第26話 悪党のうごめき

 それからひと月。


 オーフェンたちの襲撃はない。


 しかもNWEは絶好調だった。紙ぺらだったチケットは入手困難なレアものと化し、無人の荒野だった宣伝用SNSはライオンの情報を集めるハンター達のたまり場になっていた。


 もちろん今日の試合も満員の大盛況で、ロッカールームのレスラーたちはハイタッチでが喜びあっている。


 そんなロッカールームのドアが勢いよく開けられ、裏方スタッフのブルースが息を切らせて飛び込んできた。


「みんな、聞け。大変なことが起きた。いいか、くれぐれも冷静に、落ち着いて聞くんだぞ」


「どうしたんだよ。お前のほうこそ落ち着けよ」


 ブルースは胸に手を当てて呼吸を整え、話し出す。それでもなお声は震えている。


「驚くべきことに、NWEのスポンサーになってくれるという企業が現れた」


「うわおおおおおおお、マジかよ」


「ああ、マジだよ。しかも提供してくれる金額というのがまたすごくてな。聞いて驚け。なんとなんと、さ、さ、3、300万ドルだ」


 ロッカールームは歓喜の渦につつまれた。皆がガッツポーズし、踊り、走り回り、喜びを爆発させる。


「それで、その300万ドルも出してくださる企業様ってのはいったいどこの誰なんだ? スポンサーといえば、リングコーナーとかに企業ロゴを張り付けたりするんだろ? かっこいいやつがいいな」


「それがちょっと変わった条件を二つ出されてな。企業名を明かさない、っていうのが一つ。もう一つはお前たちレスラーへの条件だ」


「ほう、何でも言ってくれよ。300万ドルくれるってんならケツをなめたっていいぜ」


「次の試合、アレックスとアンソニーをメインにしてほしいそうだ。フィニッシュ・ホールドもご指定で、トップロープからの攻撃で試合を締めてほしいそうだ。どうだアレックス、やるよな?」


「あったりまえだろ」


 アレックスもがスポンサー様の指示に頷くと、レスラーたちもそれに続く。今やアレックスとアンソニーの対決はNWEで最も人気のある組み合わせだし、トップロープからの攻撃というのも人気がある。スポンサー様はプロレスをよくわかっている。企業名を明かさないという妙な条件を出されのは、ビジネスとしてスポンサーになってくれるのではなく、ファンだから応援したいという理由だろう。そう思うレスラーたちの士気が上がる。


「よっしゃ、アンソニー、それじゃあ今からトップロープの動きを練習しに行こうぜ。最高の試合にしなくちゃならん」


 アレックスはそう言うと、ロッカーから練習着を取り出した。


 トップロープからの攻撃とは、リングを囲うロープの最上段に上り、そこから飛び降りてレスラーにぶつかるというド派手な技だ。最高に盛り上がるが、その分危険もある。トップロープは120cmの高さがあるのだから当然だ。しかし、だからといってやらないレスラーはいない。練習を重ねて安全性を高め、ファンの歓声をつかむのだ。


「ああ、いいだろう。リングへ行ったら話もしたいしな」


「話ってなんだ? 別にここでしてもいいぞ」


「いいや、リングに行ってからだ。さ、行こうぜ」


 こうしてアレックスとアンソニーはリングへ向かった。


 ブルースはその背中に向かって「ケガだけはするなよ」と言い、レスラーたちが大騒ぎしているロッカールームから廊下に出る。そして懐からスマートフォンを取り出すと、スポンサー様に契約成立の旨連絡する。


「もしもし、NWEのブルースです。……ええそうです、レスラーたちが条件を了承しました。今後は私たちのスポンサーとして、どうか一つよろしくお願いします、タイタンコーポレーション様。……えっ、用具まで提供してくださるんですか。ありがとうございます」





