第6話 心の傷

 本当は次の休み時間にも再突撃するつもりだった。


 だが、ホームルームの間に頭が冷えた。

 白崎は強敵だ。考えなしにぶつかってどうにかなる相手じゃない。ヘタな事をするとさっきの二の舞で、余計に立場が悪くなる。大体、十分休みじゃ大したことは出来ない。白崎におちょくられている内にチャイムが鳴ってマヌケなだけだ。

 ここはグッと我慢して、落ち着いて対処法を考えた方がいい。


 とは言え、こんなパターンは初めてだ。最強の影響力を持った学校一の美少女、手段を択ばない強引な手口、しかも相手は、表面上は友好を装っている。モロバレなのに気にもしない。


 そこまで開き直られるとかなりつらい。周りの連中は誰一人俺の話なんか聞きやしない。かと言って、白崎の話を鵜呑みにするわけでもない。当然だ。学校一の美少女が、モテまくりの白崎が、群がる男どもを片っ端から振りまくってきたあの女が、どうして俺みたいな醜い嫌われ者を好きになる? ここまで酷い対応をされて、大嘘を吐いてまで俺の彼女に収まろうとするわけがない。誰だってそう思う。誰よりも俺が思っている。だから妙な噂が流れる。休み時間の間に繰り広げられるひそひそ話を盗み聞いてもそれは明らかだ。


 弱みを握って脅しているとか、催眠アプリで洗脳したとか、惚れ薬を飲ませたとか、悪魔の力を使っただとか、そんな話まで囁かれている。アホか! そんな力あったら、とっくに使ってるわ!


 あぁ忌々しい憎らしい。

 おまけに休み時間の度に今まで一度も口を利いた事のないクラスの連中が、おっかなびっくり俺に真相を聞きに来る。今まで散々陰口を言ってた癖に! そんな奴らに一々事情を説明するのも馬鹿らしい。


「うるせぇ! 俺に話しかけるんじゃねぇ!」


 一喝して追い払うだけだ。だが、しつこい。数が多い。休み時間の度にそんな事をしていたらコントだ。俺がこの一年で苦労して築き上げてきた近寄りがたい嫌われ者のイメージがガラガラと崩れていく。それだって白崎の策略に違いない。全く、なんて恐ろしい女だ! 自分の手を汚さずに人を操る術に長けている。流石は学校一の美少女だ。そうやって今まで大勢の男を手玉に取ってきたのだろう。


 鬱陶しいのはクラスの連中だけじゃない。教室の外には毎時間、謎のチートで白崎の心を我がものとした悪魔みたいな醜い男を一目見ようと、大勢の見物人が押し寄せていた。気分は動物園のパンダだ。ふざけやがって! 俺は他人にジロジロ見られるのが大嫌いなのに!


「鬱陶しいぞ! ジロジロ見てんじゃねぇ!」


 怒鳴った所で効果はない。あまりにも多勢に無勢だ。向こうからしたら、檻の中で虎が吠えているようなもので、「うわぁ、おっかねぇ」とニヤつきながら笑うだけだ。だから一回でやめた。こんな事毎回やってたらやっぱりコントだ。


 時間ばかりが無駄に過ぎる。

 無視するべきか? だが、そんな手が通用するような女とも思えない。俺が黙っているのをいい事に、ある事ない事吹聴するに決まっている。


 大体、ここまで舐めた真似をされて黙っていたら舐められる。経験上、イジメなんかどれだけ耐えても収まりはしない。むしろ相手は意地でも反応を引き出そうと余計に行動をエスカレートさせるだけだ。


 やはりここは反撃に出るしかない。だが、生憎こちらには使える手札が一枚もない。だから俺のやる事は手札を作る事だ。白崎の懐に飛び込んで弱みを握る。そして逆に俺があの女を支配してやるのだ。それ以外にこの状況を終わらせる方法はないだろう。


 かなりリスキーだが仕方ない。やらなければこっちがやられる。これは白崎と俺の食うか食われるかの戦争なのだ。

 その辺で昼休みになった。


 長い五十分が始まる。クラスの連中の追及はかつてない程になるだろう。野次馬だって教室の中に入ってくるかもしれない。冗談じゃない! 俺の平穏を邪魔されてたまるか!


