3

 練習を始めて6日が経った朝。


 前々日から仕事が立て込み、深夜対応を余儀なくされてしまったため、翔太は練習を二日間休んでしまった。そのため、朝を起きることもできず、また業務中に休憩を取ることすらままならなかった。


 休日である今日、今日こそは、と翔太は眠くて固まった体を起こし、ベッドから降りた。いつも以上に早い、朝4時前。練習をしなければ。


「大学4年 11月2日 フリースローの練習」


 そう言って、デバイスからデータを呼び出す。呼び出すのは割と近い年代のデータ。撮りためたデータの中でも最後の方のものだ。なぜか今日はこの日のデータに身を重ねたかった。


 その姿に重なるようにシュートを放つ。さすが現役時代としては最後の方のデータ。練習を積んだシュートは淀みなく、それでいて、迷いがないフォームのシュートだ。

 しかし、眠気と疲れが溜まった体では、そのフォームの形を意識するので頭がいっぱいになり、手から離れたボールはあらぬ方向に飛んでいってしまった。

 ボールはバッグボードにすら当たらずに、後ろへと抜けた。


「くそっ」


 そう翔太はついこぼしてしまう。

 これではダメだ。また不恰好なシュートばかりしてしまうな。当時の動き、保存されたあの動きは全然こんなのではなかった。もっと、流れるように足腰からボールを放つような。そういう動きだったはず。

 なぜそれを再現できないのか。


 ボード裏に落ちたボールを拾い、コードの方に戻ってくると、パジャマ姿の岬が縁側に立っていた。


「少しは休まないの?」

「ごめん、起こしちゃったか」


 翔太も縁側の方に向かい、腰をかける。


「一昨日から、徹夜続きだったんじゃないの?」

「そうなんだけど。来週までには時間がないからな。約束だから」

「別にそんな必死にならなくても……」

「いやだめだ」


 翔太は強くその言葉を口に出した。

 そう、航輝に教えるなら、今の自分の姿じゃだめだ。


「そう……」


 そう言いながら、立っていた岬はかがみ、何気なく翔太のかけていたARグラスを外した。そして、それを掛けて確認する。さっきまで翔太が見ていたデータを。


「よく残っていたわね。これって最後の試合の前日、だっけ。退

「ああ、僕が撮っただよ」


 ずっと練習の参考にしていたのは翔太のデータではなかった。下手な自身の練習データなど、多く残していない。それではなく、幾度となく彼女の練習に付き合った、彼が撮りためた。エースプレイヤーであった、岬。

 翔太が参考にしていたのは全て、彼女の練習データだった。


「ねえ、もしかして、まだ自分のせいだって思ってないわよね」

「……そんなことないよ」


 彼女が問い詰めるように聞いたため、翔太は目を伏せ気味に答える。


「じゃあ、なんで私のデータで練習しているわけ。何かの贖罪のつもりで私の代わりに航輝にバスケを伝えないと、とか思ってるからでしょ」

「そんなことないよ。ただ、君の練習データがたくさんあったから。それに君の方がバスケが上手かったじゃないか。プロ一歩手前だった、君の」


 そう。岬はプロになれるはずだった。

 大学4年で起業する、翔太のことを支えるために、チームへの入団を断るまでは。


 バスケで活躍する彼女の姿を見て、練習を手伝うだけではなく、彼女をもっと支えたいと思った。自分が惹かれたこの技術を使って。

 それが、大学4年の時、ベンチャー企業を立ち上げる自分を支えるために、チームの入団を蹴ると彼女に告げられた時。やりきれない気持ちを感じつつも、心の余裕がなかった翔太は、その申し出を強く断ることができなかった。

 翔太の脳裏に当時の苦い感情が浮かぶ。


 道を遮ってしまった自分が代わりに。その彼女のバスケを伝えなければいけない。


 航輝にバスケを教えて、と言われた時からずっと心に刻んだことを、翔太は心の中で反芻した。


「はあ....わかった」


 そう言うと、岬は靴置きに置かれたスニーカーに足を通し、コートの向かいに向かって歩き出した。

 そして、振り返り、翔太の方に向かって中腰で構えた。


「いいわ。私と1on1しましょう」

「え?」

「あなたがいかに私をなめているか、それをわからせてあげます」

「いや、でも」


 そうたじろいでいる翔太の目線の先には、さあ行くよ、という視線で睨む岬。

 なんでこんなことになってしまったのか、後悔をしながら、翔太はボールをドリブルしつつ、コートの方へと向かった。


 岬の前に対峙する。何かを背負ったようなその姿に臆し、翔太は焦って駆け出す。

 左へのフェイントを加えながら、一瞬で右へ返し、ドリブルで抜ける。

 彼女の右を確かに抜けたはずだった。

 しかし、翔太が気づいた時には手元にはボールはなく、彼女が後ろでボールをドリブルしていた。一瞬でスティールされたことに気づかなかった。

 岬は、先程までの辛辣な顔はどこえやら、少し笑みが溢れてしまっている。そういえばいつも、彼女は練習の時、いいプレイができる度に、僕にどうだ!という顔を見せていたなと、翔太は思い出した。


