第2話 どこへなりとも馳せ参じましょう

 基礎学力の致命的欠陥を抱える、千里。


 内容が分からなさ過ぎるあまり退屈な授業を、いつも通り何とか聞き流すことで迎えた昼休み。彼は誰よりも早く動き出す。


奈花都なはとさん。ちょっと俺について来てもらえます?」


 三ヶ月前の転校生である眼鏡のモブこと千里と違い、少々変わった部分はあれどアリアは抜群の美少女だ。彼女の美しさは異性のみならず同性の嫉妬すら踏みにじる程の領域にある。


 昼休みという開放的な時間帯の訪れにより、彼女に対して好意的に近付こうとする生徒は多かった。


「旦那様が望むのであれば、このアリア。どこへなりともせ参じましょう。たとえ向かう先が地獄であろうと喜んで」


 されど隣の席という利便性を活かした千里が一番最初に声をかけることに成功。しかしたとえ千里が誰よりも遅く声をかけたところで、アリアが彼以外に関心を示すことはなかったのだが。


「おまえ、何か奈花都さんの弱みでも握ってるんじゃないだろうな?」


「人聞きの悪いことを言わないでください。そんなことしてるわけないじゃありませんか……」


 怪訝な面持ちのクラスメイト達の合間を縫って、千里はアリアを引き連れ、二年B組を脱出した。









 本来、屋上というものは生徒が立ち入ることは出来ない場所だ。


 にも関わらず、御影千里はフェンスに囲まれながらも空に向かって開けた空間を、当然のように使用していた。


「アリア」


 度の入っていない眼鏡を外し、鋭い眼光がむき出しとなる。


「説明してくれや。どうして日本に帰国したばかりであろうおまえがこんなクソうざってぇところにいる? お嬢から俺が直接受けた仕事を、おまえも受けたってことか?」


 眼鏡のモブから一転、粗野で乱雑な態度と口調に変じておきながら、奈花都なはとアリア――否、赤薔薇商会所属【炎槍えんそう】アリア・ナハトは驚き一つ示さない。


「おそらくそうですが、姫君は先日父上と共に帰国した私に任務の詳細を伝えませんでした。いつもの気まぐれでしょうね」


「まぁ……お嬢ならやるわな。と、そうだ。先生は元気か?」


「帰って来るなり眠ってしまいましたが、後一週間もすれば目を覚ますはずです。会いに行ってくださるとアレも喜ぶかと」


「アレって……、父親だろ?」


「反抗期ですから」


 むしろこの千里こそが馴染み深い愛しの旦那様――アリアと同じ赤薔薇商会所属【呪剣じゅけん】御影千里であるのだと、彼女はこの上ない安堵を覚えるのだ。


「本題に戻りましょう。確かにここは少し歩いただけでもカースの瘴気が色濃い――」


 カースは人類に対して、ありとあらゆる形をもって災厄を届ける存在。


 公表こそされていないものの、社会の闇の部分ではカースと戦うことを生業とする者達、人呼んで夜の狩人ハンターが潜んでいた。


「――旦那様はその発生源を調べに来たという理解でよろしいですね?」


「そういうこった。俺に対してびびって攻撃なり何なりしてくれりゃあ話は早いんだが、三ヶ月経っても一向に尻尾を見せやしねぇ。一定のよどんだ空気とカースの生体反応だけは続いてるってんのに――」


 眼鏡のモブと美少女転校生の皮を捨て去って、夜の狩人ハンターとしての会話に没頭する二人。


「――旦那様」


 けれど、その時間は他ならぬアリアの側から打ち切られる。


「人間が一人、こちらに接近しております」


 そこで遅れて千里も気付く。


 屋上に入るための扉が外から開かれようとしていることに。







「あれ……? 御影君……だ」


 ひょっこりと扉から顔を覗かせたのは、クラスメイトの羽衣百合芽だ。


「……羽衣さん、ですよね?」


「あ、覚えてくれてたんだ……。えへへ……」


 クラスメイトとしてお互い面識こそあったものの、直接の会話はこれで二度目である。


「こちらの御方は?」


「同じクラスの羽衣百合芽さんですよ」


 眼鏡を咄嗟にかけ直し、潜入用の仮面を被った千里が、傍らのアリアの質問に答えた。


「……どうも、羽衣百合芽です」


「ご丁寧にありがとうございます。奈花都アリアと申します」


 ペコリペコリと二人の少女はお辞儀をし合う。


「よく、ここまでたどり着けましたね」


 一瞬、この千里の質問を受け、意図を理解出来なかったらしき百合芽が面食らった表情を見せた。


「……私、ちょっと教室に居づらくて。人のいないところをフラフラしてたら……ね。お邪魔しちゃってごめんなさい……」


 だが、彼女の内で整合性のつく形に処理されたらしい。


 困ったような微笑みを浮かべながら、百合芽は屋上を去っていった。







 妙な質問を不用意に投げかけてしまったことは分かっている。


 それでも、千里はその驚愕が赴くままに、浮かび上がった疑問を百合芽にぶつけるしかなかった。


 何故、朝のように手前までならばともかく、一般人が屋上へとたどり着けたのかを。


「旦那様」


「分かってる」


 アリアが言わんとしていることと、千里の内心は全くの同一。


 多くを語ることなく互いの前提条件を一致させた上で、二人は言葉を重ねていく。


「結界を、展開しておられたと私は認識しております」


「正確には肉体と精神をカースに汚染されてほぼほぼあっち側に反転してる俺が全力で放った瘴気――マトモな人間ならまぁ本能レベルで近付きたかねぇソレを張り巡らせてたわけだが」


「ならばどうして、彼女は旦那様の結界を抜けて、偶然我々と遭遇したというのでしょうか」


 


 手練の夜の狩人ハンターか、はたまた高位のカースか。


 これら二つの要素を抱える者しか、千里の放った瘴気が立ち込める屋上に踏み入ることは不可能なのだから。

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