本番当日③ スケルツォ、そしてノットルノ

 通常、クラシックコンサートにおける拍手は、曲の終了時に演奏者に送るものだ。

 ポップスの曲と異なり、クラシックの曲は、いくつかの曲や楽章が組み合わさって一曲となるものも多い。その場合、すべての曲・楽章が終わってから拍手を送るのが慣習だ。


 けれど今回は、一楽章終了後、少しだけ拍手をした方がいたようだ。

 きっと、そういったクラシックコンサートに慣れていない人が、間違えてしまったのだろう。それこそ、美音の友達かもしれない。

 

 でも僕は、それがダメだとは全く思わない。先ほどの演奏を聴いて素直に賛辞を送っていただけたのなら、こんなに喜ばしいことはない。


 少し顔がにやついてしまうのを抑えながら、僕は二楽章の開始に備えた。


 先の一楽章とは違い、速いテンポで、テクニックも求められるスケルツォ。

 皆の間に緊張の糸が張り詰めるけれど、それすらこの楽章の雰囲気には相応しいように思えた。


 フッ、と、第一ヴァイオリンの美音が短く呼吸し、弓を振る。

 そのテンポ感に合わせ、二楽章の演奏が始まった。


 初期の合わせでは、美音は上手いこと曲の雰囲気に合わせられず、ドツボにはまっていたっけ。


 でも今はそれを克服し、流れるように展開する三拍子が心地よい。


 初回の練習から、二週間後だっただろうか。再度、この二楽章を練習した日のことを思い出す。


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「美音、やっぱり何だかバタついているな」

「でも明石さん、この曲細かいし、色々やること多いしで、なかなか入り込めなくて……」

「ま、今は色々試してみな」


 そんな月島さんに付き合って、何回か二楽章を流した頃だろうか。


「あー、もう、色々考えるの、やめる!!」


 月島さんが遂に叫んだ。


「ね、ねえ、月島さん、大丈夫?明石さん、あまり根を詰めすぎてもだし、いったん休憩にしませんか?」


 しかし僕の提案はあっさりと却下される。


「『考えるのやめる』、いいんじゃねえか?いったんそれでやってみろよ」

「え?でも明石さん、前から私に『色々試行錯誤しろ』って……」

「おう、だから『考えない』のも試行錯誤の一つだ。じゃ、冒頭から……」

「わ、わっ」


 有無を言わさず指揮を振り始めた明石さんに、僕らは慌てて楽器を構え、演奏に突入する。

 当然バラバラの入りになってしまったけれど、強引に指揮をする明石さんに何とか合わせていくうちに、演奏がまとまってきた。


 ……おや、今、良い感じじゃないか?


 様子を伺うと、皆も何だか納得できるようなできないようなといった、神妙な顔ながらも、曲は流れていく……。


 区切りの良いところで、明石さんが演奏を制止した。


「……できた」


 月島さんがポツリと呟く。


「おう、できたじゃねえか」


 ニヤつく明石さん。


「できたぁ!!でも、何で?」

「答え合わせしようか。おう、調」

「は、はい、何でしょう?」


 いきなりの指名に驚く。


「お前がこの二楽章で意識していることは何だ?」

「ええと、『大きな流れを捉える』ことですかね」

「大きな流れ?どういうこと?」


 今度は月島さんが尋ねてきた。


「ええとつまり、この楽章だったら一小節に音符が詰まっていて、どうしても個々の指回りとかに意識が行っちゃうでしょ?でもCDとかで聞くと、一小節ごとというよりも、四小節とか八小節くらいの塊で音楽が聞こえてくるんだよね。だから僕は、フレーズを大きく捉えて、その中に細かいパッセージをはめる、というイメージで弾いてるよ」

