第九湯 はやく起きた朝はフラペチーノを添えて

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  



 皆さん、いかがお過ごしでしょうか。社畜してますか? 私はお休みです。面倒くさい仕事のない素晴らしい日です。

 枕元に置かれた目覚まし時計の秒針はカチカチと休むことなく役目を全うしています。彼は24時間365日休むこともなく、太陽光というエネルギーで労働を強いられています。これは労働基準法違反と言っても良いのではないでしょうか。時計なのだからそれが当たり前? そんなことはないです。きっと機械にだって休みたいときくらいはあります。働き詰めでは壊れてしまう。

 皆さんも自分のいる環境を当たり前のように捉えてはいけません。会社という村組織は、他人の視点から見たら非常識なことだらけなものです。

 そんなことより(大事なことなのでもう一度)私はお休みです。こんな休日は昼まで寝るにかぎる……。


 朝4時。目覚まし時計がジリジリと泣きわめき、枕にかぶりついていた私の安眠を奪った。

 目覚ましを止めて、むくりとベッドから起き上がる。

 平日よりも2時間ほど早く起床。なぜこの時間に目覚ましがセットされているのか。

 その理由を思い出して、分銅のような瞼をこすりながら洗面所へと向かった。

 だらしなく開けた口の中をやる気のないブラッシングで歯磨き。目の前の鏡には、寝癖の付いた眠そうな20代独身女子の姿が映っている。あくびをすると可愛げのないズボラな顔が歯磨き粉を垂らした。


「ふぁ……。やっぱ朝は苦手だ」


 鏡に映ったまぬけな表情を見て独り笑いした。

 居間に戻り、黒のレギンスに白のカットソーを身に着け、デニムジャケットを羽織る。先週末に買ったばかりの服だ。

 玄関口まで行き、立ち鏡でくるりと回って前と後ろを確認した。

 緩んだ表情に気合いを入れる。


「よし、行くか」


 ドアを開いて、太陽が昇る前の浅葱色に染まる駐車場へと向かった。

 予報によると、本日の天気は晴れ。真夏ということもあって午後の最高気温は各地で30℃超えの予報がされていたが、早朝の横浜は太陽が昇る前のしんとした雰囲気の涼しさに包まれていた。

 ロードスターに乗り込み、エンジンを掛ける。それを合図にしたように、わずかに灯っていた街灯の明かりが消え、一日の開始準備が整ったことを私に知らせてくる。

 念のため、夏帆に連絡しておこう。


 沙耶: 今から向かうね


 送られたメッセージはすぐに既読が付き、待ってましたとばかりに夏帆からの返事が来た。


 夏帆: りょうかい!

    こっちもちょうど向かうところです


 反応があってよかった。失礼ながら、目覚ましが鳴り響いている真っ暗な部屋の中でよだれを垂らしながら睡眠を貪っている夏帆を想像してたので。


 ロードスターを走らせて喫茶店へ向かう。集合場所を喫茶店にしたのは、共通で知っている場所であること、なによりも私と夏帆の住居からほぼ中間地点に位置することが決め手だった。

 市街地を通り抜けながら窓に映る景色を眺めると、車も人もほとんどいない静かな街並みが続く。ジョギングをするジャージ姿のおじさんが一人二人ほど居るくらい。まるで世界から多くの人間が消えたような気分である。人見知りにはちょうどいい世界だ。……ずっと、こんな世界になればいいのに。


 人類削減計画について考えを巡らせていると、あっという間に喫茶店に到着した。

 薄明の駐車場に入るなり、店先でスマホをイジっていた女の子がこちらに向けて元気な笑顔で「おはよー!」と手を振ってきた。

 茅野夏帆。私の数少ない──友達だ。

 夏帆は白のノースリーブにデニムというシンプルでカジュアルな服装である。おでこに掛けられたサングラスがエッジの効いたワンポイントアイテムになっている。

 停車して降りると、夏帆は店の前のパイプと自転車を繋ぐ鍵を再確認していた。マジマジと見たことがなかったけれど、いわゆるクロスバイクと呼ばれるタイプの自転車らしい。そっち方面の知識のない私にとっては、何となく高級感があってカッコいいイメージがある。


「そのバイク高そうだね」


「うん? どうだろ、相場ってところじゃないかな。これ運動不足の解消って名目で成人祝いに買ってもらったんだ」


 夏帆はサドルを愛でるように撫でた。


「この色あい、ピカチュウみたいでカワイイでしょ!」


 ……自転車のカワイイさはよく分からないけど。たしかに、黄色のフレームと黒色のホイールは、ねずみポケモンのカラーリングだ。

 私が中学の時に愛用していたママチャリはスタンドで自立していたけれど、目の前にあるものはスタンドはないようだ。スタンドが付いてないほうが、見た目もスッキリしてカッコよさそうではあるけど、


