第28話 甘美とファンレター

 閑谷のCM撮影からしばらくは束の間の平穏が流れる。というか……そもそもオレはただの付き添いに過ぎないから、基本的には高校に通って実家に帰るというサイクルを繰り返すだけだ。今のところあの日だけが特別だったといえる、色んな意味合いも込めて。


 一方で閑谷はというと。絶賛流行の只中のタレントとだけあってか学校でも注目の的で、教室に別クラスの生徒たちが休み時間に観覧しに来ていたり、渡り廊下を歩いていると羨望の眼差しを向けられたり、二度見されたり、どこからとなく声を掛けられたりと、少なくとも普通の高校生の反応じゃない。


 そんなオレと閑谷が通学する探波たんなみ第三だいさん高等こうとう学校がっこうに、閑谷以外に芸能人はいない。だからその物珍しさと、実際の彼女の美貌が本物であること。他にも要因としては多々あるが、簡潔に表すと普通に生活をするだけで他者を惹きつけてしまう状態だ。


 それら全てを受け入れた上でのタレント活動だろうけど、閑谷の気が休まる時間がどこにあるのかと少し心配ではある。


「よーしながーーっ!」

「……えっ? なに?」

「……なにじゃねえよ、もうホームルーム終わってみんな下校しようとしてる。バッグも用意しないでぼー……とさ、お前が何してんだ?」

「うん? ああ……——」


 出席番号順に振り分けられた教室の前席である陽川ようかわ 嘉人よしとが荷物を肩に掛け、彼自身の短髪の後頭部を摩りながら指摘する。オレはそれとなく周囲を見回す。


 すると既にほとんどのクラスメートが席を立ち、会話中の声だってこんなにも聴こえるのに、なんで全くもって気が付かなかったんだと不思議になる。


「——もう帰りか……悪い陽川、助かる」

「おう。なんか体調がおかしいとかじゃないんだな?」

「全然。先生の与太話が退屈過ぎて、無我の境地みたいなところにいたわ」

「いや……期末テストの話なんだけどな?」

「……マジ?」


 そんな雑談をしながら、オレは重い腰を上げ帰り支度をする。陽川とは接点が少なくなりがちな窓側後方側席の前後ろともあって、クラスで一番交友のある男生徒だ。見るからにがたいが良くて体育会系というか、第一印象は性分として根暗なオレとは合わないタイプで苦手だなと思っていたけど、喋ってみると思いのほか普通に面白くて高校では良く一緒に居る。


 ちなみに閑谷とも同じクラスではあるけど、高校だとあまり接点がない。隣歩いたことはおろか、ちゃんと話したことがあったかどうかも記憶にない。


 もちろん男女という性別の壁があるし、入学してからまだそんなに経っていないし、なのに閑谷はたくさんの人たちに愛想を振り撒いているし、わざわざオレになんか関わる理由がないからだろう。


 時の人となり、タレントとしての活躍の兆しまで覗かせ衆目に晒される彼女も、高校ではあくまで生徒の一人に過ぎない、謂わばプライベートと変わらない。タレント探偵の補助役なんて不必要の方がいい。結局のところ、そのほうが日常とは平和だからだ。


「そうだ。俺今日ヨミゼリヤに行くんだけど、吉永もどう?」

「……いや、このあと予定あるから」

「そっか、ならしゃーないな……というか、これから予定があるのにあんなぼんやりしてたのかよ。約束に遅れてないか?」

「うん。別に急ぎじゃないからな」


 適当にノートをバッグに突っ込んで教室を出る。ファミレスに行く言う陽川と校門で別れた後、そそくさと早歩きで通学用バスの停留所まで向かってそのまま乗り、自宅の最寄り駅で降車する。


 しかし自宅への帰路にはつかずに反対側のルートを選び、並木がそびえる道路沿いを直線して行くと目印の喫茶店の看板があり、その喫茶店と右隣のビジネスビルの間には人がギリギリすれ違うことが可能な路地がある。


 そちらへと右折すると、オフホワイトのコンクリート通りを行き、ビジネスビルの真裏にある薄黄の外壁をした二階建て四方形の建造物の真下で足を止める。止めた理由は二つ。一つはここがオレの目的地だから。そしてもう一つは、その建物入り口付近で待ちぼうけている閑谷が立ち尽くしていたからだ。


「……なにしてんの?」

「あっ吉永、もしかして迷ってた?」

「いや普通に遅れただけ。流石に何度も来て迷ったりはしないよ」

「ふーん。ならいいけど、吉永も私と一緒の送迎車に乗れば良かったのに。同じクラスで時間がズレるってどうなのかな」

「折角購入した定期券がもったいないから。あと、閑谷と同じ車に乗ると面倒だろ」


 オレの記憶が正しければだけど、閑谷も元々はバス通学だったが、図らずも一般人としてはとてつもないくらいの知名度が世間に轟き、雫井プロダクションに所属してタレントとなった今では事務所の専用車で移動するようになった。


 芸能人としてもかなり特別待遇だけど、その知名度と通っている高校がネット上に割れている危険性を鑑みれば当然の判断だとする雫井プロダクションと、閑谷の活躍によって一般認知度が良い方向に上昇したと芸能活動を喜んで受け入れた探波第三高校。双方の合致により認められている形式だ。


 そんな特例をオレが利用するのは違う。ましてや閑谷の今後を考えれば、もっと適切な距離を保たなければならない。


「うーん面倒か……私としてはそんなことないんだけどねぇ……」

「もう閑谷は、閑谷だけの問題じゃ済まない存在になってるからな。オレもこんな配慮も出来ないのに近くには居られないだろ」

「うん、そうかな? あっ、立ち話も誰かに聴かれちゃうかもだし入ろうか?」

「ああ」


 そう呼応して、オレは踵を返す閑谷の後ろを遅れて追い掛ける。そこは名称的に事務所ではあるけど雫井プロダクションじゃない。この薄黄色の外壁の中央に掲げられた表式には滑らかな文体で【田池探偵事務所】と、堂々と記されている。

 ここはある意味で、オレと閑谷の関係を直接結び付けるキッカケを作った事務所だ。

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