「はあ~、なるほど」


 感心したように月島さんが頷く。


「おう、それがテンポの速い曲を弾くときの常套手段。

 美音は個々の難所に意識が行き過ぎて、全体の流れを掴めていなかった。それがさっきは、個別の個所を意識するのをやめた分、もっと大きな視点で音楽を掴めた、ってとこか。

 坂本さん、吉田さん、これは第二ヴァイオリンやチェロでも同じことが言えるんで、みんなでそれを意識して、もう一回やってみましょう」


 果たして明石さんの言う通り、ここから、二楽章の演奏が劇的によくなったんだ。


「明石さん、二楽章のコツ、もっと早く言ってくれたらよかったのに!!」


 この日の休み時間、吉田さんが明石さんに愚痴っていた。


「いや、あくまでそれぞれの難所がある程度弾けることが前提なんで、あんまり早く言ってもできなかったすよ、多分」


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 演奏会本番の時間は流れていく。

 

 二楽章も無事に終わり、次は三楽章だ。

 「ノットルノ」と題されたこの楽章は、日本語で「夜想曲」。英語で言う「ノクターン」という言葉は、聞いたことがある人も多いだろう。


 夜の風情を、最高にロマンティックに表現した、甘い楽章。

 この楽章ではどうしても、あの夜・・・のことを思い出す――。


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 二楽章の形が見えてきた練習から、一週間後。その日は土曜日だけれど、メンバーの都合がつくのが夜しかないということで、珍しく十九時から二十一時といった時間帯での練習だった。


 吉田さんや坂本さんが、「未成年を夜遅くまで連れ出して、申し訳ない」なんて言ってくれていたけれど、僕らももう高校二年生だ。塾なり学校行事なり、あるいは友達との遊びなりで、これくらいの時間になることは珍しくない。

