第11話 春子の家

 夜崎さんは長いこと泣いていた。ようやく落ち着きを取り戻したのは二限が終わる頃になってからだった。

 授業なんか受ける気になれず、そのまま二人で寝転がってサボることにした。

 夜崎さんはいつまでも私の手を握り続け、暖かさが伝わってくる。

 私たちは無言で過ごし、気がつけばお昼休みとなっていた。一度教室に戻ってご飯を持って再び屋上に集合した。

「今日、春子の家に行ってもいいか」

 夜崎さんはコンビニ弁当をさっさと食べ終えていた。

「いいけど、お祖母ちゃんがいるよ?」

 夜崎さんが目を瞬かせ、「あ」と短く納得したような声を上げた。

「……春子、あたしに何期待してんだ」

 また、このやりとり。私は本当に学ばない……。

「春子は見た目の割に性欲強いんだな」

「はっきり言わないでよ……。それに見た目関係ないでしょ」

「……したいの?」

 私は恥ずかしいが、素直に頷いた。だって……。

「気持ちいいから……」

「それは、なにより……」

 今度は夜崎さんが真っ赤になり、顔を逸らしてしまった。初めて見せる反応だ。私とちゃんと付き合うようになって意識しちゃった?

 だとしたら嬉しい。

「そうじゃなくてだな……」

 夜崎さんが深呼吸し、冷静さを取り戻したのか顔も元に戻っている。

「ちゃんと春子のことを知りたくて。春子が好きだから」

「……別に家に来る必要はないと思うけど……」

「そ、それもそうか……」

 夜崎さんがしゅんとしてしまい、私は愛おしさが込み上げてきた。こんなに可愛らしい人だったのか。

「もしかして、夜崎さんも期待してるの、その……」

「ち、違……わなくないような、違うような……」

 夜崎さんの反応に当てられ、私まで恥ずかしくなってきた。何とか誤魔化すために残っているお弁当をかき込む。

「……家、行っていいんだよな」

 夜崎さんが上目遣いで私を見てきた。私はドキリとし、ゆっくりと頷いた。

「お祖母ちゃんいるからね」

「分かったって」

 昼休みが終わっても私たちは屋上でサボり続けた。好きな人と一緒にいて、授業に出る気になる方がおかしい。

 私の横で夜崎さんが寝転がり、眠そうにしている。薄い胸の規則正しい動きを見ているうちに、夜崎さんとしているときのことを思い出してしまう。

「何だよ」

 夜崎さんが私の視線に気がついたのか声をかけてきた。前も私の視線に気がついていたような……。もしかして、バレてる?

