第17話 白々とした花弁に雨雫が伝う⑭

 均等な距離感のある三方向の中から閑谷が最初に秋波した相手はオレだった。いや正確にはオレと泉田さんとその他諸々の用具とするべきかもしれないが、ここは割愛しよう。静寂の彼方にタレント性豊かの未熟な探偵が煌々として一人。この予定調和の局面は閑谷の清廉さ帯びる台詞から畳み掛ける。


「これは私が思ったことなんですが、朱里さんの見解と現場状況を照らし合わせるとですね……故意であれ、故意では勿れ、やはり吉永には無理なのではないかなと考え……いや、私は推測します」


 閑谷は迫真の台詞と共にオレの関与を否定し、これから反対意見が来るであろう方角を眺める。相対してただの感想を述べただけで、何故そこまで核心を得た振る舞いと言動をするのかと眉を顰めた白砂 朱里は、まるで手にあるスマホを当人に返そうと歩み寄る。負傷した左足に鞭を打つように、地面に引き摺りながら。


「えっ、あっ、朱里さ——」

「——平気よ。それよりも鮮加……何故そう言い切れるのか、貴女の具体的な見解を教えなさい」


 白砂 朱里は鈍い足取りで閑谷にスマホを返還すると、オレの隣……正しくはハンガーラックの真ん前で立ち止まる。恐らくは写真集のために着用したか、選択肢に入っていたであろう衣装を隈なく直接目視している。


 このまま待つか、発言を続けるかと迷っていた様子の閑谷はとりあえず後を追うと、オレからの角度だと遮られて見えなかったけど、白砂 朱里からなんらかのジェスチャーを受けたらしく、さりげなく頷いて唇を弾く。痛みに耐える彼女に寄り添いながら。


「そうですね。まずはその朱里さん用の衣装が何もズレがないことが一つです。もし吉永が

 背景を倒したいと考えたのなら、このハンガーラックの上から押そうにも必ず触れるはずなんです。そして触れたならば、衣装は間違いなく傾いたりするでしょう。ましてやあれだけの高さなので重さもある、相応の力を加える必要もあり泉田さんが見ている、これらを咄嗟の思い付きで始めたとしても時間が掛かる——」


 閑谷は白砂 朱里を一瞥する。

 横顔に何を馳せているのかオレには分からなかったけど、推理をさらに述べていく。


「そして倒れた瞬間、私は吉永をすぐ発見しましたから、ズレた衣装を完璧に直すことも叶わなかったと言えます。そして事前に仕掛けを準備していたという可能性はないです。何故ならそもそもこのスタジオを訪れたのも私が由紀子さんに頼み込んだからで、吉永は謂わばついでなんですよ。朱里さんのことも多分知らなかった……よね? 吉永」

「あ、ああ」


 問い掛けに対するオレからの答えに、予想通りだと和かな表情をする。

 他人からの好感を得そうな姿だ。


「だよね。だってこのスタジオに来る前の化粧品の広告で、朱里さんがずっと映ってるのを観たはずなのに、全然指摘してこなかったもんね。本人を見てもなんとも反応しなかったし、興味ないんだなーって」

「えっ……あれって、そうなのか?」

「そう——」

「——そうよ。一年くらい前の私だから輪郭が丸みを帯びていて、流行りのメイクもファッションも異なるし季節も今と違う。ブランドイメージもあるから気が付かなくても無理はないけど、貴方にしては勘が悪いわね」


 肯定しようとしたであろう閑谷を遮り、これは自分自身のことだと白砂 朱里が相変わらず衣装のある方向を見つめたまま、抑揚もなく事実を淡々と並べていく。けれどオレのことを勘が悪いとは、どういう了見から導き出した例えだろう。正直それほど会話も交わしてもいないし、今日が初対面だ、不可思議な形容の仕方だと思う。


「それより鮮加、連れの吉永君を護りたいのは分かるわ。でもまだ幾つか案があると私は考えてる、例えばカーディガンとセーターの間から潜り抜ける、背景画の側面に移動して強引に倒す、もしくは背景とハンガーラックの空間に無理矢理入る、かな? このカーディガンとセーターはシワが目立たないし、元々比重が若干傾いてるからズレても気が付きにくい。あとの二つは苦肉の策だけど、出来なくはないよね?」


 白砂 朱里はあくまでオレの故意を疑う。正直そこまでして彼女が何をしたいのか、きっと一生共感することはないだろう。その視線の先になにを映すのか、どこを目標にしているのか、オレには正確に測ることは出来ない。


