行き合い船

窓の外ではセミが鼓膜をつんざくように鳴いている。夏もそろそろ全盛期だ。慎二は汗に拭った。

海洋研究会の教室は4階の突き当たりにある小さな空き教室だ。まぁ、部員も一人しかいないのに教室を貰えたのだからすごいことなのだろう。そんなこと考えながら慎二は階段を上がった。4階からは青く染った見事な海が僕も目を覆い尽くした。そして誰もいない廊下をてくてくと歩いていった。途中、1枚のポスターを見つけた。

「海洋研究会…」

紙とペンで書かれたポスターには、まるで情熱がこもっていなかった。部員を集めることなど興味が無いように思える。僕は不安になった。本当にしっかりと活動している部活なのか、無駄な時間を過ごすのはもうごめんだった。

教室に着くとドアの窓から中を覗いた。しかし誰もいないように見えた。慎二はドアを叩き中へ入った。

「失礼します…」

やはり誰もいない。机の上にはたくさんの海や魚に関する本が置いてあった。そして訳の分からない模型のようなものまで置いてあっる。慎二はそれをまじまじと見ていった。

「何か御用?」

急な声に少し驚いた。振り向くと背丈が同じくらいで長髪の女子がたっていた。

「いや、海洋研究会の見学がしたくて…」

「あ、あなただったの。先生が言ってたの」

彼女は持っていたたくさんの資料を机に置いて置いて慎二に手を伸ばした。

「海月渚(うみつきなぎさ)、よろしく」

「井原慎二です。よろしくお願いします。」

慎二は手を握って言った。彼女の手はひんやりと冷たかった。

「適当にどっか座って」

渚は机の上を片付けながら言った。僕は1番近い椅子に座った。

「海に興味があるの?」

そう聞かれ僕は返答に迷った。

「いや、無い訳では無いんですけど、特別あるかと言われると微妙…ですね。」

「はは、まぁ、そうだよね。山の中で暮らしてでもいなきゃ海なんて当たり前の景色だもんね。」

渚はそう言って笑った。しかしどこか悲しそうでもあった。

「渚さんは海、好きなんですか?」

「うん。見てると自然に心が落ち着くからね。」

青く美しい海を眺めていると心が落ち着く。それは紛れもない事実である。しかしやはり見慣れてしまっているからか、今更感じるものは少なかった。渚さんは分厚い本を軽々しく片手で持ち、文章を目で追っている。窓から流れてくる潮風で長い髪が揺れている。椅子に座って本を読んでいるだけなのに何故かとても美しく見えた。その姿はまるで絵画のようだった。

「渚さん、僕をこの研究会に入れてくれませんか?」

僕は考えるよりも先に言葉が出ていた。なぜだかは分からない。先程も言った通り、それほど海は好きではない。だが僕の心からは自然と本音が飛び出していたのだ。渚さんは僕に目をやった。そしてふっと笑うと、静かに本を閉じた。

「わかった。じゃあ部活動申請用紙持ってくるからちょっとまってて」

そういうと教室を後にした。渚さんが出て言った瞬間、慎二にどっと疲れがのしかかってきた。そしてはぁ〜と大きなため息をついた。海に興味が無いやつが海洋研究会というまさに海のことを調べるところに入るなんて、馬鹿にも程があると思った。しかし慎二の心にはどこか期待をしているかのようなものも存在していたのは事実だった。

しばらくしてそっと教室のドアが空いた。

「おまたせ。これ、書いて」

渚さんは慎二に部活動申請用紙を渡した。慎二は無言で受け取るとそそくさと名前を書いた。

「書き終わった?そしたら私にちょうだい。」

慎二はそっと彼女に紙を渡した。

「お願いします。」

彼女は受け取ると紙をまじまじと見た。

「井原慎二…。こうゆう字を書くんだね」

彼女はふふっと笑った。

「確かに受け取った。じゃあ先生に渡しておくから明日からよろしくね」

「こちらこそ、お願いします」

慎二はぺこりと頭を下げた。





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