「いや、その、綺麗な顔だなと思って」

「顔? 胸見てただろ」

 嘘は通じないらしい。私は正直に頷いた。夜崎さんは私の上に乗っかり、抱きしめ、私の耳元で囁いた。

「春子のえっち」

 ……不味い、我慢が限界を迎えてしまう。このまま夜崎さんと……。

「夜崎さん」

 私はおもむろにキスをし、自分から舌を入れた。生暖かさと柔らかさを感じたのも束の間、夜崎さんが慌てて顔を離した。今までこんなことなかったのに、不安が押し寄せる。

「どうしたの」

「学校の屋上は駄目だろ」

 夜崎さんも不服そうにしているが、理性が勝っているらしい。

「夏休みのときはしたじゃん」

「あのときとは事情が違うだろ」

 そこで一度切り、夜崎さんが顔を赤くした。

「春子を大事にしたいんだ。こんなとこじゃなくて、二人きりのときにちゃんとしたい……」

 夜崎さんは限界なのか、私の胸に顔を埋めた。いや、そんなことしたら私が……。

「ありがとう」

 私は深呼吸してから夜崎さんの頭を優しく撫でた。


 授業が全て終わり、他の生徒たちと一緒に私たちも下校した。手を繋ぎたかったが、他の人の目もあるから自重した。

 学校から徒歩十分で私の家に着く。私の家は二階建ての古い日本家屋で、お祖父ちゃんが若いときに買ったらしい。見た目は悪いが、中は改装されかなり快適に暮らせている。

「おお、立派な家だな……」

 引き戸を開け、ただいまと声をかけると奥の方からおかえりと返ってきた。

「入って入って」

「お邪魔します」

 借りてきた猫のように夜崎さんが大人しい。その様子がおかしくて静かに笑った。

 夜崎さんを連れて縁側に行くとお祖母ちゃんが日課の日向ぼっこをしていた。

「ただいま」

「おかえり」

 お祖母ちゃんが夜崎さんを見て目を丸くした。金髪の不良を連れてきたことに驚かれたか。

「友達の夜崎さん。金髪で派手だけど、いい人だよ」

 まあまあ、とお祖母ちゃんが破顔させた。

「高校生になって春子が友達を連れてくるなんて、初めてじゃない。夜崎さん、仲良くしてやってね」

「いや、こちらこそ、仲良くしてもらっているというか……」

 私は急にこそばゆくなり、夜崎さんの手を引き

「部屋にいるね」

とお祖母ちゃんに言ってから部屋へ向かった。

 部屋に入ってまずは出しっぱなしの布団を部屋に隅に追いやり、座布団を二枚押し入れから引っ張り出した。

 その上に座りようやく落ち着いた。

「優しそうな人だな」

「うん。いつも私のこと考えてくれるいいお祖母ちゃんだよ」

「そういうのいいな」

 夜崎さんは今自分の母親のことを思い浮かべているのだろうか。何となく悪いことをしたような気がしてくる。

「お父さんとお母さんは? 後、お祖父ちゃんは?」

「いないよ」

「仕事?」

「いや、そうじゃなくて、私とお祖母ちゃんしかいないの、この家には」

「それって……」

「お祖父ちゃんは私が生まれる大分前に亡くなってる。お父さんとお母さんは私が二歳のときに交通事故。全然覚えてないんだけどね」

 私は努めて明るく言ったつもりだったが、夜崎さんが今にも泣きそうな顔をしている。どうしたの、と慰めようとしたところで、部屋のドアがノックされた。

 出ると余所行きの格好をしたお祖母ちゃんがいた。

「夜崎さん、お夕飯一緒にどう。今から買い物に行くから買ってくるけど」

 日常の買い物はお祖母ちゃんに任せている。私が代わりに行くと何度言っても、健康のためだからと必ず自分で行きたがる。

「一緒に食べようよ」

「えっと、じゃあ、はい。いただきます」

 お祖母ちゃんは嬉しそうに出かけていった。久し振りに二人きりじゃない食卓が嬉しいみたいだ。

 私が座布団に座った瞬間、夜崎さんが飛び込んできた。私は受け止めきれず、後ろに倒れ込んだ。布団があって良かった。

「危ないよ」

 夜崎さんが鼻を啜っている。どうして夜崎さんが泣くんだろう。

「どうしたのさ」

「春子は春子で、辛かったんだなって。そう思ったら……」

「辛いなんて思ったことはこといよ。物心ついたときから私とお祖母ちゃんだけ、それが当たり前だった」

 顔は見えないけど、泣いているんじゃないだろうか。

「お父さんもお母さんもいないのが寂しくなかったと言ったら嘘になるけど、私にはお祖母ちゃんがいるから平気」

 夜崎さんの頭を撫でるが、夜崎さんは私に抱きつき、鼻を啜ったままだ。

「どうして夜崎さんがそんなに悲しむの」

「あたしだけが辛いんだって思ってた。あたしだけが不幸だって。でも、春子も……」

 私は夜崎さんの側頭部に思いっ切りデコピンを食らわせた。夜崎さんが短く悲鳴を上げ、ようやく私の顔を見た。

「だから、私は辛くなんかないって。夜崎さんの方がよっぽど大変でしょ」

 私は夜崎さんを抱きしめた。

「お祖母ちゃんと二人だけ、それが私にとっての普通。誰になんと言われようと決して不幸だなんて思ったことはない。夜崎さんだろうと、私が不幸だなんて言おうものなら許さないよ」

 とは言っても、何もかも満たされて幸せだったわけではない。具体的にはお金の問題。懐事情は詳しくないが、余裕があるとは思えない。お祖母ちゃんの年金と両親が残したらしい遺産で細々と暮らしている。

 中学卒業と同時に働こうとしたがお祖母ちゃんが「まだ学生生活を楽しみなさい」と言い張りそれは叶わなかった。だから私は交通費がかからない近所の高校に通っている。例えどんな高校だろうと高卒という経歴は手に入る。それと、スマホは無理だが携帯電話は持たせてくれた。必要ないと言ったがお祖母ちゃんは譲らなかった。

「春子は本当に強いな。尊敬する。そんな春子に好きだって言ってもらえて嬉しい」


 お祖母ちゃんと夜崎さんとで夕飯を食べた。二人とも普段とは違う食事風景のためか楽しそうだった。当然私も楽しい。

 夜崎さんが帰ると言うので送っていこうとしたら断られた。

「駅までは辿り着けるから大丈夫」

「でも、もう暗いし……」

「それだと、春子が駅から帰ってくるとき一人になるだろ」

 夜崎さんが少し照れくさそうにする。

「人とご飯食べるのって楽しいんだな」

「また来てよ」

 私はお祖母ちゃんが見ていないことを確認してから夜崎さんに軽くキスをした。

「また明日」

「うん」


 楽しい日々はあっという間に過ぎ、気がつけば冬休みとなっていた。二学期最後の日に一月一日は初詣に行こうと誘ったら断られてしまった。

「その日はちょっと……」

「じゃあ二日は?」

「その日なら大丈夫」

 年末のデートも用事があると断られてしまった。せっかく私の就職も決まり心置きなく遊べると思ったのに、残念だ。

 そう言えば、夜崎さんの進路を知らない。聞いても毎回はぐらかされ、聞くのを諦めてしまう。

 夜崎さんはどうするつもりだろう。

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