「それはですね。まず潜り抜けるとなると、カーディガンとセーターだけじゃなく他にも影響を及ぼします。人間が入れば必然として押し出されるでしょう。仮にそうでなくても、同じくモデルである泉田さんが、そんな奇行を許さないと思いますよ。本業の方々からすれば、謂わば聖域の衣装に傷を付けかねませんからね、朱里さんを恨んでいたとしても躊躇くらいはするんじゃないでしょうか——」


 そして閑谷ははりぼて背景の側面があったと思しき位置に移動して、更に答える。


「——あとは……私が側面から倒すとします。なら、私を含めみんなが見ていない訳がないので否定出来ます。そして背景とハンガーラックの空間に入るとするなら、こちらも衣装に触れるでしょうし、背景とハンガーラックの横幅は殆ど同じです。もし横入りするとしたら同様に、背景から吉永の身体がはみ出て、誰かからの視認が少なからずあるはずです。だけど実際は、吉永と泉田さんが裏側に移動したまでが辛うじてあるだけ。その一幕は多分ですけど、朱里さん自身が証明出来るかと」


 推論にモーションを交えながら捲し立てる閑谷の解答を、白砂 朱里は黙して聴く。そして一度なにかを諦めたかのように溜息を吐くと、オレを一瞬見て閑谷を据える。


「……まだ、吉永の疑いは晴れませんか?」

「……いえ。もう吉永君に罪があるとは思っていないわ、でも——」


 今の発言の解釈は、オレの故意による加害はないと認めたことになるだろう。けれど後に続く言葉は、そうじゃない場合の想定。


「——彼が偶然倒してしまった、というのはあり得ないの?」


 偶然という単語は、これがもしミステリー探偵モノの作品なら御法度の一言になるだろう。けれど偶然とは、論理的な物理法則がこの世に存在こそしているけど、わざわざ説明するのも億劫かつ無意味な状況下に用いられる言葉だ。正直、背景が倒れた理由なんて本来どうでもいい。それこそ偶然の一言で済ましても良い事柄でしかない。


 だからこの場で閑谷と協力して行うことは、まずはオレの故意も過失を完全否定する一択だ。ここまでの流れは、おおよそ予想通りに運ばれている。


「無いですね。それなら電動固定で停止しているハンガーラックも、一緒に倒れていないと不可能でしょう」

「……そうね、確かに」


 噛み締めるように、白砂 朱里はきっぱりと肯定する。それはオレがなにもしていないという明言では無いけど、実質その意味合いが込められているとみんなが受け取るだろう。故意も過失も不可能、ならば残るは潔白のみだ。閑谷は更に補足して、オレの無関与を示し続ける。


「それと実は私が撮った映像の中に、背景にキズが付いているのを確認しているので、プロの仕事とはいえ破損の否定は出来かねます。運送中なのか、誰かが細工したのかは不明ですが、それなら事前にやらないとでしょうから、吉永が行うのはいずれにせよ無理です……ただ、これで吉永の疑惑は朱里さんが怪しんでいるだけなんですけど、ここに来ることが決まっていた泉田さんへの潔白の証明はしかねます……朱里さん、どうしますか?」


 そもそもだけどこの論争は、何故かオレが白砂 朱里に疑われたからだ。二人を糾弾するならまだしも、オレか、もしくは泉田さんの片方を追及するのはおかしい。それこそこんなの、偶然とか運が悪かった、そんな台詞で済ませられるはずの出来事なんだから、何のための矛先だったのかと彼女の過去を知らなければ感じていたことだろう。


「……いえ。私は美晴を疑っていないと言っちゃったし、吉永君は……どうやら私の勘違いだったみたいだね。納得はしたわ、タレント探偵っ」

「……はいっ」


 丸く収まりそうで、嬉しそうに頷く閑谷を密やかにオレは眺める。するとどこからとなくスタッフさんたちからの感嘆が湧き上がる。それは推理を揚々と展開した閑谷、白砂 朱里と泉田さんの口論、どちらにも鮮烈な終止符が打たれたせいだ。


 ついでにオレへの疑惑も晴れた。このように評してもいいのか微妙だけど、閑谷もといタレント探偵が霧散させたと言える。

 白砂 朱里が隣に居るオレに顔を向ける、謝罪の弁を述べるためだと思う。だが、この問題の本質は、閑谷と共にこれから詰める。つまりはまだ、タレント探偵による表面的な解決しかしていない。

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