第5話 怪異『薙刀鳴り』現れる
島を出てゆけとは妙な話である。先程、石川屋からはこの屋敷に巣食う「薙刀鳴り」を鎮めてほしいと依頼されたばかりだ。それを、石川屋の母親に当たるこの枯れ木のような老女は「なにもせずに帰れ」というのだ。
――おかしい。
本当にこの女は石川屋の大女将か。疑いの目で見ると、その長い
「出てゆけ――という理由を聞かせてもらえるだろうか」
「よろしゅうございます」
とくと名乗った老女は、か細い――蚊の鳴くような声で話しはじめた。
「この石川屋はいまはこうして船問屋を営んでおりますが、元々は辺り一帯の海の民を治める海賊の長でございまして、遠い先祖は南北朝の動乱に敗れてこの地まで落ちてきた高名な武士でございます。
「徳川の御代となりましてからは荒っぽいことからは手をひき、さいしょの二百年は島の網元として、その後先々代からは藩御用達の船問屋を生業として、十分豊かな暮らしをさせていただいております。
「青海の殿様とはずっと上手くやってきておりました。石川屋をはじめとした海の民が力を合わせて海の安全を守る代わりに、この島に青海の殿様の力が及ばぬよう心を砕いてきたのでございます。海のことは、陸の殿様には指図させない。海の民で決める――それがわたしたち海の民の掟であり、矜持でございました。
「それが先年。藩の御家老、橘厳慎どのが島の向かいに青海新港を開かれ、代替わりしたばかりの清右衛門にこう囁いたのでございます――『石川屋の商売を広げたいと思わぬか。蔵掛島を藩の直轄地として差し出すなら、青海新港での問屋業はすべて石川屋に任せよう』
「ご承知のとおり、橘さまの整備した新港の繁盛には目を見張るものがございます。ただ、新港の海は浅く、異国の大型船が入港できないため、異国相手の商売でこれ以上の繁盛は望めません。
「はい。橘さまは異国船を停泊させる青海新港の外港として蔵掛島に目を付けたのでございます。ここ港の海は深く、大型船の入港に不自由はありませんから。
「我が子のことをこう申してはなんでございますが、清右衛門は情に薄く、利に聡い商人でございます。わたし共に相談することなく、巨利を生む青海新港での問屋業独占権と引き換えに、この蔵掛島を藩に――橘家老に売り渡そうとしているのでございます。
「蔵の中で鳴りはじめたあの薙刀は、この島に落ちてきた武士が携えてきたとこの家に伝わる物でございます。石川屋は海の民としての矜持を守り、利に屈することがあってはならぬと泣いているのでございましょう。
「お願いでございます。薙刀の――わたしたちの意を汲んで、このまま何もせず島を出て行っていただけないでしょうか?」
「断る」
喜十郎はきっぱりと断った。が、頭が痛い。耳の奥でなにかが鳴っている。
「とくどのの思いはよく分かった。しかし、このことは先に清右衛門と約定したばかり。舌の根も乾かぬうちに、前言を翻すなど武士のすることではない。さらに――」
ひゅういひゅういと海鳥の鳴くようなこの音は? 喜十郎は腰の刀に手を掛けた。異様な気配を目の前の小さな老女から感じた。大きな殺気のような――この者は、目に見えるままの老女ではない。
「……これほど言っても、分からぬかあ!」
突然、しゃがれた声を張り上げて老女が立ち上がった。立ち上がっても、喜十郎の胸までも背丈がない小さな身体が揺れている。その手にはいつの間にか薙刀が握られていた。ひゅういひゅうと薙刀は震え、泣いていた。
「ま、待て!」
しかし、老女は喜十郎の制止をきかず斬りつけてきた。いや老女・とくではない、これこそ呪われた薙刀の見せる怪異、「薙刀鳴り」だ。
小さな身体のどこにそんな力を隠し持っているのか、「薙刀鳴り」の操る老女は軽々と薙刀を振りかざして斬りつけてくる。刀と薙刀とではまったく武器としての長さが違う。離れて戦う限り、短い刀を持った喜十郎が圧倒的に不利だった。薙刀の斬撃をかわすのが精一杯である。
おまけに長尺の薙刀は、離れたところから相手の――この場合は喜十郎の足元を狙って攻撃することができる。喜十郎にしてみれば、頭を打ってくるか、脛を打ってくるか、にわかに判断がつかないのである。自然と逃げ回ることになってしまう。
「この島より、去れ!」
老女の口から「薙刀鳴り」の叫び声がほとばしる。ひゅういひゅういと薙刀が泣いた。喜十郎は踏み留まって打ち掛ろうとするが、振り回すことによって勢いのついた薙刀の斬撃を刀で受け止めると手が痺れ、足がすくんでしまう。刀の打ち込みとはまるで威力が違うのだ。
「去れ!」
老女が斬撃にさらに勢いをつけるため、頭の上でくるりと薙刀を旋回させた。その瞬間、喜十郎は一か八かの賭けに出た。腰の小刀を抜き放つと、手裏剣のように老女めがけて投げつけたのだ。
部屋に絶叫がとどろいた。喜十郎の手を離れた小刀は老女の肩に突き立った。老女がたまらず薙刀を取り落とす。ひゅういひゅういと鳴っていた薙刀の泣き声がぱたりと止んだ。
「喜十郎――!」
直後に喜十郎は、鷲尾十兵衛に激しく揺さぶられて目を覚ました。我にかえると、真っ青な顔をした鷲尾十兵衛、そして石川屋清右衛門に顔を覗き込まれていた。
「夢……?」
「気は確かか喜十郎。いきなり気を失ったように眠っちまって……まさか『薙刀鳴り』か」
「ああ……。石川屋清右衛門どのの……母御が薙刀を持って現れて」
喜十郎と鷲尾、石川屋清右衛門の三人は半紙のように白くなった顔を突き合わせて頷いた。これこそが石川屋を悩ませている「薙刀鳴り」だった。
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