 レスラーたちはNWEの飛躍を喜び、ファンはレスラーたちの躍動を喜ぶ。


 アレックスの活躍はすべての人に幸福をもたらしたかに思われたが、例外がいた。オーフェンである。


 時刻は午後10時。オーフェンの執務室からはニューヨークの夜景が一望できる。そこに集められた暗殺チームは、全員が直立不動で雇い主オーフェンの言葉を待っている。


「やれやれ困りましたね。ローカルではあるが、新聞記事にまでなってるじゃないですか。力づくで毛皮を奪うプランは見送りですね」


 オーフェンが新聞をデスクに放り投げた。その新聞はニューヨークの地方紙であり、スポーツ面でアレックスの活躍を伝えている。小さいながらも写真まで掲載されており、あろうことかライオンの毛皮を被った状態で映っている。もはやアレックスは無名の若者ではない。オカルト王国の住人およびプロレスファンは彼と毛皮をよく知っている。アレックスが殺害された後、身の回りから毛皮が失われていれば一大事だ。オカルト好きが騒ぎ、警察は毛皮を奪うための犯行として捜査するだろう。


「すみませんミスターオーフェン、我々の力不足でした。ですがどうかもう一度チャンスをください。次こそは必ず毛皮を奪ってきます」


 暗殺チームのリーダー、シーザーは深々と頭を下げた。


 オーフェンはいいのだよ、と軽く手を振る。その顔は怒っているどころか笑顔であった。


「別に気にすることはない。神話の力が目覚めていたのだから、君たちが奪えなくて当然さ。というより、奪えてしまえば神話の力が疑わしくなる。それに私は今機嫌がいいんだ。君たちが素晴らしい情報をもたらしてくれたからね。さあ、君たちも見てごらん」


 そう言ってオーフェンがパソコンを操作すると、先日、オーフェンの屋敷でアレックスと暗殺チームが争った様子が動画として再生された。屋敷内の防犯カメラに写っていたものだ。毛皮を被ったアレックスが暗殺チームを軽く蹴散らしている。


「確かにすごいパワーですね」


「そうじゃない。見るべきはここだよ、ここ」


 オーフェンはそう言って映像を巻き戻し、画面を指さす。指し示したのはライオンの毛皮、ヘラクレスの口元だった。


「ここ……、ここだ。よく見てみたまえ。このライオンの毛皮、口を動かしているだろう。何か話したのだ。その直後、アレックスは毛皮の顔を見つめてやはり口を動かしている。つまり会話が発生したのだよ。このライオンの毛皮は意志を持ち、会話することが可能なのだ」


「はあ……、そうですね。そういえばあの時、毛皮が口をきいていたような気がしますね」


 オーフェンは興奮した口ぶりだったが、シーザーは不思議だった。毛皮が言葉を話すのはすごいが、今更騒ぐほどのことだろうか。あの毛皮は身に着けるだけですごいパワーが身につく。走行中のベンツを正面からぶっ飛ばすそれを見た後では、そちらのほうが重大に思えてしまい、どうもインパクトに欠ける。


 暗殺チームのほかの面々もそう思ったようで、


「へへ……、口をきくライオンがお好みなら、俺がトイザらスで買ってきてあげましょうか」


 と軽口をたたく者がいた。


 直後、オーフェンの持つ花から炎が噴き出し、軽口をたたいた者の前髪が焦げた。


「まさかこの素晴らしさを理解できない愚か者がいようとは。あの毛皮が言葉を話すということは、神々の持つ知識や、失われた太古の歴史を手に入れられるということだぞ。他の何を差し置いても手に入れる価値がある。軽々しい口をきくんじゃない」


「はい、どうもすみません。こいつらにはよく言って聞かせておきます」冷たく睨みつけられ、シーザーは身震いした。「しかし、それほどの一品なら見逃す手はありません。何とか策を練り、手に入れなくては」


「当然さ。新プランはすでに発動している」

「発動している、のですか? 我々暗殺チームは何も命じられていませんが……」


「さっきも言っただろう、力づくは見送りだと。私の本業であるビジネスで攻めているのさ。これなら奪うのではなく、アレックスのほうから毛皮を差し出すことになるだろう。今から楽しみだよ、毛皮をこの手にする日が」


 オーフェンが高笑いするのを見て、シーザーの背筋が冷たくなった。人殺しも放火もいとわぬ者が行う『ビジネス』とはいったい何なのだろうか。恐るべきやり口に違いない。

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