「スタンド付いてないと不便じゃない?」


「うーん、そうだね。停めるところ選ばないといけないから、せっかくよさげなお店見つけても入れなくて諦めることもあるね……。まぁでも、そのおかげで『目的の場所以外は行かないっ』という決心もつきますから!」


 えへんっと大きな胸を反りながら夏帆は言った。

 なるほど。不便さというのは、時に目的・目標を揺るぎないものにするために有効かもしれないな。

 ……でも夏帆さん。あなた、ここ最近、昼夜問わず美味しそうな写真をインスタに上げまくってるじゃないですか。

 そんな訝しげな視線を送ると、知ってか知らずか夏帆は自分の下腹部をぷにっと摘みながら寂しそうな表情で俯いた。


「まぁ、最近はバイクラック置いているお店が増えてきてるから、このザマなんですが……」


「ダメじゃん……」


 呆れる私に対し、夏帆はプンスカと「そんなことは今いいの!」と憂いを振り払うように眉に力を入れ、


「それより、そろそろ出発しますかっ!?」


 マサラタウンを旅立つ新人トレーナーのような希望に満ちた表情を向けてきた。

 横から曙光が差してきて、目を細めてそちらを見る。太陽が顔を出してじんわりと街に明るさが広がってきた。金色の光が私たちの顔を照らした。


「なんか良いね。これから始まるって感じがして」


 太陽に負けない明るい笑顔で夏帆はそう言った。

 私も笑みをこぼしながら首肯した。


「うん。出発しよう」


 ロードスターに乗り込み、エンジンを始動させる。

 陽が昇る中、ロードスターは真紅を反射させながら都内を北上していく。

 私たちの休日が始まった。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  



 街に朝がやって来て、セミたちも一日の始まりを感知してジリジリと泣き始めた。

 都内は少しずつ交通量が増えてきている。仕事のある人。遠くに出かける人。みな車やバイクに乗って目的地に向かっている最中である。

 信号が赤になると夏帆が声を掛けてきた。


「ねぇ、サヤちゃん」


 あくびを噛み殺しながら「はぁーぃ?」と助手席に振り向くと夏帆が吹き出した。


「ぷふっ! サヤちゃん眠そう~。朝弱いんだねっ!」


 いつも見せる快活な笑顔とテンション。夏帆は至って平常運転である。どうやら朝に強いタイプらしい。……というか、


「夏帆が元気すぎるんだよ……」


 こんな早朝にテンション高いほうがおかしい……。

 昨日はいつもより早めに床についたけれど、それで寝付きが良くなるわけでもなく、なかなか寝れなかった。この時間、平日の私ならやっと起き出してイヤイヤ朝仕度を始める頃合いだ。そんな私にとって普段よりも2時間早い起床はかなりの無理ゲーだった。

 考えてみると今日は朝食を食べていない。やはり一日の始まりは健全な食事が必要である。

 よさげな朝食スポットはないかと流れる景色に目をやると、緑色の人魚がロゴのお店が目に入ってきた。


「そこのスタバ寄ってもいい? 何かしら食べたら目覚めそうな気がする」


「うん、いいよ。あたしもまだ朝ごはん食べてないし」


 了承を得て、ハンドルを左に切ってドライブスルーへと入っていく。

 夏帆は手元にスマホを用意しながら問いかける。


「よくスタバでコーヒー飲むの?」


「普段はあんま寄らないけど、早朝ドライブにはスタバが最適なんだよね。……ほらカフェインと糖分を一緒に取れるし」


 夏帆はカフェインと糖分という単語を聞いて、私の考えている物を想像できたらしい。


「あ、いいねそれ。あたしもほろ苦いフラペチーノ飲みたい! なんか朝にカフェイン取るのって大人っぽいよね」


 いや、そうは思わないけど……。

 一般的なフラペチーノは、コーヒーとミルク、クリームなどをフローズン状にした飲み物だ。カフェインで脳を活性化させ、糖分で集中力を高める。

 ……本当のことを言うと、大量の糖分摂取は血糖値を一気に上げてしまい、身体が血糖値を下げようとして低血糖になるので注意が必要だ。朝食として炭水化物やタンパク質を取ることを忘れないようにしよう。


