第2部 転生美少女聖女、現る

7.「誰がどう見ても御役御免じゃん、私」




 癖のないさらりとした黒髪に、名のある人形師が手掛けたドールのように均等の取れた小顔。くりりと光る大きな目にびっしりと上を向いて生え揃う睫毛と、色白なのに血色がよく桃色に染まった唇が彼女の可憐さを存分に引き出していた。細いだけの身体は触れると折れてしまいそうなほど華奢で、慎ましやかな胸部ですら魅力の一部となっている。




 新しく異世界から転生してきた聖女は、上下左右どこから見ても隙のない完璧な美少女だった。




 神殿に呼び出されたミーシャは、少女の美しさにどよめく神官や様子を見に来たセドリック王子とその側近に囲まれて居心地が悪そうに息を潜める。


聖痕スティグマを持っているというのは本当なのか?」


「えっと……これのことでしょうか?」


 小鳥がさえずるような愛らしい声だ。金髪碧眼というお伽噺に出てくる王子の初期アバターのようなセドリックの問いに、新しい聖女は紺色の珍しいジャケット、確か『せーらー服』とかいう、あちらの世界ではポピュラーな少女の正装を腕まくりして、白地の肌にくっきりと浮かぶ十字模様の聖痕スティグマを見せた。王子とその取り巻きたちが一様に息を飲む声が聞こえる。


「間違いない、女神パラティンの聖痕スティグマじゃ」


「ではローランに聖女が二人も現れたというのか?創生史が始まって以来、このようなことは前例がないぞ」


 ざわつく神官たちは、後ろに控えるミーシャを気まずそうに振り返った。ミーシャは取り繕った笑顔を崩さず、「言われなくてもわかってるからこっち見ないで」と老翁たちに目で訴えかける。




(誰がどう見ても御役御免じゃん、私)




 聖女って退役金出るんだっけ。どこか遠くを見るように空想に耽ったミーシャの虚無感を汲んでくれるデリカシーのある輩は、ここにはいない。


「今後の方針について父上に判断を仰ぐ必要がある。神官殿は急ぎ私と共に城へ。君はあの芋……現聖女であるミーシャと共に、時間を空けて登城してくれ」


 今、思いっきり「芋女」と言いかけたな。美少女相手に猫を被ったセドリックをじとりと睨みつける。彼はその視線から逃げるように城へ向かうべくバタバタと忙しなく出立した。


 将来有望な美少女と二人残されたミーシャは、所在なさげに周囲をきょろきょろと見渡す彼女になるべく柔らかい口調で声をかける。


「えっと……ノアさん、でしたっけ。初めまして、ミーシャ・ベロニカです。ローランにようこそ」


「あっ……東堂乃愛とうどうのあといいます、よろしくお願いします、聖女様!」


 白磁の頬をぱぁっと桜色に染めてぺこりと頭を下げる姿は初々しく、花が舞う幻想が見えるほど愛らしい。


 転生してきたばかりで右も左もわからない少女を世話焼きのミーシャは放っておけず、神殿の外に待たせていた馬車の中で少し話をしようと提案した。ノアは喜んでミーシャの後ろをついてきた。まるで子猫に懐かれたような至高の優越感のようなものに満たされる。美少女って存在しているだけで素晴らしい。


 神殿の外に出ると、待機していた忠犬シャルルが心配した様子で駆け寄ってきた。そしてミーシャの後ろに控える少女に気づき、表情を引き締める。


「ミーシャ、その方は……」


「パラティンの加護を賜り新たにローランへ遣わされた聖女、ノアさんよ。こちらは私の護衛騎士のシャルルです」


「騎士様ですか!は、初めまして……」


「どうも……」


 美少女を前にしたシャルルの仏頂面がいつにも増して酷い。鼻の下が伸びた珍しい顔が見れると思っていたから残念だ。しかしそれ以上にミーシャはシャルルを見上げるノアの熱っぽい視線の方が気になった。これは、もしかしなくても。


(ロマンスの予感がする……!)


