追い越し船

海洋研究会に入ってはや2ヶ月がすぎた頃だった。この時から渚は時々学校を休むようになった。慎二は心配して理由を聞いて見たが渚は「家族の事情だ」と言ってはぐらかすだけだった。自分で探ってみようともしたが、部活内では渚にあまり変わった様子はない。しかし家族の事情だと言われてはそれ以上追求することも出来なかった。

そんなある日、慎二はいつものようにすることも無く渚を待っていると、海洋研究会の顧問の先生が教室に入ってきて、驚きのことを話した。渚はもともと白血病を患っていたということだ。さらに最近病状が悪化して時々通院していたというのだ。ところが今日の朝、渚は自宅で急に倒れ救急車で運ばれたという。

慎二は驚きのあまり声が出なかった。そして焦りや不安が湧き上がってきた。慎二はバックを持つと先生から渚が搬送された病院を聞き、すぐに学校を出た。最寄りの駅から電車を使って30分ほどだ。慎二は急いで電車に乗りその病院へ向かった。その道中は覚えていなかった。ただ、心の中で渚を心配する気持ちとどこかモヤッとするようなものがあることは覚えている。

慎二は病院に着くと真っ先に渚の病室へ向かった。渚の病室は5階、エレベーターは来るのが遅いため、ダッシュで階段を登っていった。そして病室の前まで着くと勢いよくドアを開けた。すると目の前には窓から海を眺める渚の姿があった。

「あれ?慎二くん。どうしたの?そんなに息を切らして。」

人の心配も知らず、渚はケロッとしていった。そんな渚を見て慎二は息を切らせながら言った。

「どうしたのじゃないですよ。搬送されたって聞いて驚いたんですから…。」

「ごめんごめん。心配かけちゃったね。」

その時、慎二の心の中で何かが一気に燃え上がった。しかしそれをぐっと堪えて、静かに問いかけた。

「病気のこと、なんで黙ってたんですか?」

渚は何も答えず、ただ窓の外を見ていた。慎二は近くにあった椅子に腰を下ろした。そしてそっと口を開いた。

「では、これだけ教えてください。いつから病気のこと、知ってたんですか。」

始め渚は何も答えなかったが、しばらくしてからそっと話し始めた。

「…中学1年の時、白血病って知ったの。そして長くは生きられないってことも。でもね、辛くはなかった。なんでかは分からないけど。それでたまに病院へ行って検診を受けてたんだけど、最近になって病状が悪化しちゃって。それで今に至るわけよ。」

慎二はかける言葉が見つからなかった。笑って見せる渚の奥深くに死を恐れる感情が読み取れた。慎二はうつむいた。目から涙がこぼれてしまいそうだった。すると渚は慎二の頭にあの本をのせた。

「これ、あげる。今の私にはもう必要ないからね。大切にして…。」

慎二は顔を上げた。目の前には宝石に輝く瞳から涙を流す渚の姿があった。その姿を見て慎二は涙を止めることは不可能になった。慎二は手で顔を覆った。心にあった感情は全て悲しみで包まれてしまっていた。

「泣かないでよ。最後ぐらい楽しく話そ。部室ではいつも私が一方的に話してただけなんだからさ。」

慎二は渚に最後なんて言って欲しくなかった。一生そばにいて欲しかった。しかしそんな思いを伝えることなんてずっと出来なかった。慎二は顔を上げた。そして真っ直ぐ渚を見ると涙を拭った。

「分かりました。話しましょう。」

慎二はぎこちなく笑ってみせた。そんな慎二を見て渚はふふっと笑った。

2人は自分たちが今まで話したかったことを話し始めた。家族のこと、友人のこと、そして将来のこと…。渚は今まで見たことの無いほど笑っていた。

「私ね、昔は将来クジラになりたいって言ってたんだよね〜。」

唐突の話に慎二は驚いた。

「クジラですか。それはなんで…」

「ゆったりと海の中を泳ぎながら世界中の海を渡りたいと思ってたからね。慎二は?」

「そうですね…。僕はヒーローになりたいって言ってましたね。」

「ヒーローか〜。男の子らしいね。じゃあ今は?」

「今は…船乗りになりたいと思っています。」

渚は目を大きく開いた。

「へぇ〜、変わってるねー。それこそどんな風の吹き回し?」

「渚さんから色々な海の話を聞いて自分も行ってみたくなりまして…」

慎二は少し恥ずかしくなり、下を向いた。

「いいじゃん!海は広くて面白いよ。ふしぎがいっぱいだしね!それにしても海にあまり興味がなかった慎二くんが船乗りなんて…なんか嬉しいな。」

下を向く僕を横目に渚はニコニコと笑っていた。そしてそっと口を開いた。

「じゃあ、海に出たら私を見つけてよ。これ、約束ね。」

渚は慎二の膝の上にある本に手を乗せた。僕は顔をゆっくりと上げた。はじめ、言っている意味が分からなかった。しかしすぐに理解し、慎二は笑って渚の手の上に慎二の手を乗せた。

「約束しますよ。」

そう言って細い渚の指の間に指を入れて強く握った。

「痛いよ」

渚は笑って言った。

病室の窓から赤い夕日が見えてくる頃、渚はに言った。

「そろそろ帰らなくちゃだよね。最後にさ、1枚写真撮ろうよ。」

僕は何も言わず渚の横に立った。すると、いきなり渚は慎二の頭を掴んで自分の方に引き寄せ、慎二のスマホでパシャリと写真を撮った。慎二は驚きのあまり声が出せなかった。渚は笑って、

「わがまま聞いてくれてありがとう。じゃあ、また会おうね」

そう言って布団に潜り込んだ。

「·····はい…。また会いましょう…。」

慎二はそう言って病室を出た。部屋を出た瞬間、一気に涙が溢れてきた。涙は渚に貰った本の上にこぼれ落ちた。慎二は廊下を走った。そしてすぐに駅に向かった。そして電車に乗り、家に着くとすぐに寝てしまった。

次の日、いつものように学校に行き、いつものように授業を受けた。そして放課後、海洋研究会の教室へ向かうと、顧問が待っていた。

「慎二…。渚、息を引き取った…。」

先生は悲しそうな顔で言った。しかし僕は何故か悲しくなかった。いや、慎二の心の中ではまたどこかで会えると信じていた。慎二は静かに席に着くと渚から貰った本を読み始めた。本には難しい単語で様々なことが書いてあった。しかし慎二には何故か意味が理解出来るような気がした。渚はもういない。しかしこの世界のどこかでまだ生きているような気がしてならなかった。









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