第8話 夜崎さんの家

 お祭り当日、これまでのデートと同じように昼前に駅で落ち合った。

 夜崎さんの髪は金髪に戻っていた。紫色がおばちゃんみたいだと言ったのを気にしてしまったのだろうか。言うと面倒くさそうだから言わないけど。

「凄い人だな……」

 お祭りが開かれる週は全国から人が集まり、まともに身動きがとれなくなる。まだ開始前だというのに、すでに普段の十倍以上の人がいるように感じる。

「まあまあ、せっかくだし楽しもうよ」

 こういうときは浴衣を着るのが定番なのだろうが、私も夜崎さんもいつもと同じようにラフな格好をしている。まあ、夜崎さんが浴衣を持っているようには思えない。当然私も持っていない。

 私は夜崎さんの手を引いて歩き出した。

「そもそも、来るの早くないか。名物は盆踊りだろ」

 お祭りの目玉である盆踊りは大抵夕方くらいから始まる。確かに早い時間ではある。

「出店とか回りたいなって思って」

 そういうものか、と夜崎さんが呟く。

 駅と以前夜崎さんとデートしたロープウェイがある山との中間に川が流れている。その川沿いに出店がずらっと並んでいる。特に食べたいものがあるわけでもなく、当てもなく歩く。雰囲気を楽しんでいるのだ。

「何も買わないのか?」

「えっと、うん。お腹もすいてないし……」

「暑いし、何か飲もう」

 夜崎さんは目に入った出店で瓶のラムネを二本買い、一本を渡してきた。

「ほら。何か飲まないと倒れるぞ」

「……あ、お金……」

 夜崎さんは首を振った。

「いいよ。前も言ったような気がするけど、お礼だ。春子のお陰で楽しいから」

「でも……」

 渋る私を見かね、ラムネの瓶を私の頬にぐいぐいと押しつけてきた。ひんやりしていて気持ちいい。

「なんだよ、あたしのラムネが飲めねえってか」

 酔っ払いのような台詞に吹き出し、ありがたく受け取った。

 ラムネの封を開け、ビー玉を押し込む。その瞬間中身が溢れ私の手をベタベタにする。

「不器用だなあ」

 夜崎さんはさらに唐揚げ、焼きそばと定番とも言えるメニューを買い、私たちは川へ続く階段に腰掛けた。

「半分こしよう」

 夜崎さんが割り箸を渡してきた。少し早いけどお昼家で食べてしまったが、断るのは悪い気がしたので黙って受け取った。

「お金、本当にいいの?」

 今のところ屋台で買ったもの全部夜崎さんがお金を出している。同級生に奢られるというのは、何だか気を遣う。

「いいって」

「バイトとかしてるの?」

 学校の規則だとアルバイトは禁止されている。当然、不良が集まる高校なだけあって、アルバイトをしている人は大勢いるらしい。友達がいないから漏れ聞こえてくる話からの推測だが。

「してない。そもそもこの金髪でバイトなんかしてると思うか」

 言われてみればそうだ、私は笑ってしまった。

「目つきも悪いし、接客とかは無理そうだよね」

「言ってくれるじゃねえか」

 目つきが悪いとは言うが、切れ長で格好いいとも言う。よく見れば整った顔をしているのだし、愛想良く振る舞えばいいのにと思う。本人の性格もあるからそんなことを言うつもりはない。

