第2話 島御殿の奥深く、薙刀が鳴く

 夜になると奥座敷に据えられている薙刀がひとりでに鳴きはじめる。

  

 仕事の内容は、石川屋の怪異「薙刀鳴き」を鎮めることだった。なるほど、やっとうの利く武士ではなくて、加持祈祷をよくする山伏の方が役に立ちそうな仕事だった。もっとも、請け負った鷲尾は偽山伏であるけれども。

 

 ――わしが説明するより、石川屋に聞いた方が早いし正確だ。


 鷲尾が訪ねてきた翌日、鷲尾に連れられて喜十郎が向かったのは、石川屋が大きな蔵を連ねる青海新港の沖に浮かぶ小さな島、蔵掛くらかけ島だった。


 青海湾の真ん中に浮かぶ蔵掛島に向かう渡し舟から眺めると、島には大小さまざまな大きさな商船が所狭しと停泊しており、島に上陸すると荷上げ水夫や船に乗ってきた商人たちの活気に凄まじさ驚かされた。


「対岸から見るとただの小島だが、島にやってくると印象が変わるな」

「この小さな島が青海藩と他藩との交易の要だと分かるだろう」

「うむ」

「この島すべてが、代々、石川屋ひとりの持ち物として藩の代官すら置かれておらん。船に課される通行料、船荷に課される水揚げ料も一部は藩に納められるものの、大半は石川屋の手に渡る。その影響力は絶大だ。この島では青海の殿さま以上に、石川屋が殿さまなのだ」


 話を聞くだけでも、石川屋が特別な地位を与えられた商人であることが分かる。鷲尾が藩経済の要と話すのも、大袈裟すぎるとは言えない。


「あれはなんだ」


 水夫や荷車が行き交う港の入り口に、洋装の男たちが数人、周囲の雑踏に目を光らせているのが見えた。腰に小刀を吊り、なかには洋式銃を手に立っている者もいる。


「藩兵だ。物資が集まるこの島を警護するという名目で、最近配置されるようになったらしい」

「藩兵」


 二度にわたる長州征討に当たり、その必要性を痛感した筆頭家老・橘厳慎ら藩中枢が編成した洋式歩兵部隊である。隊員は主に足軽のなかから選抜され、士分の者はほとんどいないと聞いた。そうか、あれが藩の軍制改革の目玉という藩兵か。


「橘家老が新港整備の総仕上げにかかったというのが、もっぱらの噂だ」

「総仕上げ?」

「蔵掛島の直接支配だ。いいか、微妙な問題なんだから石川屋の前でこの話はするなよ。儲け話どころか、わしらの首が飛ぶかもしれんからな」


 さあ、いくぞと鷲尾に促されて喜十郎が向かった先こそ、青海藩きっての大商人にしてこの蔵掛島の支配者、石川屋の屋敷だった。


 石川屋の屋敷は、島にひとつきりある小高い丘のてっぺんに造作されており、島の住人たちからは島御殿と呼ばれていた。御殿の名前どおり、島の支配者に相応しい広大な屋敷である。喜十郎たちは、美しい娘に案内されて、その島御殿の奥深く、長く折れ曲がった廊下を幾つも過ぎた先の座敷に通された。


 しばらく待つうちに座敷へ現れたのは、頬に柔和な笑みを絶やさない三十過ぎに見える男だった。


「石川屋清右衛門でございます。板野さまには、このような島にまでご足労いただき、ありがとうございます。さて――」


 さすが青海一の大商人。堂々とした押し出しである。言葉遣いは慇懃でもへりくだった態度に見えない。実際、下級武士の喜十郎のことなど、歯牙にも掛けていないのだろう。石川屋は山伏姿の鷲尾を一瞥して続けた。


「こちらの玄海どのからすでにお聞き及びのことと存じますが、今当家には頭の痛い問題が出来しゅったいしておりまして――」


 玄海とは、偽山伏としての鷲尾の名乗りである。いかにも山岳行者然として、すました顔を作っている鷲尾だが、どうやって石川屋に取り入ったものやら。喜十郎には見当もつかなかった。


「怪異――と伺っている」

「怪異……左様ですな。怪異といって差し支えありますまい。わが家に伝わる薙刀が夜な夜な震え、鳴くのでございます。ただ鳴くだけではございません。人を傷つけも致します」

「人を。薙刀がひとりでに?」

「ひとりでに……と言っても間違いではありません。現に命を落とした者もおります」

「まさか」

「この屋敷ではいま、摩訶不思議なことが起こっているのです」


 石川屋で不思議な出来事が起こりはじめたのは、まだ暑かった季節だというから、夏の終わりか秋のはじめ、いむから三月ほどまえのことだろう。奉公人のあいだで妙な噂が立ちはじめた。


 夜中、屋敷のもっとも奥まった座敷から鳴き声がするというのだ。もちろん、寝所ではなく、だれもいないはずの部屋である。ひゅういひゅういと鳥の鳴くような音がしたのだという。


 最初は、奥で働く女中たち数人の間で語られる噂に過ぎなかったが、次第にその声を聞いたという人数が増え、庭師、人足など男の奉公人などに広がるうちに、石川屋の耳に入った。


「くだらない怪談だと思いまして、奉公人たちに妙な噂をしないようきつく言い聞かせると同時に、奥の座敷を調べたのです」

「ほう。なにか分かりましたか」

「いいえ。ただ――」

「?」

「座敷ではなく、座敷の奥、裏庭に張り出すように設えた蔵から聞こえてきたと女中たちが申すのです」

「蔵……」

「商売で船荷を入れておくような大きな蔵ではありません。わが家に古くから伝わるものを無造作に放り込んだ。納戸のようなものでございます」


 調べると、物が雑多に積み上げられている蔵の中に、ひときわ長大な長持ながもちが収められていた。


「いかにも年を経たと分かる長持でした。どうもはその長持の中から聞こえてくるらしい。奉公人に命じて開けさせますと――入っていたのは、薙刀でした。薙刀が鳴いていたのです」

「薙刀が……」


 喜十郎か鷲尾から聞いてきた通りである。しかし、石川屋はその後も続いた屋敷の怪異について言葉を継いだ。


「長持を開けた日から、蔵の錠を厳重にし、奥の座敷へ近づかぬよう命じました。しかし翌日、突然三人の奉公人が暇乞いを申し出てきたのです。彼らはそろって『頭の中で鳴き声が止まず恐ろしい』というばかり。詳しい理由を話したがりませんでしたが、ひとりだけ『夢の中に薙刀を携えた死んだ父親が現れ、わたしを殺そうとするのです』と打ち明けてくれ者がおりました」

「夢の中……」

「はい。夢の中に薙刀を持った人間が現れ、夢を見た者を殺そうとするのです。そして先月、ついに夢を見た者のなかから死人が出てしまいました」

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