狭間(ダンジョン) 2


 大きなトカゲの頭が俺を睨みつけている。


 極彩色ゴージャスなトカゲは、後ろ足2本で前傾姿勢になり立ち上がった。

 立ち上がったヤツの頭頂部は、俺より頭二つ分高い場所にある。


 超派手ドデケエ……俺よりも超派手ドデケエ


 デカイ頭には二本のツノ。

 二本のツノから尻尾の先までなら、優に俺3人分の長さだ。

 その姿を前に、俺の筋肉が激しくざわつく。


 トカゲは、今の一撃ブッコミがなんでかわされたのかを、不思議そうに何度も首を傾げながら、俺との距離を測るようユックリと左回りに歩き始めた。

 頭の大きさの割に小さなトカゲの目が、飛びかかる隙を探る。


 そして……炎。

 半開きになったデカイ口からは、鋭い牙……と、周囲の瘴気の霧よりも濃い常闇とこやみ色した炎が漏れ出す。

 トカゲの後では、火が輪を描くように環状になって奇形の若木を燃やしている。

 火輪の中央には……どす黒く腐食した若木の残骸。


 二本のツノをはやした獣。

 常闇とこやみ色の炎……


 その光景を見たとき、筋肉から脳へ雷撃スパークが走った。


 "オーガ


 とてつもなく危険なイメージが頭に届き、知っている言葉に変換された。

 そのイメージは、おぞましき呪いの獣を意味していた。

 しかも、目の前のトカゲはただのオーガではないと、俺の筋肉が囁く。


 ”鬼王オーガチャンピオン


 オーガの中のチャンプ鬼王オーガチャンピオンである。


 それにこの炎、ただの炎では無い。

 理外の炎。

 全てを怨む常闇とこやみほむらだ。


 その証拠に、常闇のほむらは単に熱を放射するだけではない。

 視線の端には、燃え上がる炎輪の中心で、ズブズブと音を立て腐れ果てていく地面が見える。

 ほむらが触れた場が瞬時に腐り果てる光景は、到底この世のことわりでは説明できない。


 ……コイツは危険ヤバイ


 筋肉が微かに震えていた。

 狭間ダンジョンべる王者チャンプを前に、筋肉が非常事態を告げる。


 だが!

 これはッ…武者震いッッ!!!


 俺の荒ぶるソウルは、王者チャンプを前にしても、一歩も下がっては無かった。

 俺の腹底に残った名前の残滓が激しく反応して、武者震いを起こすのみ。

 鬼王オーガチャンピオンを撃ち倒せと、俺の名が筋肉に干渉していたのだ。


 ならば、事は簡単である。

 俺の鍛え抜かれた筋肉を信じ、勝つ算段を錬るのだ。


 俺の文明的思考は冷静にトカゲの戦力分析を始めた。


 木登りに発達した前足の爪は、刃物の如き鋭さでありながら堅牢。

 オリハルコンでさえも切り裂くだろう。

 長い尾で殴られれば、ただでは済まない。

 口からチロチロと見えるほむらは危険。直接触れるワケにはいかない。

 あの身のこなし、見た目より体重は軽い……つまり、骨の密度は低い。

 太い前足のワキには、滑空羽が折りたたまれている。

 滑空羽は、風を操り、空気の刃を産み出す。

 全身を覆う羽毛は、打撃を吸収する。

 弱点は、羽毛の無い脇の下、剥き出しの脚。

 そして何より、コイツの肉は、とびきりの美味さだ。


「……ん?」


 情報を分析している内に、変だと気がついた。


 何で……知ってんだ?


 不思議であった。

 俺の記憶は、目の前のトカゲを知っていた。

 曖昧な筋肉からのイメージではなかった。

 頭にしっかりと残っている記憶だ。

 トカゲの名前は全然思い出せない。

 だが、知っている。

 このトカゲと俺は、以前どこかで出会っていたのだ。


 ……知っているぞ。

 こいつがどんなに強いのか。

 どうやれば倒せるのか。

 そして、どんなに美味いのかを。

 ……知っているぞ。


 不思議であった。

 だが、今は混乱したままでいられる余裕は無かった。


 …ザクッ!


 トカゲの動きが、広場の中央……瘴気渦巻く中心の前でピタリと止まる。


 今度は何だ?


