喰らう


 あれから、どれぐらい時間が経ったのだろう。

 一瞬の間かもしれないし、何日も経っていたのかも知れない。

 頭の中が真っ白になっていた。


 ……だが、トカゲを踏みつけてる足の裏から伝わる温もりは、まだ暖かい。

 時間は、たいして経ってなかった。

 最初に感じた変化は、脱力感。

 肉体を包む万能感は消え、猛りも静まっている。

 筋肉へ力を流し込んでいた名の残滓は、消え去っていた。

 俺は、飯を得る代償に名の残滓を使い切り、自分の名への手がかりを失ってしまった。

 ただ言いようのない寂しさだけが残った。


「ふぅ」


 息を一つ吐き出す。


 失った名を取り戻す手がかりもないのに考えてもしょうがない、今成すべきを成すだけだ。

 まずは、ダメージの確認が先か。


 戦闘で怪我した腕の傷を見ると、血はもう止まっている。

 他に怪我は無いようだし、動くのに問題無い。

 広場の中央を見ると、さっき吹き飛ばしたはずの瘴気が、また沸き上がっているのが確認できた。

 幸い、他の獣どもはチラリともしないので、逃げ散ったままのようだ。


 周りの状況は大体把握はあくした。

 では……


 俺は、踏みつけている敗者トカゲを見下ろした。


「ゴクリ」


 思わずつばを飲み込むと、腹がグウッと鳴った。


「……くらううか」


 ならば、調理お料理の準備が必要だ。

 なぜなら、俺は文明人だからだ。

 文明人らしく、美味しく調理お料理したいのだ。


 幸い、血抜きは終わっていた。

 トカゲの身体を抱えて、湧き水から流れる小川に、ドボンッと投げ込む。

 湧き水は冷たかった。

 流水が、トカゲから急速に熱を奪う。

 肉を腐敗させる温度を急速に通り過ぎ、肉を冷やす。

 冷えれば、肉を長持ちさせるだろう。


 辺りを探すと、小川の周りに嬉しい物が有った。

 肉の臭い消しに使える香草だ。

 なぜか食い物に関する記憶は、しっかりと頭の中に残っている。

 有り難かった。


 試しに香草をちぎり、口の中に入れてみる。

 咬む。

 シビれや、危険な苦みは無い。

 代わりに香草の癖のある香りが鼻を抜ける。

 間違いないようだ。


「ありがてえ、同じ喰うなら美味うまい肉だ」


 俺は、香草を摘まみながら、たき火の準備を始めた。

 落ちていた石を半円状に積んで、簡易の炉を作る。

 辺りを見ると、太い枯れ木が、巨木に巻き込まれたのか、横倒しに倒れていた。


 丁度良い。


 邪魔な枝を、付け根部分から踵で蹴り抜く。


 ボグンッ!……バグンッ!!……


 小気味よい音が森に響く。

 踵の一撃で、面白いように枝払いがはかどる。

 枝払いが済めば、丸太のできあがりだ。

 できあがった丸太を、岩と岩の隙間に挟む。


 バコッッ!!!


 おうちゃくして、テコの原理でへし折る。

 短くなった丸太を、炉の内側で平行に並べる。

 その上に、細い枝を平行に積み上げると、炉の準備は完成。


 さっきまで燃えていた若木の元へ行くと、火はほぼ消えかけていた。

 だが、煙の上がる熾火おきびが残っている。

 枯れ草を集め、火口ほくちに使う。

 熾火おきび火口ほくちに移し、枯れ葉、細い枯れ枝、太い枯れ枝の順で火を大きくしていく。


 大きくなった炎が、辺りの温度を上げてくれる。

 石を簡単に並べただけの炉でも、石壁が炎の熱を反射して熱効率を上げる。


 次は、肉を調理するための場所の確保だ。

 コレは、少し困った。

 調理するための清潔な場所や、道具が無い。

 こう見えても、俺は文明人だ。

 料理をするのに、まな板の1つも欲しいところである。

 辺りに、何か使えそうな物は落ちてないか探すと、良いモノが見つかった。


「これを使うか」


 まだ瘴気の霧を湧き出し続ける中心、そのすぐ下に真っ黒な大岩があった。

 俺の両手でギリギリ抱えられる大きさの岩が、土の中から顔を出している。

 詳細は思い出せないが、この大岩を処分せねばと、筋肉がささやくのだ。


 だが……そんな事は、ついでだ。

 今の俺には、この大岩を使い、やらねばならぬ事がある。

 それは……


 調理お料理ッッ!


 空腹はらぺこなのである。

 今すぐ目の前の肉を調理お料理せねばならぬ。

 そして、泥の上で調理お料理など論外。

 なぜなら、俺は文明人だからだ。


 と、いうわけで、岩の前でしゃがんで押してみた。

 びくともしない。


 だが、動く。


 動くという確信だけがあった。


 ならば……


 俺は、岩の前で両股を大きく割り、蹲踞そんきょの姿勢を取った。


フンッッ!!」


 気合いと共に、俺は立った。

 全身をバネへと変え、岩へと胸からぶちかます。


 グボンッッ!!!


 鈍い音が森中に響く。


 衝撃。

 動いた。

 手応え。


 そのまま両腕で、岩を抱き込む。

 力がみなぎり、全身の皮膚が真っ赤に染まる。

 直接岩に触れた皮膚が燃えるように熱い。

 だが、それがどうした?