 自分にはことごとく立たない代わりに周りに立ちまくる恋愛フラグを数え切れないほど見てきた彼女は、直感で察した。『転生聖女~硬派な騎士様が聖女の私にだけ甘い~毎週日曜日更新中☆』ってやつだ、きっと。


 この世界にラノベの文化はなかったが、頻繁に現れる転生者たちから生前のバイブルとして語られることが多く、不思議と浸透している。


 ハルに教わった知識で瞬時にタイトルまで決まったミーシャはあと筆を執るだけだったが、残念ながら彼女に文才はない。ミーシャにできることは、跳ねるかどうかわからないがたぶん壮大な物語のプロローグになるこの出会いを見守ることだけだった。いわゆる『読み専』というヤツである。


 女っ気のない護衛騎士にもついに春がやってきたか。田舎に残してきた弟とちょうど同じくらいの年齢のシャルルに元来備わったお姉ちゃん属性が爆発したミーシャは、密かにこの二人のロマンスの行く末を応援しようと心に決めた。すごいなぁ私の護衛騎士、転生聖女様の未来の旦那だよ、誇らしい。


「……何だ、気色悪い目で俺を見るな」


「うふふ、今ならシャルルに何を言われても可愛く聞こえてしまうわ」


「あ、あの、聖女様……」


「ああ、ごめんなさい。移動しながら話しましょう。狭い馬車ですが、どうぞ」


 セドリックが駆けつけた豪奢な馬車の半分くらいの大きさで、華美な飾りはないが質の良い着色料が使われた白地の馬車へノアを招く。中は向かい合わせにぎゅうぎゅうに詰めてやっと四人が乗れるくらいの広さだった。


 この狭さが二人の距離をぐっと近づけるに違いないと密かに画策していると、シャルルは当然のごとくミーシャの隣にズドンと座る。せ、狭い……。だが、馬車が揺れるたびに向かい合わせに座ったノアと彼の膝がちょこちょこ当たっている様子にそっとほくそ笑んだ。こういうちょっとした接触は初心な男にとって堪らないだろうなとチラリと隣に座る男の表情を盗み見るが、見事なまでの鉄仮面である。表情筋死んでるの?


 ミーシャはつまらない弟分から今度はノアに視線を移す。黒曜石を嵌めたような輝きを放つ瞳で外の景色を年相応の表情で眺めるノアの周りが輝いて見えるのは気のせいではないはずだ。自発光するのか、この美少女聖女。強すぎる……!


「こほん。……あの、ノアさん」


「はい!……あ、そうだ。聖女様、敬語は恐縮してしまうので大丈夫です。どうか気軽にノアと呼んでください」


「そう……?じゃあ、ノアちゃん。これは完全に個人的興味で聞くんだけど、転生するまえにパラティンって女神とお話しとかした?」


「はいっ!とっても美しい女神様でした!」


「その時に生前の報酬で金髪美女として転生してきた友だちがいるんだけど、ノアちゃんはそういうの選べたのかな~って」


「えっと、たしか≪特効:薄命≫……?の効果が発動して、一つだけ何でも願いを叶えられると言われました」


(やっぱり!転生者ばっかり贔屓しやがってあの女神!!でも……)


「薄命……?」


「はい。わたし、小さい頃から病弱で、十六歳で死ぬまでほとんど病院暮らしだったんです」


「そうなんだ……大変だったね」


「でも辛いこと以上に、家族や周りの人たちに助けてもらった感謝の方が大きかったんです。パラティン様からこっちの世界に聖女として転生すると言われて、今度はわたしが誰かの役に立てるように聖女としての能力値を最大にしてもらえるようお願いしました」


 これぞまさに聖女と言わんばかりの穢れなき清廉な微笑みを真正面から浴び、ミーシャは自分の内側の醜い部分が浄化の光で焼き尽くされていくような感覚になった。


 尊すぎないか、この子。神が作りし美の権化みたいな容姿が転生報酬だなんてチラッとでも考えた自分が恥ずかしくてもはや哀れだ。生まれつきの美少女でしかも聖女としての力も最強らしい。ミーシャが田舎に帰って芋掘りを始めてもローランの未来は安泰だ、素晴らしい。


「それに、このセーラー服もパラティン様のご厚意で着せてもらいました!入学式で着て以来ずっと病院暮らしだったので、ちょっと憧れてたんです」


「ふふ、とってもよく似合ってるわよ。シャルルもそう思うでしょ?」


「……異国の服はよくわからない。それに、そんなに大胆に素足を見せられたら気が散って警護に集中できない」


 相変わらず塩対応なシャルルにミーシャは業を煮やす。若い女の子がおしゃれについて語っているんだから、気の利いた一言くらい言えないのか。それでも健全なローラン男子か!


 非難を込めて軍靴を履いた爪先を思いっきりヒールで踏んでやった。突然の仕打ちに思い切り睨まれたが「馬車の揺れが激しくて。わざとじゃないのよ?」と外を見ながら涼しい顔で答える。


 そんなミーシャの横顔を切なげに見つめるシャルルと、ほんのり頬を染めて彼をちらりと盗み見るノア。この時のミーシャは聖女を退役すれば自分はただのモブになると、物語を盛大に読み違えていた。三角関係は、既に始まっている。



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