第2話 オトナの意地

「はぁ?合コン?」


言い返して亜季は自分の声の大きさに慌てて受話器を押さえた。


ついでとばかりに繋がったままの電話を睨み付ける。


「合コンってねぇ!そっちの事務員連れて行きなさいよ」


何が悲しくてこの年齢で合コンなんかに行かなきゃならないのだ。


コンパのお誘いすらなくなって早数年。


今更会社の人間のつてを頼ろうと思わない。


29歳崖っぷちOL?何とでも言えばいい。


「そう言うなって。亜季。こっちの女の子は勿論参加させるから。たまにはいいだろ?」


「うっさい!たまにはってなによ!大体ねぇ!樋口、あんた自分が幸せになったからって周りの世話焼くのやめなさいっ」


「そーじゃねぇって」


「じゃあなんだってのよ。佳織と好きなだけイチャイチャラブラブべたべたしなさいよね。合コンなんか企画してる場合!?漸く佳織モノにしたんだから、せっせと愛情注げっつの」


どれだけこっちが冷や冷やさせられたと思っているのか。


樋口夫妻に振り回された数年を思うとどっと疲れが押し寄せて来る。


亜季の気持ちを知ってか知らずか、樋口は嬉しそうに言い返して来た。


「それは当然、佳織の事は言われなくても構ってる。そこは心配する必要ねぇから。これでもお前の事心配してんの、俺も佳織も。だから、妙な奴は紹介しないって。ちゃんとお前のこと見てくれる男探してやるよ。ただ、今回はどーしても人数不足でだな、うちとしても適当な人間出すわけいかねぇんだよ。接待と被ってなけりゃ、うちのベテラン女子参加させるんだけどな、今回だけ、な?頼むよ」


営業部の次期課長と呼ばれる男のセールストークは、やっぱりそれなりに説得力があった。


結局これ以上の問答は意味がないと、白旗を上げたのは亜季の方だ。


「わかったわよ。行くわよ。保護者替わりしてくるわよ」


どうせ人数合わせなのだから、久々の若手たちの合コンをのぞき見する位の気持ちで行けばよい、そう思っていた。




★★★★★★




あたしもほんっとにバカよ。


届いたビールを口に運びながら、亜季はそこそこ盛り上がっているテーブルをまるで他人事のように眺めた。


自己紹介の後は、ざっくばらんに飲みましょう、ということになり、男性グループの年長者である丹羽という男が、愛想良くドリンクオーダーを聞いて回ってくれた。


舞の夫の勤務先である志堂グループ会社の営業マンは、みな揃って愛想がよく話も上手い。


酔った勢いでスキンシップ過多になることもなく、適度な距離感で話が弾んでいる。


ざっと見たところ送り狼の心配がありそうな男もいない。


樋口の部署の若手綺麗どころ2人を連れて来たので、預かった責任がある。


躾が行き届いているのか、皆行儀良く飲んでいて、悪酔いしそうなタイプも、絡み酒しそうなタイプもいない。


これなら見守り隊兼任で好きに飲んでも怒られまい。


振られた話には適当に返しつつ、ビールを煽る。


もともと、男目当てできたわけじゃない。


あくまで目付役で来たのだ。


会計の心配は無用と樋口から聞いていたので遠慮なく飲ませて貰う事にする。


不毛な片思いに満足しているといいながら結局、こーゆー場所にいると寂しくなるんだから。


オトナのオンナはタチが悪い。


もうちょっと若かったらな、なんてチラッと思ってみたが、もうちょっと若い頃の合コンなんて、運動部の飲み会みたいなノリだった。


飲んで騒いでお開きが常で、つくづくそういうご縁が無い人生だった。


苦い思いがこみ上げてきたちょうどその時。


亜季は名前を呼ばれた。


「山下?」


呼ばれた瞬間、亜季はここから逃げ出したくなった。


神様を呪いたくなる位間が悪すぎる。


店に入って来たのは相良と国際部のメンバーだった。


そっちが飲み会によく使うお店までチェックはしてなかった!


