第1話「渡航」

 昨夜は何を書こうかと氷結無糖レモン(缶チューハイ)を飲みながら頭の中を整理していたわけだが、朝起きてみればアルコールの影響か綺麗サッパリまとめた内容が脳から消え去っていた。世の中というのは理不尽なことだらけだ。


 理不尽なことというのは色々あって、例えば念願叶って住みたいと思っていた土地に旅立つ2週間ほど前に現地で反政府デモが発生、取材していた日本人記者が銃撃され死亡、それによりメンタルが不安定になったというのが私の社会人としての第一歩。理不尽!

 この事件、日本のニュースでも大々的に扱われていたのを覚えている方も多いと思う。ご存じない方は『暗黒の土曜日』というワードをWikipediaで調べてみるとよろしいかと。


 長くなるので、ここでは私が日本語教師になる経緯は一旦省くが、私は学生時代にタイという国を非常に気に入りいつしか「住みたい!」という願望を抱くに至った。そしてその念願のタイへ行く直前に日本人記者の取材中の死。周りからは当然「大丈夫?」「行かないほうが良いんじゃない?」「飛行機飛んでるの?」なんて聞かれたわけで。実際は飛行機も問題なく飛んでたし外務省から止められるなんてこともなかったわけだけど、周りからこうやって質問攻めにされるのは結構なストレスになっていたらしい。


 人間、環境が大きく変わるタイミングというのは精神が不安定になるもので、今思えば自分で希望した渡航なんだけど航空券が片道というのは初、社会人になる、住む場所も変わる、とにかく自覚がないままストレスを溜め込んでいた。だからといって何かやらかしたわけではないのだが、タイ行きの飛行機がぜんぜん楽しくなかったのはよく覚えている。


 日本を出て6時間後、早朝のスワンナプーム国際空港に到着した私は乗り継ぎのため、ドンムアン空港へ向かうタクシーに乗っていた。

 プロレスラーのTAJIRIさんの本に「学生時代、プロレス修行のために訪れたメキシコでトラブルから予定のホテルに行けず、なんとか探した宿へ向かうタクシーから見たオレンジの街灯とそれに照らされる浮浪者の様子がまるでこの世の終わりのようで酷く不安を煽った」という内容があったのだが、まさしくそのような感じで延々続くオレンジの街灯、道路で寝ている路上生活者、デモ隊の証である赤いシャツを着たバイク乗り、今度は政権支持派の黄色シャツ達……。私はタクシーの中でどんどん陰鬱な気分になった。


 日本からの飛行機では寝られたんだっけかな?覚えていない。とにかくドンムアンに着いた頃には体力もだいぶ枯渇していてしんどかったのをよく覚えている。その後、国内移動の飛行機に乗って30分くらいだったか、私はようやく目的地に着いた……わけではなく、目的地の隣の県に着いた。なぜなら赴任予定の県には空港がないから。こう書いていると当時の私はなんとも向こう見ずだったな。

 ちなみにこの国内移動の飛行機はノックエアー。この会社の飛行機は機体全体にノック(タイ語で鳥)のペイントが施された可愛らしいデザイン。些細なことだけど癒やされたな。

 それと斜め前の席にお坊さんが座っていたので、安全なフライトになるよう勝手にお坊さんに祈っていた気がする。オレンジ色の街灯にげんなりさせられた旅だったけど、お坊さんのオレンジ色の法衣に救われた気がする。うん、たぶん考えすぎ。絶対、当時の私はそんなこと考えてない。


 そんなこんなで北部、P空港にたどり着いた私を赴任予定の大学の日本語学科主任W先生が迎えてくれた。タイ人らしく私より日に焼けた肌に細身のおとなしい男性。その後の2年間お世話になりっぱなしの方だ。

 さっそく先生の車に乗り込みようやく一息つくことができた。P県から赴任地まで約2時間。何を話したかは覚えていない。私はいつの間にか寝ていてあっという間に着いた記憶がある。

 ラジオから流れるLinkin Parkの”New Divide”が印象に残った。

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