16 性的趣向

 華奈が帰った後、私は必死にドアを叩いて二人の名前を呼んだ。しかし、何度呼んでも返事はない。


 他の部屋から出てきた白髪交じりのおじさんとキャバ嬢風の女性からは、疎まし気な視線を送られてしまった。それでもやめるわけにはいかなかった。


 ふと、淳樹のことを思い出す。彼は一つのことに熱中すると周りの声がまるきり聞こえなくなる。その集中力がチーター並みに優れているから、キャリーケースにお揃いのチーターのシールを貼ったんだった。


 獲物を狩るチーター。その光景を想像して吐きそうになった。

 お願いだからマイカに手を出さないで。


「大丈夫ですか?」


 突然背後から声を掛けられて身体がびくつく。反射的に振り向くと、衝撃の人物が瞳に焼き付いた。


「今鍵を開けます」


 納豆の男性だ。彼はすっとかがみ、手際よく鍵を開けた。


「あの、どうしてここに……」

「アルバイトです」

「え」

「女性からこの部屋で問題があると聞いて、マスターキーを持ってきました」


 きっと華奈だ。彼女が帰り際に事情を伝えてくれたのだろう。心の中で感謝しつつ、納豆の男性とこんな形で再会したことへの動揺が隠しきれない。


 驚きと恥ずかしさで身体が硬くなる。しかし、彼が鍵を開けて中に入り、部屋へのもう一つのドアに手をかけたときに我に返った。すぐさま後に続く。


 様々な感情が綯い交ぜになり、かつてないほど心臓が爆ぜた。身体の芯が燃えるように熱く、動悸がひどい。それでも今はマイカを助けなければいけない。


 意を決して部屋に足を踏み入れる。


 キングサイズのベッドの上に彼らがいた。

 服を着たままの淳樹と、腕を後ろ手に拘束されて肩がはだけたマイカ。


 淳樹は手に凶器のような棒を持ち、マイカの肩からは鮮血が流れている。


 私はありったけの声量で叫んだ。すぐさまスマホを手に取り、震える指で番号を押した。一、一、〇――


「大丈夫ですよ」


 突然指が大きな手に包み込まれた。あたたかな体温が伝播し、徐々に震えが収まっていく。状況を飲み込めないまま顔を上げると、色素の薄い二重の目が私を見据えていた。


「凶器じゃないです」


 男性はすっと私の指から手を離すと、キングベッドの上に乗った。フリーズしている淳樹から鮮血の滴る棒を手際よく奪い取り、マイカには掛け布団をさっとかけた。


 彼は私の方へ戻ってきて、淳樹の持っていた棒を目の前に差し出した。


「蝋燭です」

「ろ、ろうそく……?」

「はい。SMプレイの一種です」


 SMプレイ。淳樹とその言葉が結びつがず、うまく息が吸えない。


「カラーバリエーションも豊富なので血ではありません。さほど熱くもないので性行為用の低温蝋燭です」


 男性はそういうと淳樹に蝋燭を返却した。狼狽している彼は、蝋燭をうまくつかめず、シーツに落とした。赤い蠟がシーツをグロテスクに汚していく。


「事件性はないので、職務に戻ります」


 男性は何事もなかったかのように部屋を出て行った。


 残された私たち三人は誰も口を開こうとはしなかった。


 部屋に飾られた無数の蝋燭の光だけが、静寂の中で揺らめいていた。


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