 トカゲの後ろに何かあった。

 それは、巣だ。

 瘴気の渦の前に、枯れ木を束ねた鳥の巣がある。

 大きな鳥の巣の中には、卵がいくつも並んでいる。


 俺の頭脳は、瞬時に理解した。


「そうかい、オメエの子育てを邪魔しちまったのか?」


 瘴気渦巻く中心へは、他の獣どもが近づけないのが容易に推測すいそくできるだろう。

 さすが鬼王オーガチャンピオンの巣だ、最も安心安全な子育て環境である。


 だが、俺の問いかけに、トカゲは予想と違う反応を見せた。


「ケッケケケケケケ……オオ…オレサマオマエマルカジリ…ケケケケ……」


 しゃべったぁッッ!?


 トカゲの口から、あふれるヨダレと共に、人に似た言葉が飛び出したのだ。


 しかもわらっている?


 トカゲは、その目に邪悪な知性の光を宿し、わらっていたのだ。

 爬虫類に表情筋など無いから、わらうわけは無い。 

 ましてや、トカゲがしゃべる訳などない。

 なのに、その表情はわらっているとしか表現ができず、しかもしゃべった。

 つまり、このトカゲには知恵があるのだ。


 どうやら、トカゲは、自分の卵を守ろうとしてるだけでは無さそうである。

 やつの目的は……


「……なんだよ、オメエも空腹ハラペコなのかよ」


 大量のヨダレを流しながらわらう姿からは、トカゲの考えている事が容易に察せられた。


 おもしれえ。


 トカゲは、俺を食料として見ている。

 俺もまた空腹ハラペコである。

 しかも、おあつらえ向けに調理用の火まで用意されていると来た。


 霧散していた。

 鬼王オーガチャンピオンと化したトカゲへの警戒感など霧散していたのだ。


「ゴクリっ」


 俺も口の中いっぱいに溜まった唾を飲み込み、本能のまま笑顔わらい返す。

 俺の笑顔に、一瞬トカゲの顔が引きつったように見えたが、すぐ元のわらい顔に戻った。


 今ので、ヤツにも通じただろう。


 互いに、笑顔で見つめ合う。

 美事みごとな、文明的対話コミュニケーションである。


 俺とヤツは今、分かり合えたのだ。


 そうだ……そうこなくちゃいけねえ。

 ……分かりやすくて良い。

 この戦いは、勝った方が相手を喰らうのだ。


 勝てれば喰らい。

 負ければ喰らわれる。


 実に単純シンプルで、分かりやすい話ではないか。

 ヤツも、ソレを理解している。

 オレも、ソレを理解している。


 さっきまでの、何が何だか分からない状況とは雲泥の差だ。

 コイツは、強い。

 そしてなにより、コイツの肉は美味オイシイいのだ。


 ”ヤツをむさぼりくらえッッッ!!!”


 俺の最も原始的な部分が叫んでいた。

 タギっていた。

 俺の命が、タギっていた。

 一匹の獣として。

 空腹ハラペコの獣として。

 あらん限りの血潮が、タギるのを止められない。


 ヤルゾヤルゾャルゾヤルゾヤルゾ…ヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾヤルゾ……


 お前俺を喰らいたいんだろ?

 俺お前を喰らいたい!

 気が合うじゃねーか。

 やってやる…ッ!


 ……ドクンッッ!!


 心臓が跳ねた。

 俺の腹底で何かが反応した。

 名の残滓が、腹底でグボリッッ!!と動いたのだ。

 現世に名を顕現させようと、名の残滓がその存在全てを使い暴れ狂う。


 ギチッ…ミチギギギチミチチチチ……


 ソウルが軋む幻音がする。

 ソウルの軋みに同期しミチミチうねる筋肉から、明確な命令が脳へと届いた。


 "名を叫べッッ!!"

 "名を叫べば、名にソウルが宿り、名は世界と繋がり大いなる力となる"


 と、全筋細胞が叫ぶのだ。

 命令を合図に、腹底に残る残滓全てが寄り集まり、名前が形になる。

 同時、脳へと、この世成らざる音が伝わった。

 不可能な帯域まで拡げた声帯からソウルの咆哮が沸き上がった。


「○××~~~ッッ!!!」


 俺のこの世ならざる発声は、声帯を一瞬で破壊した。

 次元の違う存在が直接言葉を発すれば、こういう音になるのだろうか。

 声帯を代償に、人では発声不能・可聴不能な名前が現出する。

 もう一度叫べと言われても、二度と同じ発音はできない。

 名前の残滓全てを振り絞り、不可能を可能と成したのだ。


 筋肉へと凄まじい力が流れこむ。

 それは、ソウルの暴流。

 ソウルの暴流が、肉へ変異をおこす。


 筋圧を! 筋艶を! そして筋肉が怒張パンプアップし、筋肉領域間合いが爆発的に拡がった。


 俺を取り巻く世界が変わった。

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