「でもさ、そのお金、お小遣いとかじゃないの? もっと大切に使った方が……」

「金の話、好きだな」

 夜崎さんが少し眉をひそめ、口を大きく開け、焼きそばを頬張った。

「この金は、まあ、あれだ、いい思い出がないんだ」

 お金の思い出って何だろう。いいも悪いもあるものなのか。

「それに、持っててもあまり意味ないだろうし……」

 夜崎さんはどうして含みのある言い方ばかりするのだろうか。そして私が気になることを聞くとまともに答えてくれない。

 盆踊りの時間が近づいているのか、人が増え始めた。そろそろ移動するのも一苦労になりそうだ。

「盆踊りさ、あたしの家のテレビで見ればいいんじゃない」

 ローカルテレビ局では毎年祭りの様子を生中継していて、涼しい部屋で快適に見ることができる。

「せっかく来たのに」

 私はどうせなら夜崎さんと生で見たかったが、どうもその気はないらしい。

「暑いし、人凄いし」

「そうだけどさ。でも、着替えとか持ってない」

「……あたしは泊まりなんて一言も言ってないぞ。やらしいなあ、春子は」

 もう! また引っかかった! これじゃあ私がそういうことを期待してるみたいじゃん。

「お家デートってやつね……」

 絞り出すようにそれだけ言うのが精一杯だった。

「それそれ」

 私はお家デートを了承し、駅に向かった。夜崎さんに歩いて行くかと聞かれたが、それは断った。私に合わせてもらってばかりではいられない。

 タイミング良く電車がやって来て、お祭り目当ての人たちが大量に吐き出されていく。

 夜崎さんの家の最寄り駅で降り、自然の仕草で手を繋ぎ歩く。

 浴衣を着た人たちが次々と駅に向かって行く。普段歩いている人なんかそうそう見ないのに、やはりお祭りのある日は特別だ。

 目の前から一際目を引く美人がこちらに向かって歩いてきた。明るめの茶髪をポニーテールにしている。背は夜崎さんと同じくらいだろうか。

「あ……」

 夜崎さんが横で小さく呟き、その女性も驚いたように目を丸くした。

「相田さん……」

 知り合いなの、と夜崎さんに聞こうとしたところで、相田さんが私を無視し、夜崎さんに抱きついた。

「はあ……?」

「会いたかったよ、美枝」

 私が素っ頓狂な声を上げるのと同時に、その女性が頬ずりをし出した。

「どうして、ここにいるんだ?」

 夜崎さんが空いている方の手で相田さんを引き剥がした。相田さんは素直に夜崎さんから離れる。

「休みだから。それと、美枝を迎えに来た」

 完全に置いてけぼりを食らっている。そもそもこの人は誰だ。親しげに夜崎さんの下の名前で呼ぶし。それに、迎えに来た?

「……そう」

「あのときの言葉忘れてないでしょ。私は今でも本気だよ」

 夜崎さんは困ったような表情を浮かべるだけで、何も言わない。

 相田さんがようやく私の方を見た。美人で背が高い所為か少し気圧される。いや、それだけじゃない。何となくいけ好かない。この人と深く関わってはいけない気がしてくる。

「えっと、あなたは? 美枝の友達?」

 相田さんが夜崎さんと繋がれている手を睨むように見てくる。夜崎さんも睨むと怖いけど、この人はまるで蛇が獲物を捕らえるときのような鋭さがある。

「美枝の恋人? それはないか、セフレとか?」

 ずけずけとなんだこの人は。私は苛立ちを覚え始めたが、深呼吸した。この人のペースに乗ってはいけない。

「そう、セフレ」

 夜崎さんがぶっきらぼうにそう言うと、相田さんが品定めするように私の頭からつま先まで見てくる。

「ふうん、まあいいや。また後でね」

 相田さんは手を振って駅に向かってさっさと歩いて行ってしまった。

 緊張が解け、全身から力が抜けた。相田さんが私たちの会話が聞こえない距離になるまで待ってから夜崎さんに聞いた。

「今の人は?」

「……色々あった人」

 答えになっていない。その色々が何かを聞きたいのだ。

「色々って?」

「まあ秘密だな。春子にも言いたくないことの一つや二つあるだろ?」

 そういうのは特にないが、そう言われたらもう何も聞けない。本当に夜崎さんは自分のことを喋らない。

 そのまま無言で夜崎さんの家に着いてしまった。何だか空気が重苦しい。

 夜崎さんが扉を開け、中に一歩踏み込んだ瞬間、顔が強ばりドアノブを握ったままその場に立ちすくんだ。

「どうしたの?」

「あ? 帰ってきたのか」

 聞き慣れないだみ声が家の中から聞こえてきた。夜崎さんの親だろうか、私は固まっている夜崎さんと扉の間から中を覗いた。

 女性だ。夜崎さんの母親だろうか。背は私と同じくらいで夜崎さんより頭一つ小さい。片手に瓶を持っていて、ウイスキーと書いてある。

「ただいまも言えないのか!」

 突如夜崎さんの母親と思われる人が叫んだ。この人酔ってる? いや、酔っていたとしてもこんな乱暴な口調で娘に接するのか。

 私が困惑していると、その女性は手に持っていた瓶をラッパ飲みし始めた。行動は酔っ払いだ。よく見ると顔だけでなく体全身が真っ赤になっている。それにしても露出が多い服を着ている。

 いまだ固まったままの夜崎さんにその女性が詰め寄る。

「聞こえてんのかよ!」

 もしかして、ただの酔っ払いじゃない……? 私の中に不安が渦巻いてくる。

 その女性が持っていた瓶を振り上げた。蓋をしていない所為で中身が次々と廊下を濡らす。

 何する気、この人……。

 瓶が夜崎さんの顔目がけて振り下ろされる。あ、と声を発すると同時に、瓶が夜崎さんの頬を直撃し、鈍い音が玄関に響き渡った。お酒が全てぶちまけられ、夜崎さんが口の中を切ったのか血がそれに混じる。