社内一の情報通を自負しているだけに悔しさが募る。


別人です!と言いたいがこの状況ではそういうわけにもいかない。


亜季の所属する工程管理でもお馴染みの顔ぶれが、亜季を見て珍しいねーなんて軽口を叩く。


けれど、亜季の視界には当たり前のように相良しか入らない。


亜季の前に座っていた丹羽が、ちらっと視線を持ち上げた。


が、当然相良しか見えていない亜季の視界には入らない。


困惑顔のまま立ち上がった亜季が相良に近づいた。


いつも通り、いつも通りと、必死に笑顔を貼り付ける。


「お、お疲れ、相良」


片手を上げた亜季に、相良が笑いかける。


「お疲れ。何だ、そっちも飲み会?」


チラッとテーブルを見回した相良が、揶揄するように尋ねた。


亜季が反射的に首を振る。


大親友が片付いたから、次は自分の相手探しの合コンとは思われたくなかった。


「若手の付き添いっ」


「そう言わずにさ、山下も辻の後に続けよ。紘平もだけど、俺も心配してるんだよ」


悪びれずに相良が言う。


心からの本音だと確かめるまでもなくわかっていた。


こうなる事も想像していたし、覚悟だってずっと前からあった。


なのに、咄嗟に視線を逸らしてしまった。


俯いた亜季の表情が一瞬曇ったのを見て取った、丹羽が、片眉を上げた。


が、これも当然亜季の目には入らない。


「ほんっとに余計なお世話よ。ほらもう行って。そっちも飲み会でしょ、あたしの相手しに来たわけじゃないでしょうが」


追い払うように手を振った亜季に苦笑を返して、また飲みに行こうなと気易い笑みを浮かべて、相良は店の奥に消えていく。


席に戻った亜季が小さく溜め息を吐いた。


仕切り直す必要がある。早急に。


空になったグラスを脇に避ける。


ここに来てから結構飲んだが、酔っている感覚は全くない。


「ビール。お代わり貰えます?」


気持ちを切り替えるように言ったら、隣の席の河原が可愛らしく尋ねて来た。


「山下さん、結構飲んでますけどー大丈夫ですかぁ?」


「心配しなくてもいいわよ」


「樋口さんの奥さんと同じ位飲めるんですよねー!羨ましい。あ、山下さんの同期の女性なんですけどーすごい美人で、最近結婚されたんです。お酒と煙草が似合うオトナの女って感じでーちょっと憧れちゃう」


佳織についてご丁寧に説明して、可愛らしく笑って、あたしはジュースカクテルで十分ですけどーと、グラスを揺らす彼女にずっと昔の自分を重ねてしまう。


お酒の飲み方をまだ知らなくて、愛想笑いだけで飲み会を切り抜けていた、今よりうんと若くて、もーちょっと素直で、いまの数十倍は可愛げがあった頃。


お酒の愉しさを知ってからは、一気に今のスタイルが定着してしまったが。


「でも、飲み過ぎないで下さいねー」


端の席に座る高野が重ねて言った。


「はいはい。ありがとうね。これくらい飲んだに入らないから」


「さすが山下さーん!」


「頼もしいです!」


聞き役に回っていた男性陣が亜季にチラリと視線を投げた。


「へー山下さんって、飲める人なんですねー」


「社内じゃ有名なんですよー!仕事出来てお酒も強くて格好いいって!」


耳タコな評価に苦笑いが零れた。


亜季は届いたビールを待ってましたと一気に煽る。


と同時に、亜季が席に戻ってからそれまで無言を通していた丹羽が初めて口を挟んだ。


亜季にだけ、聞こえるかどうかのごく小さな声で。


「切ないね」


ビールをテーブルに戻す手を止めて、亜季は固まった。


それまで全く視界に入らなかった丹羽をここで漸くちゃんと認識する。


亜季と同じく今日やって来た男性陣の中で、一番年長の彼。


回りをよく見ていて、後輩たちの話題が途切れると上手く新しい話題を提供して、雰囲気作りに余念が無かった手練れ。


恐らく、彼がいるから若手の営業マンたちも節度を保った合コンに徹しているのだろう。


けれど、いま重要な事はそれじゃない。


頭の中でガンガン鳴り始めた警告音。


いや、頭痛だ。


ふつふつと湧き上がる怒りが脳を焼き尽くしていく。


はあ?この男いまなんつった?


〃切ないね〃それはつまり・・・


さっきのやり取りで?


同期の上っ面で相良にひた隠しにしてきたこの気持ちに?


佳織にすら言ったことない無謀極まりない、行き止まりの片想いに?


気づかれた。


「なっ・・・」


一瞬、目の前が真っ白になった。


なにそれなにそれどーゆーこと?


切ない?


可哀想?


それは同情だ。


ビールをテーブルに下ろして、亜季は空の手で丹羽の腕を掴んだ。


そのまま強引に引っ張る。  


なんであんたなんかに!!


「あんた、ちょっと来て!!」


「え・・?」


「いーから!」


キョトンとする丹羽を威嚇するように睨み付けて亜季はそのまま店を出た。


周りから見れば、連れ立って混み合う店内を横切る二人がどう映るか、そんなことを気にする余裕すらなかった。


さっきまでのムードから一変して、テーブルに残ったメンバーが突然の出来事に呆然としていた事も。

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