 再度の気合い。


ッ!…セイッッ!!!」


 抱きついた姿のまま、一瞬に力をこめる。

 岩は土中で大きく動いた。

 力の代償に、トカゲの爪で切られた腕の傷が開き、血が吹き出す。


 無視。

 どうせ、すぐに血は止まる。


 そのままガブる。


「ウントコォォオオオオオオオオ~」


 地の底から響くような吠え声が、太喉からうなり出る。


「ヨイッッ!! ショォオオオオ~~」


 岩の動きに合わせ、かいなひねり、岩と大地の繋がりをねじり切る。

 岩が大きく動いた。


「ドォゥッッコイッショッッ!!!」


 おおきなカブを引き抜くように、土の中から岩を引っこ抜いた。


 デカイ岩であった。

 真っ黒な岩は、俺の胸の高さぐらいは有る。

 しかも、中身のよく詰まった堅く重い岩である。


 さっきまで岩があった場所に大穴が空き、地虫が驚いて逃げ出している。

 俺は、引っこ抜いた岩を岩場にゴロンと転がした。


ぅー」


 息を整えながら、大岩を観察する。


 割れる……


 岩を眺めている内に、気がついた。

 俺は、何の理由も無く、この重く堅い大岩が割れると思った。

 割れるという確信があった。

 表面を撫でながら、石の目を読む。

 石には、幾重いくえにも堆積たいせきした層があり、その層を目と呼ぶ。

 石の目にほんの少しの力を加えると、綺麗な断面に割れるものなのだ。


「ふむ……ここかな」


 表面を触っている内に、最も弱い部分が俺にささやきかけてきた。


 力が見える。

 どこに力を加えれば対象物を破壊できるのか、その感触が手のひらから伝わってくるのだ。

 俺は岩の角度を調整し、意識を集中する。

 右手は、手刀を造る。

 左手は、岩の出っ張り部分に指をかける。

 息を吸い込み、全身を使い右手刀をユックリと降ろす。

 この動作を何度か繰り返し、丹をり上げる。


「シュッ」


 息を吸い込む。

 カッと、目を見開く。

 全身に力がみなぎる。


 気合い。


「セェィッッ!!」


 手刀とは反対の左手。

 大岩の出っ張りに引っかけた左腕の筋肉が、瞬時に膨れ上がる。

 力が左手指先に伝わり、大岩を瞬間的にほんの少し浮かす。

 大岩の動きに合わせ、右手刀を振り下ろす。

 ほんの少し浮かんだ岩が再び下の岩場に落ちる瞬間……全ての力が合理する瞬間に右手刀が岩の目を穿うがった。


 バッグォンッッ!!!


 俺の胸の高さまである大岩は、真っ二つに割れた。

 自然石割りは難しくはない。

 ちょっとしたコツを知れば簡単なのである。

 実に他愛たあいのない作業であった。


 周囲に漂う瘴気も、衝撃波によって爆発的に吹き祓われた。

 大岩から湧き出す瘴気の霧は、綺麗さっぱり消え去った。

 残ったのは、真っ二つに割れた黒い大岩だけだ。


 俺は周囲の変化を無視して、真っ二つの岩を確認した。

 大岩の断面は、綺麗な平面になっていた。

 まな板に丁度良い。

 自分の仕事に惚れ惚れとする。


 周りも、清浄な空気が森全体に拡がり、視界を遮る物は無くなった。

 良く解らないが、息苦しかった狭間ダンジョンの圧迫感が消えている。

 どうやら狭間ダンジョンの息の根を止めたようだ。

 達成感のようなものがソウルに沸き上がる。

 清浄な空気を肺いっぱいに吸い込むと、心地がよい。


 これで美味しく調理お料理できると、安堵して準備を続けた。


 ~~~


「さて、喰うぞ」


 羽をむしり終えたトカゲの脚から、折れていた脚先をねじ切る。

 折れた部分をねじると、あっさり脚先がとれた。

 解体道具代わりに、鋭い爪をナイフとして使い、トカゲの腹を裂く。

 ドロリ、と内臓がこぼれる。


 ゴクリっ!


 大量の唾を飲み込む。

 血臭ちにおい香る内臓は、俺の食欲をそそった。

 本能に従い、生の肝臓レバーを手に取る。


 ギュルルルルルルルルル……


 腹が盛大に鳴った。

 俺は、火も通さず、かじりついた。


 モッシャモッシャジュグッモシャモッシャモッシャジュブグジュモジュ……


 顔中を血で汚しながら齧りつく。


 美味ぅんまぃぃいいい~~~ッッッ!!

 美味ぅんまぃぞ!

 美味ぅんまぃ美味ぅんまぃ美味ぅんまぃゥンマイ美味ぅんまぃゥンマイゥンマイゥンマイゥンマイゥンマイゥンマイゥンマイゥンマイゥンマイゥンマイ……


 全身の筋細胞が喜んでいた。

 血の滴る肝臓の味を言葉で表すなら、『滋味ジミ』であった。

 滋養が、飢えた細胞に染み渡るのだ。

 これを美味いと言わずして、何を美味いと言うのか。

 俺は、今まさに生命を喰らっているのだ。


 感謝であった。

 全筋肉が、生命に感謝していた。

 コイツトカゲと俺は、さっきまで命のやり取りをした関係なのに、トロケそうなほど美味いのだ。

 感謝するなと言う方が嘘だ。


 食える部位は、残さず喰らう。


 意味は無い。

 ただ、なんとなく、そう思った。

 全部を喰らう。

 それが命への礼儀だと思ってしまった。

 なので、食える部分は全部喰らう。

 意味の無い義務感を覚えた俺は、レバーを完食した後、喰うための解体を始めた。


 独り謝肉祭カーニバルの始まりだ

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