 打って変わり、翔太はディフェンス。こちらからボールを奪ってやろうと踏み出すと、彼女は一歩引きそれをかわし、ボールと共に少し後ろへ重心を移動した。

翔太はそのまま岬がいた場所へ突っ伏すように体制を崩す。それを見下ろすように立つ岬は、そのままシュートへと流れるように移行した。

 翔太はその動きについていけず、体制を立て直し、視線を向けた頃には彼女の足は地面につき、ボールはゴールの網を通ったところだった。


「なんだ、全然衰えてないじゃないか」

「これでもずっとエース張っていたんだから。万年補欠だったあなたになんてブランクがあったって負けないわよ」


 そんな声に重なるように、静かにボールがバウンドして、音がコートの中に響いた。


「思い出すね。練習に付き合ってもらって、フォームの改善点とか一緒に話したのが懐かしい」


 翔太は今でもはっきりと思い出せるその記憶を脳裏に浮かべる。

 付き合い初めの頃、便利なアプリがあると言って、彼女にシュート姿を立体映像で残せるアプリを紹介したこと。ストイックな彼女が何度も「シュートフォームの確認手伝って!」と自分に撮影をせがんだこと。部活終わりの体育館で、何度もその姿を撮り溜めたこと。その後二人でフォームについていろいろ話し合ったこと。

 いつまでも上手くならない自分と違って、どんどん上達する彼女。


「あなたが付き合ってくれたから、私はバスケが、シュートがこんなに上手くなった」


 そうして岬はまたシュートを放つ。翔太は、今度はしっかりその姿を捉えることができた。

 その姿は長年のブランクもあってか、毎日見ていた立体映像の姿とは少し違っていた。流れるような綺麗さはないが、そっと優しくボールを放つ。

その動きには、昔何度も見たものとは違うもの達が重なって見えるようでもあった。

そして、ボールはゆっくりと弧を描いて、リングへと吸い込まれた。


「でもね、私がそんなバスケを一度辞めたのは自分で決めたことなのよ。もちろん、名残惜しいといえば嘘になるけれど」


 そう言いながら、岬は肩を上下させて、上気させた顔でじっとゴールを見上げていた。目はずっとゴールの先を見ている。


「今の生活、これが今の私の選んだ道。この生活の中で新しい大切なものもたくさん見つけた。それなのにあなたも、周りも、親戚のみんなも、”もったいない” みたいなことばかり私に言うもんだから、バスケは一切やってやらないってことにしたのよ。私は違う! って示してやるためにさ。まあ人前では、だけど」


 いつからか岬がバスケをする姿を、翔太は見なくなっていた。せっかく立てた家のコートでも。できるだけバスケをやった事実を隠すように。

 最初は自分の仕事のせいかと思った。自分や航輝、家のために時間を使っていてくれたのかなと。


 過去の記憶を遡り、そこで翔太が立ち尽くしていると、いつの間にか岬は笑顔で翔太のことを見つめていた。

 そして、手に持っていたボールを投げ渡す。翔太は焦って前に手を出し、なんとかそれを受け取った。


「だからさ。気負わずに、肩の力を抜いて。何かを背負わなくたって、きっと今のあなた自身が積み重ねてきたものが、あなたをしっかり支えてくれてるはず」


 岬にそう言われて、翔太は自分に重なり合っていたものを自覚した。


 高校時代、監督に言われひたすらシュートの練習をしたあの時、どうしたら安定してシュートを決められるのか、翔太は聞いたことがある。その時なんて答えてくれたかを思い出す。


「うーん、あんまり意識しないことかな? でもさ、毎回練習でこうして打ってるとさ、思うことがあって」


 そう言って彼女は、スマートフォンの画面を操作した。撮影したデータが並んだ画面を見る。


「ほら、ちょっとずつ違ってるけど、全部自分が練習した証じゃない。体調悪くて下手な時のフォームも、なんか運良くて上手くいったなと思った時のフォームも」


そして最後に彼女は立って笑顔でいう。


「それが全部重なって、今のシュートの瞬間をきっと支えてくれてる!と思うと、すっごく心強くない?」


 その言葉を今、翔太は思い出した。

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