははははは!!!」



 こうして。

 俺は先生の指示により。


 その日のうちに。

 若狭湾へと出向くことになった。



『せ、正解は『✕』でって言っておいたのに……』

「ほんとなんだろうな!? 未だに信じ切れねえんだけど!」

『朝早いけど……、眠くない?』

「眠たがってる暇がない!」


 気を抜くと振り落とされそうな船の上。

 俺はカニ漁の手伝いをさせられながら。


 よく立っていられるなと。

 筋がいいなと褒められたのであった。


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