 その女性は夜崎さんの怪我を気にすることなく瓶をまじまじと見つめ

「なくなっちまったじゃねえかよ」

と悪態をつき、瓶を廊下に放り投げた。

 そこでようやく私の存在に気がついたのか、私を睨みつけてきた。

「あ? お前は誰だよ」

「……夜崎さんの友達、です……」

 絞り出すように答えるのが精一杯だった。さっきの相田さんとは違う、暴力による恐怖が私を支配しそうになる。

「お前にお友達なんているんだな」

 その女性が嫌悪感を剥き出しにし、吐き捨てるように言った。かと思うとすぐに上機嫌な表情を浮かべた。

「まあどうでもいいや。今から彼氏と出かけるから。結婚を考えているからって紹介しただろ」

 そう言うとサンダルをつっかけ、こちらに向かってきた。

 私と夜崎さんは素早くドアから離れ、出られるだけの隙間を作った。

「今日は帰らねえから。じゃあな」

 私たちに背を向け、後ろに手を振りながら行ってしまった。

 夜崎さんを見ると、安心したような表情を浮かべ、何も言わず家の中に入っていった。私もそれに続く。

 夜崎さんの部屋に入り、夜崎さんはベッドに腰掛け、私は床に座った。

「今の人は……?」

「……母親」

 夜崎さんが目を逸らし、小さく呟いた。

 信じたくない。あんな人が夜崎さんの母親だなんて。いくら酔っているからと言って、娘をいきなり怒鳴りつけ、あまつさえ酒瓶で殴るなんて。親じゃない、いや、人間じゃない。あんな人が普通に生きていていいものなのか。

「本当に? ……あんな乱暴なのに?」

「ああ、あんなんでも母親だ」

 夜崎さんが大きく溜息をついた。

「今日は厄日だな……」

 酒瓶で殴られた方の頬に大きく痣ができている。私は夜崎さんの横に移動し、優しく頬を撫でた。

「痛くないの?」

「痛いよ。……もう慣れたけど」

 慣れた? あんな風に殴られることに?

 世間一般の家庭から大きくずれている、それくらい分かる。親が子を叱ることは当然あっても、酒瓶で殴るはずがない。しかも何事もなかったかのように出かけていった。

 はっきり言って異常だ、夜崎さんの母親は。そしてそれに慣れてしまった夜崎さんもまた。

「……お父さんは?」

「さあ。あたしの父親は誰か分からない、小さいときからそう言われ続けてきた」

「これって虐待、じゃないの」

「だろうな」

 夜崎さんが平然と言ってのけるから、私は唖然としてしまった。さも当たり前のことのように言えるのか。感覚が麻痺してしまっているんじゃないだろうか。

「おかしいよ、こんなの。……どうして言ってくれないの。家のことも、自分のことも」

「言ってどうなるんだよ」

 夜崎さんは虚ろな目をし、諦めたような表情をしている。

「どうなるかは分からないけど……でも言わないといつまでもそのままだよ。少しは私を頼ってもいいじゃん」

 突然夜崎さんが私の両肩をつかみ、押し倒してきた。私は何もできず大人しく夜崎さんを見上げる。

「お前はあたしの何だ? 友達か? 恋人か? 違うだろ、セフレだろ」

 夜崎さんが右手で服の上から乱暴に胸を揉みしだき、首に噛みつく勢いでキスをする。

「痛い!」

 夜崎さんが私の顔を上から覗き込み、睨んできた。

「お前はただのセフレなんだ。余計なこと言わずに、あたしとセックスしてればいいんだよ!」

 夜崎さんの口から唾と、殴られたときに切ったのか血が飛んできた。

 夜崎さんがまた首筋にキスをしようとしたころで、私は思いっ切り頬を平手打ちし、乾いた音が響き渡る。酒瓶で殴られた方だったがそんなことを気にする余裕はなかった。

 夜崎さんは酒瓶で殴られたときとは違う呆然とした表情で私を見つめてきた。

「夜崎さんこそ、私を何だと思ってるの」

 夜崎さんから力が抜けていくのが伝わってくる。私は夜崎さんを押しのけ、ベッドに座り直した。

 何か言いたい。でも、言葉が私の中でぐるぐるするだけで何も出てこない。

「ごめん、今日は帰る」

 私はそれだけ言って、夜崎さんの家を後にした。夜崎さんは見送ることも、言葉をかけてくることもなかった。

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