 あんまり気にしてくれるものだから、月島さんと一緒に苦笑いしたっけ。


 その日は三楽章を集中的に練習。しかし、ここで明石さんにすっぱ抜かれたのは、僕と月島さんだった。


「お前ら、愛が足りん、愛が!!」

「えーと、それはつまり……」

「調、この曲を最初に聴いて、どう思った?」

「そりゃあ、すごくきれいな曲だなあ、と。この楽章だけ取り出して演奏されることが多いのも分かります」

「美音は?」

「私もです。奥さんとのロマンチックな思い出を歌ってるみたい」

「美音の方が、まだ近いかな。

 お前ら、まだ綺麗すぎる。端的に言えば色気が足りん。それはつまり、愛を知らんということだ」

「えー、私たち、まだ高校生ですよ……」


 月島さんが口を尖らすと、


「明石さん、そうですよ。あんまりその辺を子供たちに求めても……」


 坂本さんが苦笑しながらフォローしてくれた。


「まあ確かに高校生だから、健全な恋愛しかしてもらっちゃ困るな……とは言え、この曲は絶対もっとよくなると思うんだなあ。おい、調!」

「は、はい!」

「何とかしてこい」

「ええ~、そんな、無茶ぶりな……」


 そんな感じで練習が終わり、解散。

 大人たちに月島さんを送るよう強く言われ、僕は遠回りして彼女の最寄り駅まで行くことになった。


 都内は狭く、数十分も電車に揺られれば、大抵のところには着いてしまう。

 改札まで送りながら、僕は月島さんに尋ねる。


「駅から家までは近いんだっけ?」

「うん、すぐだよ」

「そうか。じゃあ、僕はこの辺で」

「あ、待って、藤奏君」

「どうしたの?」

「……ちょっと、時間ある?少し話そうよ」 


 月島さんの家と僕の家は近いとも遠いとも言い難い微妙な位置関係だけど、それでもここから帰宅まで三十分程度、まだ十時前だから、余裕の時間帯だった。


「いいよ」


 僕は承諾し、改札をくぐることにする。

 月島さんは「それは悪い」って言ってたけど、人が多くて、駅構内はなかなか落ち着かなさそうだったから。


 結局月島さんの提案で、彼女の自宅近くの公園まで送ることになった。


「ふー、思ったより寒いねえ」

「もう十一月だからね。月島さん、コーヒー、飲む?」


 道中で自販機を見つけると、ドリンクで暖を取りたくなったんだ。


「お、いいねえ。あ、待って、ここは私が出すよ」

「え、そのくらい大丈夫だけど」

「いやいや、ここまで来てもらっちゃったから、そのお礼ってことで」

「……じゃ、ありがたくいただいとく」

「よろしい」


 そんな会話をして缶コーヒーを二本手に入れ、公園のベンチに腰掛けた。


「あのさ、さっきの明石さんの、三楽章のことなんだけど」


 月島さんが切り出す。


「うん」

「愛が足りない、って言われたじゃない。それで、藤奏君はさ、その……言いたくなければ、それでいいんだけど……」


 ああ、なるほど。


「前にフラれたこと?さすがに時間が経ってるし、ショックは和らいでいるから、大丈夫だよ」

「そうなの?

 ……いや、でも、やっぱいい。悪いし。ごめんね、嫌な話しちゃって」

「そう?」


 そう言われると、わざわざ自分から話すこともないだろうけど……。


「愛が足りない、か。確かに僕も、ずっと片思いだったから、誰かと付き合って……みたいな経験はないんだよなあ。難しいよ……」

「そうなんだよね。私も恋愛経験あんまないし……」

「またまた、謙遜しちゃって」

「ホントだよ!」


 頬を膨らます月島さん。


「え、それは意外」

「意外って、何で?」

「そりゃあだって、可愛いし、性格も良いしで、絶対モテるでしょ。告白されたこととか、いっぱいありそう」

「……ストレートに来るなあ」


 あ、つい本音が……。


「あ、ごめん……」

「いや、良いんだけど。確かに、男子に告白されることはあるよ。でも、全然話したことない人と付き合えないし。割と女子同士でかたまってることが多くて、あんまり男友達はいないんだよね。むしろちょっと身構えちゃう」

「そうなんだ。話していると、そうは思えないけど」

「いやそれが、藤奏君はめっちゃ話しやすいんだよね。メロ様だってことも知ったからかな?すごい身近に感じる、というか。

 まだ知り合って一ヶ月も経ってないのにね」

「言われてみると、僕も月島さんとは話しやすい。音楽やってるからってのもあると思うけど、そうか、まだ一ヶ月経ってないのか」

「ね。ってかさ、苗字呼びも止めちゃわない?何か、堅苦しいし、むずむずする」

「え?僕はまあ、いいけど……変に誤解されないかな?」

「誤解って、何を?」

「そりゃ、付き合ってるんじゃないか、とか」

「う……」


 あんまりそういうことを考えていなかったようだけれど、僕の指摘から思い至ったのか、彼女は少し俯いた。

 ややあって、彼女が少し顔を上げる。


「うーん……藤奏君は、迷惑?」


 その上目遣いは反則に思えた。


「いや、そこまでは……」

「じゃ、いいんじゃない?」

「いいんですかね」

「いいんですよ」


 そうなのか。

 

 そこから、二人の間に静寂が流れる。


「……呼んでよ」

「……いや、そっちこそ」


 改めて身構えてしまうと、何だか恥ずかしいな……。

 それは向こうも同じようで、お互いしっかり顔を見れなくて、正面のベンチを眺めていた。


「……美音」

「……調」


 僕がポツリと呟くと、美音も同じ調子で返してくれた。


 美音がスクッと立つ。


「よし、調!握手しよ!」

「え、いいけど、何で?」

「そりゃあ、これからもよろしくってことだよ!」

「ああ、なるほど」


 美音が差し出した手を、僕は握り返した。


「じゃあ、演奏会、絶対いいものにしようね、調!」

「うん!こちらこそ、よろしく、美音」

「ありがと!じゃ、私、帰るね。また学校で!」


 美音と別れ、僕も帰路につく。


 何気なしに夜空を眺めると、自然とノットルノの音楽が思い出されたんだ。

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