再起を図る②

 元将軍・慶喜が秘密裏に江戸へ帰還したことについては、新選組以外の旧幕府関係者からも辛辣な評価をされていた。一部、「そもそも慶喜は勤皇家なのだから朝敵となるのをよしとしない気持ちはわかる。あの状況なら仕方がない」と理解を示す者もいたというが、大多数が「あのまま鳥羽・伏見で慶喜が直接指揮をとれば勝機はあった」「味方を置いて逃げ帰るなんて」と考えており、徹底抗戦を主張する者は後をたたない。

 御多分に漏れず、新選組の総意も「抗戦」であった。そのため、上野寛永寺にて謹慎、恭順の意思を示すとした慶喜の護衛を言い渡された時、勇は慶喜への面会を申し出たものの、叶わなかった。慶喜は、「謹慎中ゆえ」と、誰との面会も受け付けないらしい。

 勇はたいへん気落ちした様子だった。だがとにかく今は与えられた警護の任務をまっとうするしかないと、さくらや歳三以外の隊士の前では気丈にふるまい、皆を鼓舞した。

「公方様の警護こそ、新選組の本来の任務だ。こんな時分だが、皆胸を張って隊務にあたってくれ」

 勇の朗々とした声には、大将たる風格があった。その様子には、新選組はまだまだやれる、と思わせるものがあった。もしかしたら、慶喜の気が変わって、なにかいい方向に向かうかもしれない。漠然とした淡い期待を、さくら達はまだ完全に捨てることはできなかった。


 しかし慶喜は愚直なまでに謹慎をまっとうした。そして特に事態の好転を招いたわけでもなかった。「慶喜に免じてすべてを水に流しましょう」なんてことになるはずもなく、新政府軍は進軍を続けている。江戸の町中では、「薩長が攻めてくる」という噂がまことしやかに広がり、いつでも逃げられるようにと荷物をまとめる者や、実際に遠方の親戚を頼って江戸を脱する者もあった。自分たちの住む町が火の海になる。その危機感、恐怖感で、人々はそわそわと落ち着きのない日々を送っていた。


 そうした中、新選組には新たな任務が課せられた。

「甲府を、押さえろということだ」

 勇の声は弾んでいた。嬉しさが隠し切れないといった様子だ。集められたさくら達幹部隊士は、続く内容を聞いてその理由を知る。

「皆も知っての通り、薩長の軍は着々とこちらに進んできている。それを食い止めれば、甲府城は我々のものとなる」

「……と、いうことは、いさ、近藤局長が、大名になるということか?」

 あまりの驚きに、さくらは上ずった声で尋ねた。勇が一国一城の主になるのだ。多摩の百姓が、そこまで出世するなんて。武士の身分を与えられただけでも十分満足していたが、これは望外の喜びだ。……半年前であれば。

 幕府は、もうないのだ。もちろん、旧幕府軍の一員として善戦し、形勢逆転の機を伺いたいという気持ちに嘘はない。しかし、たとえ旧幕府こちらが勝ったとしても、今まで通りの世の仕組みが続くかは疑わしい。「大なり小なり、この国は変わる」とは慶喜自身が口にしていたことだ。この時分に大名になることに、果たしてどこまでの値打ちがあるのだろうか。などということは、口に出せないさくらであった。

 そして次に発言したのは新八だった。

「ですが、局長、怪我の具合は……?」

 勇は「大丈夫だ」と得意げに答えた。

「松本先生から、剣を振り回すことはできなくても、行軍に耐えうるくらいには回復しているとお墨つきを得ている。皆には負担をかけることもあるだろうが、諸所采配するには問題ない。なあに、いざとなったら、多少の無理を押してでも戦場いくさばに出られるさ。その後のことはその時考えればいい」

「そうですか。局長が、そうおっしゃるなら」

 新八の表情は、最初からここまでずっと険しい。他の者もそうだった。「甲府の主になる」という話に喜んでいる様子を見せる者はひとりもいないことに、さくらは気が重くなった。


 二月の終わり、新選組は鍛冶橋の屯所を出発した。勇と同じく療養生活をしていた総司も、暖かくなって少し調子がよくなったからと、皆の反対を押し切り行軍に加わっていた。

「総司、本当に大丈夫なのか?」

 さくらは駕籠の中の総司に声をかけた。どうしても行軍に参加したいという総司に勇が提示した条件が、甲府の山道に入るまでは駕籠に乗ること、であった。あくまで戦場で本領を発揮できるように、今は体力を温存しておくべきだという理由だ。

「もちろん、大丈夫ですよ。私だけがこんな、駕籠に乗るなんて申し訳ないですが」

「気にするな。むしろ、眠れるなら眠っておけ。見えぬかもしれぬが、ところどころ桜が咲いている。すっかり暖かくなって、昼寝日和だろう」

「昼寝日和なんて、これから戦地に赴くという時に出る言葉ではないですね」

 こんな返しができるのであれば、ひとまずは心配いらないだろう。しばらくしてさくらが駕籠に顔を近づけると、総司の寝息が聞こえてきた。


 新選組は、甲州街道を西へ西へと進んでいた。人員が足りず、各所で兵を募りながら行軍していく。徳川への忠誠心厚く、かつての勇たちのように武士へのあこがれをもつ農民が積極的に加わった。その中にはもちろん、歳三の義兄・佐藤彦五郎さとうひこごろうも含まれていた。彦五郎は、府中宿まで早々に出向き、さくら達と合流したのだった。

「近藤先生。いや、大久保先生。ここまでのご立派な働きぶり。本当にご苦労様でした」

 彦五郎は満面の笑みで、恭しく頭を下げた。この時、勇と歳三はそれぞれ「大久保大和おおくぼやまと」「内藤隼人ないとうはやと」の変名を名乗っていた。

「やめてくださいよ彦五郎さん、そんな仰々しい挨拶」

 勇が手を振って謙遜すると、彦五郎はにぱっと笑って勇の肩をばしんばしんと叩いた。

「あっはっは、それもそうだな。でも、俺ぁ本当に嬉しいんだ。あの勝五郎少年がこんな立派なお侍さんになって戻ってくるなんて。歳三、お前もよくやった。こんなに誇らしいことはないよ。さくらちゃんに、総司も!」

 さくら達四人は、照れたような笑みを浮かべた。天然理心流を背負って京に上り、武士になったこと。それを「よくやった」と真正面から褒められるのは素直に嬉しかった。だが

「……源三郎さんのことは、残念だったな」

 顔を曇らせる彦五郎を見て、さくら達の笑顔は消えた。江戸に戻ってきたのも、決して華々しい凱旋ではない。負けて、逃げた大将を追いかけてきたのだ。そして、ここに来るまでに源三郎だけでなく、多くの仲間を失ってきた。

 けどな、と彦五郎は言葉を続けた。

「武士として戦に出るというのは、そういうことなんだよな。身近な知り合いがこういうことになって、俺は初めて実感としてわかったような気がするよ。それでも、ここでびびって引いたら御領(※幕府直轄領)に住む者の名折れだ。文字通り、命を懸けて薩長の奴らを食い止めにいかないとな」

「はい。……その通りです」

 勇は、力強く答えた。このあと、彦五郎の声掛けで近隣の者も集まり、皆「共に戦う」と戦意は十分であった。

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