プリン事変〜雨宮兄妹の仁義なき戦い〜

松浦どれみ

第1話 発端




「な、何じゃこりゃ!」


 かけるは、口に含んだものに異変を感じた。シンクに吐き出し、口をすすぐ。


「お兄ちゃん、大丈夫?」


 ダイニングの入り口から彼の背中を見つめ、妹の結菜ゆいなは怪しい笑みを浮かべている。

 その声の方向に振り向くと途端に視界が暗くなり、体がぐらついた。


「お前ー! 何を盛ったー!」


 そう言って、翔はその場にうずくまった。




 兄妹間の会話で「何を盛った」とは物騒な話である。

 しかし、雨宮兄妹にはそれが不自然ではなくなる理由があった。


 事の発端は一年二ヶ月前に遡る。


「……最悪。また始まった」


 自室で趣味の漫画を描いていた妹の結菜は、ここ最近ある悩みを抱えていた。

 隣の部屋から、一定のリズムで壁に何かが当たる音と、甲高い喘ぎ声が聞こえるのだ。


「他所でやってよマジで」


 ベッドが壁際にあるのも、兄に彼女がいるのもどうでもいいが、家でするのはやめろと、結菜はそう言いたかっただけだった。

 兄の翔が高校生になったのは二週間前。昨日から二日連続で女子を連れ込んでいる。

 雨宮家の両親は共に駅前で美容室を経営しているため、帰りも比較的遅い。それをいい事に翔は女子を連れ込んでいるが、中学二年生の妹への配慮は全く無かった。かなり不愉快である。


「お兄ちゃん、私がいる時は彼女連れてくるのやめてくれない?」

「はあ? 俺の部屋なんだから誰を連れて来ようと勝手だろ」


 意を決して結菜は兄に直談判したが、彼は全く聞く耳を持たなかった。まるで彼女が聞き分けのないことを言っているような態度で、眉間に皺を寄せ結菜を睨みつける。

 見目は良く明るい性格の翔は、幼い頃から世界の中心が自分だと思っているような、とんでもなく我儘な人間だった。

 内向的で大人しく、兄曰く「趣味が根暗」な結菜は、いつもならここで諦めている。

 しかし、平穏な日常のため、引くわけにはいかなかった。


「じゃあはっきり言うね。誰を連れてくるのも勝手だけど、他所でやってほしいの」

「ん? ああ、何? お前聞き耳立ててるわけ?」


 ここまでデリカシーのない人間だとは。結菜は怒りで体が僅かに震えた。


「聞きたくなくても聞こえるの! 迷惑!」

「はいはい。モテないオタクの戯言だな。嫌なら寄り道するか、音楽でも聞いてろよ」


 翔はそのまま「腹減った」と言いながら階段を降りて行く。もう結菜は返す言葉も気力も無かった。



 その後、翔は相変わらず女子を連れ込むのをやめなかった。両親の休みである火曜日以外で週に五日は来客がある。しかも彼女なのかと思えば、ほぼ毎回別な女子が遊びに来ているようだった。


 結菜のストレスは日ごとに増していった。

 友人宅に寄るなどして避けたりもしたが、毎日というわけにもいかず、声をかき消すほどの大音量で音楽をかけると、気が散って漫画を描くことが出来なかった。

 それでもSNSに自作の漫画を載せるのは大事な趣味で、迷惑な兄のせいでやめるのは癪だった。


 それから一ヶ月。今日も結菜は激しいストレスを感じながら、漫画を描いていた。

 今日の相手はとにかく声が大きい。


「かけるくん! もっとぉ!」


 ——結菜の中で、プツンと何かが切れた。


「いい加減にしてよ。あのバカ兄貴……」















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