「食べるものは何がいい?」


「せっかくだし、サヤちゃんとおんなじのを食べたいなぁ~」


「了解」と言って、注文するためのマイクが設置されている場所までロードスターを進める。そして屋根をオープンにして、マイクに向けて大きく手を振った。

 すると夏帆が慌てたような恥ずかしがるような表情で左腕に飛びついてきた。


「サ、サヤちゃん何してるのっ!? そんなことしなくても店員さん気づいてくれるよ!」


「いや、こうしないと反応してくれないことがあるんだよ……」


 ロードスターの車高が低いせいなのか、それとも私の覇気が足りないのか、マイクのセンサーが反応してくれないことがあるのだ。

 そんな杞憂があったけれど、スピーカーからガサッという接続音がして、すぐに店員さんの声が聞こえてきた。


『おはようございます。ご注文お伺いします』


「サラダラップ2つと抹茶クリームフラペチーノ、それと――」


 助手席を振り向き、スマホでメニューを確認した夏帆に問う。


「夏帆、飲み物どうする?」


「!」


 夏帆は目をカッと見開き、運転席側に乗り出しながら大きな声で、


「期間限定の『山梨 ててっ!! ぶどう ホワイト チョコレート クリーム フラペチーノ』をおねがいします! 以上ですっ!」


『承りました。前方の受け取り窓までお願いします』


 ロードスターを前に動かしながら私はつぶやいた。


「ほろ苦いどころか、甘々な飲み物なのでは……」


「はっ! 期間限定という言葉に弱いもので、つい……」



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  



 注文の品を受け取った私たちは、その先にある公園に向かった。

 砧公園。世田谷区にある都立公園で、花見の名所としても知られている。

 車を駐車場に停めて園内を闊歩する。広々した野原はシロツメクサが咲きほこり、碧々とした桜の木が囲んでいた。太陽が低い位置から差し込み、朝露に濡れた草木をオレンジ色に染めている。

 私は近くにあったベンチに座ってそんな景色を眺めながら、お手洗いに行った夏帆の帰りを待っていた。けれど、私の手元にはとても美味しそうなものが握られていまして……。我慢できないので先に一口いただいちゃおう。

 サラダラップは、チキンとレタス、ニンジンなどの根菜を抹茶ペーストのトルティーヤで包んだもの。ゴマ風味のタレが非常にマッチして美味しい。

 そして抹茶クリームフラペチーノ。抹茶のほろ苦さとバニラシロップの甘さが絶妙。抹茶の緑とクリームの白が混ざり合って清涼感を演出する。この爽やかな味わいと見た目が夏の朝にぴったりなのだ。

 紙ストローの柔らかな感触を唇で感じながらチューチューと吸う。フローズンの冷たさと地面から上がってくる涼やかな空気で体感的には少し寒いくらいである。

 八分丈の足を上げて縮こまった姿勢でフラペチーノを飲んでいると影が近づいてきた。顔を上げると夏帆がスマホをこちらに向けて立っていて、その瞬間パシャリとシャッターが切られた。


「……なに撮ってるの」


「えへへ〜。低血圧サヤちゃん、かわいいなぁ」


 だらしなく口を開いてニヤニヤ笑う夏帆はその写真を見せてきた。

 体育座りの体勢、萌え袖の両手で握りながら、上目遣いで悩ましげな視線を送る私の姿がそこに映っていた。

 体温が一気に上がり、火照った顔で夏帆のスマホを奪おうとする。


「け、消せぇいいい!!」


 誰もいない早朝の公園。広々とした清々しい野原で大人ふたりの追いかけっこが始まった。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  



 朝ご飯を摂り、適度な運動をしたことで完全覚醒した私たちは、ドライブを再開して環八通りをひたすら北上していた。

 ポーンッという軽い音が車内で鳴り、センタークラスターにセットされたスマホが案内音声を流した。


『7km先、左方向です』


 了解。しばらく直進ね。左に行く直前にまたナビが案内してくれるだろう。

 ナビアプリと背もたれに思考と身体をそれぞれ預けてリラックスして走らせる。

 やがて道は下り坂になり、地下のトンネルへと吸い込まれていく。天井の一部が開放されたところから朝の白い日差しが差し込んでいたけれど、だんだん天井が覆われていき、トンネル内のオレンジ色の光に照らされることになる。

 二車線のトンネル内は段々と交通量が増えてきて、左車線を走る車両が多い印象を受けた。山梨方面に行く車たちだろうか。

 夏帆も同じことを思ったらしく、助手席の窓に顔をくっつけるようにしてつぶやいた。


「賑わってきたね。みんなお出かけするんだなぁ。いいなぁ」


「……私たちも現在進行形でお出かけしてるよね?」


 そろそろ私たちもルート変更をするタイミングだろう。先程ナビの音声が流れてからだいぶ経ったはず。あとどれくらいで左方向かな…………。

 スマホ画面をちらりと見た私に衝撃が走った。


「ぎゃあああああああああ!!」


「ひぇえええええええええ!!」


 夏帆が心臓を抑えるように手を胸に当てながら、こちらの表情を伺ってきた。


「 ……ど、どうしたの?」


 おそらく私の顔面は蒼白だったに違いない。


「ナ、ナビが、うごいてない……」


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