時空なんて飛び越えない

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第1話 2022年からあなたへ

 まだ小学校低学年の頃だったと思う。青い猫型ロボットが飛び出してくるんじゃないかと、毎日引き出しを覗き込んでいた時期がある。

 中学校の理科実験室の窓の外、花壇にはラベンダーが生えていた。その甘い香りを嗅ぐたびに、近くに未来人が潜んでいるのではと探していたこともある。

 多くの子供がそうであるように、私はタイムトラベルやタイムリープというものに強く憧れていた。過去への旅行を夢見ていたし、未来人の来訪を心待ちにしていた。

それが現実には起こりえないことだと確信したのは、一体いつだったろう。高校生のとき、金曜ロードショーで車型タイムマシンが出てくる映画を観たときがある。少なくともそのときは既に、創作は創作だと割り切っていた。

(現実にはタイムリープなんて起こりえない。そんなことはわかってるけど……)

 私は古びた一葉の絵葉書を見つめた。表にはモノクロの橋の写真、裏には縦書きでびっしりと文字が書かれている。


拝啓 未来を生きる春緒様

 庭先の縁側に腰かけておりましたら、芙蓉の蕾が膨らんでおりました。間もなく白い花を咲かせるかと思います。ついこの前まで桜が零れんばかりに割いておりましたのに、いつの間にか夏めいておりますね。

 前回のお手紙では未来の様々な娯楽を教えて頂き、誠にありがとうございます。どれも非常に興味深かったのですが、私が特に心を揺り動かされたのは携帯電話にございます。持ち運べて写真を撮ることができ、ましてやそれを全国津々浦々へ送ることができるとは。インターネットとは不可思議なものですね。果たして、機械の扱いが不得手である私に使いこなせるかどうか。

 春緒様は大学で沢山の機器を使いこなし、植物のご研究されているとのことでした。春緒様の咲かせる綺麗な花々、是非拝見したいです。

かしこ 日隈恵子


 流麗な筆字だ。あまりにも達者すぎて、初見では読めない字も多かった。私はその絵葉書をバッグに仕舞うと、入れ違いにA4用紙を取り出した。そこにはプリンターで打ち出された無機質な楷書体が並んでいる。


過去を生きる日隈様へ

 残念ながら、機械を使いこなしているとは言い難いです。今週も研究をしましたが失敗続きで、来週には条件を変えて再試験しなければなりません。それに植物の研究は、日隈様の想像するような華々しいものではないかと。やることと言えば、植物を凍らせてはすり潰すという地味な作業ばかり。育てている植物の写真を添付いたします。2022年の研究は存外地味な作業が多いのです。

久世春緒


 写真には、大学の実験室で生育しているレタスが映っていた。

(……大丈夫かな、これ)

 誤字や脱字がないか何度も読み返す。ついにはゲシュタルト崩壊を起こし、何が正しいのかわからなくなってきた。いっそ一から書き直したくなってしまう。それというのも、日隈さんの手紙が達者すぎるためだ。初めは私も手書きしようと思ったが、どれほど丁寧に書いても字は汚いままで、比べると死にたくなってきたので止めた。

(字って、大人になれば上達するものだと思ってたんだけどな……)

 本棚の端から、グラシン紙を被った本を取り出す。黒岩涙香著の『八十萬年後の社會』、今より100年近く前に発行された小説。ウェルズの有名なSF『タイムマシン』の邦訳だ。私は本に手紙と写真を挟むと、それを棚へと戻した。

 後ろから大きな欠伸が聞こえた。振り向けば、店主のお爺さんがカウンターの奥で眼をこすっている。テレビを見ており、こちらに気付く様子はない。

 この古書店の棚に並ぶ『八十萬年後の社會』には不思議な力がある。日隈恵子さん――1922年を生きる彼女の手紙が、時空を飛び越えやってくる。そして、久世春緒――私が書く2022年から手紙は1922年へ送られるのだ。この本は題名通りタイムマシンだ。私と日隈さんは、100年という時代を超えて文通している――。

(――そんなわけない。手紙は時空なんて飛び越えない)

 私は本を再び引っ張り出した。頁を開けば、そこには手紙が残っている。過去の手紙と入れ替わっているわけでもない。挟んだものそのままだ。

 既に日隈さんとは十回近く文通をしているが、手紙が戻ってくるのはいつも後日だった。目の前で手紙が消えたことも、逆に送られてきたことも一度としてない。

(彼女は現代を生きる人間だ……。タイムマシンなんて存在しない)

 もう、2112年生まれの猫型ロボットを信じていたかつての私じゃない。この現実にタイムマシンが存在するとは信じられない。私も日隈さんも時代を偽っている。

(だからこれは、ただのごっこ遊びなんだ……)

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