第9話 白々とした花弁に雨雫が伝う⑥

 将来に迷う大人のファッション。それが今回の写真集撮影のテーマみたいだ。白砂 朱里が二十代になって初めての写真集は、無難さと奇抜さ、どちらを貫くかで揺れ動く様を成長過程の憂いに見立てた一冊らしい。


 ここで撮影されたものはごく一部で、大半はロケ地での写真が多く採用される予定なんだそうだ。今回はあくまでインタビューと、そのあとに行われる事務所の新しい宣材写真撮影がメイン。


 ハリボテの裏側へと一時的移動され、衣装連なる電動移動機能付きのハンガーラックを紹介するついでに、泉田さんが雄弁に語っていた。その向こう側には白砂 朱里が待機しているはずだが、聴こえたりしていないんだろうか。


 一応こちらへ移るときに一目見たけど、焦点を遠くの扉を見据え横道を通ったオレと泉田さんに気付いていたかどうかも怪しい。

 兎に角だ。先程の話を部外者のオレに言ってもいいのか甚だ疑問だったけど、ファッションモデル関係に疎いオレに配慮してか否か、最後にここまでは世間に情報公開済みだと付け足す。


「……どうする? そろそろ向こう行く?」

「いえ、みんなが集まろうとするところは邪魔になりそうなので——」

「——んー……確かに、女の子が多い現場だからねー、君ぐらいの子だと気を使うよね」

「えー……ああまあ、そういうことにしといて下さい」


 それも一理はあるけど、ただ単に他人が大勢居る空間が苦手なことと、今頃もしかしたら芸能界で築かれているかもしれない閑谷の交友関係の阻害は出来ないし、泉田さんがどうかは知らないけど、オレには仄暗い日陰で寛ぐくらいがきっと丁度いい。


 スポットライトが燦々と照射する舞台の裏小路で、同級生でタレント及び飽きれるくらい美麗な探偵を見送るのが役目だ。


「ふふっ、素直じゃないねぇ……あっそういえば君の名前聴いてないや、なにかな?」

「吉永です」

「吉永……なんか、役者の才能がありそうな苗字やね?」

「あ……——」


 その返しに、過去のオレから苦笑を誘う。フルネームを伝えたら、大体そういう関連の指摘を散々されてきたもので、代わりにもはや定型文となった台詞を述べることにする。


「——いや残念ながら。下の名前も割と近いから良く言われる……というか比較され揶揄われてきたんですけど、演技の才能は確かめてないけど、恐らく皆無ですね……こんな身なりじゃ色々と難しいでしょ」


 年月を積み重ねるにつれ、その定型にも自虐交りの誇張が追加される。根本こそ変わらないけど、面倒にはなったと思う。

 確か最初は、良く言われる。純粋にそれだけだったような……もう今となっては、どんな理由でもいいけど。


「吉永君?」

「あ、はい?」


 先程の明朗さから一転して、瞬間誰だと感じるくらいに平然を保つ泉田さんに苗字を呼ばれ、オレは生返事をする。泉田さんが首振りながら、唇が開かれる。


「ウチは違うと思うな——」


 ショートジーンズの前で手を組み、ブロンドの前髪で目元が隠れ、僅かに言い淀みながらも、否定的意見を突き通す。


「——……それはね、皆無じゃなくて未知数って言うんやない?」

「未知数?」

「そう。多分やけどまだ、吉永君自身が才能あるかないか判別出来てへん状態や思う。本当の皆無って言うのは、幾つになっても成就せん、ダメ出しばかり、方言も抜けへん、井の中の蛙、そんなウチみたいなモデルのことを表す言葉や思うよ」


 張り付かれている顔色の綻びが与太話の自嘲なんかじゃなくて、痛々しさを醸し出す。泉田さんがどんな心持ちで喋っていたのか、今日が初対面のオレには解りかねるけど、伝えようとしたことなら少しだけ分かる。


「つまり……なにも試みてもいないのに決め付けるな、ってことですか?」

「んー……そんな強めな言い方ではなかった気ーするけど、概ね合ってる。なんもかんもダメなウチが、なにを偉そうにって感じやけどな……——」


 僅かに元気が吸い取られたような、泉田さんの全体像をオレは捉える。陽光を遮るハリボテと白砂 朱里の衣装が並ぶ、換気され澄んだ空気の裏側を背景にどこかアンニュイな現役モデルの秘めた魅力と出逢う。

 背筋が強張り、鳥肌が立つ。思わずムービーに収めたくなるくらいのワンシーン。


 とても本人には言い難いけど、先程までの明快さの天地返しで、泉田さんの薄幸な表情は保護欲を掻き立てられるというか、苦手意識との落差で虜にされてしまう。

 それを見てオレは、この人に才能無しの烙印を押した悉くを否定したくなる。泉田さんもまた、モデルとして、芸能人として、未知数な存在なんだと。大衆に素養が知られていないだけなんだと。


「——ははっ、なんか湿っぽくなってしまったね……話変わるけど吉永君、多分やけどタレント探偵と年が近いやろ?」

「はい、同級生です」

「ということは高校一年生か。若いな……ウチの弟よりも更に下やね」

「そうなんですね」


 サンダルの爪先を眺めつつオレが立ち尽くす真横を通り過ぎながら、泉田さんは湿気を切り払おうと半オクターブくらい上げた口調になる。

 これが人生経験が為せる技なのか、あんな簡単に感情のギアを変えられる自信は少なくともオレにはない。


「ええなー……十五、六歳くらいで、あんな可愛い彼女作って——」

「——えっ? 作っ……」

「みんなから羨ましがられるやろー? ああでも、こんだけ有名になってしもたら隠さなあかんのか、難儀やなー……——」

「——ちょっと待って下さい、それオレと誰の話ですか?」


 オレはその誰かにはおおよその見当が付いていながら、白々しく訊ねる。心臓に悪かったせいか、無機質な雑音まで聴こえてくる。


「あれ? さっきタレント探偵のことを彼女って言うたのに、全然否定せえへんかったやん?」

「……普通に三人称だと思っただけです。閑谷とは同じ高校で、同じクラスなだけであって、なんなら出逢って二ヶ月ぐらいですし、そんなに接点自体が無いんですよ」


 逆説的に言えば、高校入学からたった二ヶ月程度で、一般人からタレント探偵としての人気を獲得したことになる。閑谷の素質か、世間が流行りを要求していたのかは、オレには知る由もない。けれど事実として閑谷 鮮加、タレント探偵という新境地が世の中の最新トレンドとして植え付けられているのは事実だ。


「へぇー二ヶ月……ほんなら、なんで——」


 オレと閑谷の関係に興味津々だと、より深掘りしようとした泉田さんが話を辞め、眉を顰め、形相が突然として強張る。どうやら見つめた場所的に、オレになにか問題がある訳じゃなくて、その背後に違和感があるらしいと、僅かに安堵する——


「——逃げて朱里っ! セットがそっちに倒れるっ!」

「……っ!?」


 撫で下ろした胸が、泉田さんの叫声で一瞬にして締め付けられ、オレも即座に振り返る。するとちょうど、セッティングされていたはずのハリボテ背景が地面に叩きつけられ、大砲でも発射したのか疑うくらいにけたたましい轟音がスタジオに居る全員の鼓膜を劈こうとする。

 両耳を塞ぐ人、叫喚する人、蹲る人。そして落下地点に居たとされる、白砂 朱里の身を案じる人。それぞれの悲愴が物語る。

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