 とりあえず今日の所は防戦だ。どこか人目につかない所で弁当を食おう。

 そんな場所など知らないが、とにかく弁当を持って立ち上がる。


「黒川きゅ~ん! 一緒におべんと食べよう、ぜぇい!」


 既に教室の入口に集まっていた野次馬の群れがひとりでに道を空け、弁当かばんを下げた白崎が顔を覗かせた。


 見るからにルンルンで、ハピハピの笑顔だ。そんな様子に周りの人間は困惑し言葉を失う。たった今まで騒がしかった教室が無音になった。

 咄嗟に俺は怒鳴りそうになった。冗談じゃねぇ! 勝手に教室に入って来るんじゃねぇ! と。


 だが、そんな事をしても無駄だ。恫喝はこの女には通用しない。

 そして、無意味な恫喝は俺の格を下げるだけだ。

 その代わり、俺はニタリと悪魔的な笑みを浮かべる。


「はっ。仕方ねぇな。ここにいても非モテ共がうるせぇし、クソブスのお前がどうしても一緒に飯を食いたいって言うんなら、仕方ねぇ。相手をしてやるよ」


 調子に乗った白崎が見せた大きな隙だ。攻めない手はない。これで怒れば白崎の嘘は破綻する。白崎を怒らせて別れられるなら俺の勝ちだ。そして白崎が下手に出て来るなら、それはそれで周りの連中に白崎よりも俺の方が上なのだと印象付ける事が出来る。それは本筋から外れるが、白崎によって損なわれた俺のイメージの補填にはなる。こんな女と一緒に飯を食うのは癪だが、弱みを探るには仕方ない。どう転んでも有利な一手だ。

 さぁ白崎、どう出る!


「……クソブスって言った。また私の事、クソブスって言った……」


 白崎は俯いて、ブルブルと震えていた。

 はっ。やっぱりだ。喫茶店ではあんなことを言っていたが、その実こいつはめちゃめちゃ気にしているのだ。そりゃそうだ。白崎は美少女だ。文句なしに可愛い。誰が見たってそう思う。まるで美の女神の加護を受けているみたいだ。そんな女が、地獄の悪魔の総大将みたいな醜い面をした俺にクソブス呼ばわりされて、平気なはずがない。プライドはズタズタ、内心腸が煮えくり返っているはずなのだ。だからこそ、こんな大掛かりな仕返しを仕掛けているのだろう。そこに付け入る隙が――


「きゅ~んきゅんきゅん! もっと言って! もう一回! ねぇもう一回! その冷たい目で罵って!」


 蕩けた笑みを撒き散らすと、白崎は犬コロみたいに俺の周りを跳ねまわった。

 その姿に、俺は本気でゾッとした。いくら俺が憎いからって、そこまでするか? 

 引くわーマジ引くわ。この女、怖すぎだろ!?


「見たかよあれ」

「絶対おかしいって」

「やっぱ催眠アプリだよ」

「惚れ薬を使ったのよ」

「魔法だ」

「チートだ」

「悪魔の力で洗脳したんだ」

「違うって言ってんだろう!? この女がマジで純粋に頭がおかしい変態なだけだからな!?」


 俺以上にドン引きしている周りの連中に言い放つ。

 なぜだ!? おかしいのはどう考えても白崎だろ!

 なんで俺が卑劣で卑怯なド腐れ外道みたいな目で見られないといけないんだ!?

 確かに俺は嫌われる事を望んでいる。けど、それにしたって嫌われ方ってものがあるだろ!? やだよこんなの! 勘弁してくれ!


「はっはっは、ねぇ言って! 言ってよ黒川きゅん、もう一回、私の目を見てクソブスって言って! 酷い言葉で私のハートをゾクゾクさせてよ~」


 とろんとした目の白崎が、犬みたいに舌を出してはーはーしながら縋りつく。怖い、普通に怖い。鳥肌が立つ。

 そんな姿に周りの視線はますます冷たくなる。

 だめだ、ここに居たら終わる。

 よくわからんがなにかが終わる

 とにかく一時撤退だ!


「黙れっての!」

「うーわんわん!」


 白崎の首根っこを引っ掴んで廊下に飛び出す。

 廊下だって野次馬でいっぱいだ。そいつらを力づくで蹴散らして進む。

 とにかく一旦落ち着きたい。

 ぐちゃぐちゃになった頭を整理したい。


 けど、どこに行けばいい? いつも教室でボッチ飯を食っている俺だ。静かに飯が食える隠れスポットなんか知るわけがない。

 焦る気持ちを押し殺して当てもなくさ迷い歩く。

 右手に掴んだ白崎は抵抗もせずに引きずられている。なんなら面白そうにケラケラと笑っている。本当になんなんだこの女は。


 で、俺と白崎がそんな風に移動していたら嫌でも目立つ。クソ程目立つ。みんながジロジロなんだこいつはと俺を見る。やめろ、そんな目で俺を見るな! いかん、このままじゃ過呼吸になる。それは駄目だ。そんな事になったら笑い者だ……。


「大丈夫黒川君? なんだか顔色悪いけど」

「はー、はー、はー……うるせぇ、なんでもねぇよ……」


 なんでもなくない。俺はほとんど過呼吸手前で頭がまともに動かない。

 世界は回り、視界は狭まり、息は苦しく、叫びだしたくてたまらない。

 右手に掴んだ白崎が抜け出していた事だって今気づいたくらいだ。


「……ごめんね。ちょっとふざけすぎちゃった。私のせいでうるさかったよね。静かな場所知ってるから、そこで一緒にお昼食べよ」

「……静かな、場所」


 うわ言のように呟くと、俺は差し出された手を掴んだ。

 そのまま、母親に導かれる子供みたいに女の後ろをついてく。

 どういうわけか、その時の俺は女の後ろ姿に母親の影を重ねていた。

 この世界でただ一人、こんな俺を愛してくれた女性の影を。




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