第8話 それは、剣士の見る夢

 じ……じ……じ……。音を立てて燭台の投げかける火影が揺れる。

 ひゅうい、ひゅうい。暗がりから海鳥の鳴くような声が聞こえる。


 燭台の光を映して、板野新二郎のもつ薙刀の穂が赤くきらめいた。


「勝負だ、喜十郎。決着をつけよう」


 新二郎は薙刀を大きく振りかぶって上段に構えをとった。それを見て息を呑んだ喜十郎に、鷲尾十兵衛が声を掛けた。


「喜十郎、あれはおぬしの」

「兄ではない。分かっている、あれは『薙刀鳴り』。この屋敷に仇なす怪異――」


 喜十郎は手のなかの刀をしっかりと握り直した。

 為すべきことはただひとつ。雑念を捨て去り――。


「ただ一刀。斬るのみ!」


 頭上から降ってくる薙刀の攻撃を刀で受け止めた。畳の上に火花が散る強烈な一撃だった。腕が痺れる。しかし、! 遮二無二……、


「打ち込め、喜十郎!」

「おおう!」


 鷲尾に励まされ、気合を入れた喜十郎は、薙刀の攻撃を擦り上げるように、打ち払うと大きく踏み込んで袈裟懸けに斬りかかった。


「ちい!」


 刀の切っ先は空を斬った。

 やはり、薙刀と刀とでは間合いが違う。相手までの距離が遠いのだ。遠いところから斬りつけても、新二郎に刀が届かない。


「無駄だ、喜十郎。得物の長さを考えろ。刀で薙刀の長さに敵うものか!」


 新二郎が頭上で薙刀を旋回させる。遠心力が乗った一撃が喜十郎の足元に襲い掛かる。脛打ちだ。


「あぶない!」


 刀を下げて受ける――が、次の瞬間には次の攻撃が面に向かって飛んできた。喜十郎は、大きく背中を反らして飛び退る。柄の長い薙刀は、面そして脛、打突箇所を上下に使い分けることができるのだ。


 ふたりの距離が離れると益々新二郎の薙刀は勢いづく。頭の上や、身体の周りを旋回させてぴたりと正眼に構えられると、接近するための隙が無い。喜十郎は自分が焦りはじめているのが分かった。敵と相対したときの焦りは隙を生む。


 敵の間合いにあるときの隙は命取りになる。そんなことは百も承知のはずだった。それでも焦りを感じずにはいられない。なにしろ、薙刀の届く間合いに留まっている限り、喜十郎の刀は新二郎には届かないのだ。


 鋭い気合と共に、新二郎の薙刀が繰り出される。

 薙刀は執拗に喜十郎の脛を狙ってくる。剣術に「脛打ち」を防ぐ技をもった流儀はあまりない。薙刀がずっとむかしに廃れてしまった武器のため、それを防ぐ技も研究されてこなかったのだ。喜十郎は、ずるずると後退しながらそれをかわす。


 ――刀で受ければ、弾かれる。飛んでかわせば、打ち込まれる。手も足も出ぬ。


 新二郎の操る薙刀の動きは精妙でまったく隙がない。いったいどこでこのように高度な薙刀術を身に着けたのか。喜十郎は斬りつけることはおろか、近づくことすらできなかった。


 ――近づけぬのならば……これを!


 喜十郎は腰の小刀に右手をかけると、その次に新二郎が薙刀を振りかぶった瞬間に抜き放ち、胸元めがけて投げつけた。


「ぐああっ」


 悲鳴を上げて板野新二郎が畳に片膝をついた。喜十郎の投げた小刀が、新二郎の胸に突き立ったのである。うずくまった新二郎の胸元が、みるみるうちに血で真っ赤に染められてゆく。顔が苦悶の表情にゆがんでいった。


「あ、兄上……」

「ばか!」


 苦しんでいる板野新二郎に、一歩二歩と無警戒に近づいた喜十郎を、鷲尾十兵衛が突き飛ばした。その瞬間、死角なっていた頭上の方向から薙刀が喜十郎に襲い掛かり、その頭をかすめて足元の畳に突き立った。


「いったじゃないか。板野新二郎は、ただの影――まぼろしだ。『薙刀鳴り』の本体は、だぞ!」


 鷲尾のいうとおりだった。深手を負ったはずの板野新二郎は操り人形のように立ち上がり、薙刀を正眼に構えると、血の気の失せた頬を引きつらせて笑った。


「……やるじゃないか、喜十郎。ここからは……本気だ……。生かしてこの屋敷から帰さん!」


 くるりと身体を反転させ、その勢いのまま薙刀を振り回す。ひゅうい、ひゅういと海鳥の鳴くような音がする。ふたたび「薙刀鳴り」が鳴りはじめていた。


「薙刀鳴り」が鳴りはじめてからの斬撃は、これまで増して激しいものになった。竜巻のように渦を巻いて攻撃を繰り出す「薙刀鳴り」に隙はなかった。上から下へ、右から左へ、つぎつぎと攻撃が繰り出されて途切れることがない。とても人間の体力で続けられる技ではなかった。


 ――とても人のなせる技ではない。しかし、が兄でないならば……。


 むしろ、心おきなく剣を振るえるではないか!


 腹を決めた喜十郎は、それまで避けていた薙刀の斬撃を刀で受け止めた。

 踏み込んで受け止める。

 踏み込んで受け止める。おれはもう下がらない。


 踏み込んで弾き返す。

 死地に踏み込んでこそ、拾う生がある。


「薙刀鳴り」の操り人形が、振り払うように薙刀を大きくないだ瞬間、喜十郎が強く畳を蹴った。身体を低く前に跳ぶと、薙刀の間合いから、一気に刀の間合いに詰め寄る。薙刀を使う者の懐に飛び込んでしまえば、その得物の長さが災いしてなにもできなくなってしまう。


 ――ここだ! なにもかも……がら空きだ。


 一閃。の首が胴から離れて、天井高く舞い上がり、赤く照らされた畳の上に落ちて転がった。その瞬間、この屋敷全体を押し包む嵐のような風の音がしたかと思うと、喜十郎の意識は暗い暗い闇の淵へと落下していった。

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