第3話 タレントの意識、探偵の振る舞い③

 語弊がないように言うと、閑谷の考えは約一ヵ月前まで芸能界とは無縁の高校生とは到底感じられないくらい立派なものだ。

 自分自身のことだけじゃなく、他人のことまで配慮して役に臨もうとする精神は誰にでも考え得ることではないと思う。


 でも世の中とは不条理なもので、洗練されていれば、優れていれば何でも良いという訳じゃない。時として子どもっぽさ、あどけなさ、素人っぽさを要求されることがある。


 そして今回の場合は、ありのままの閑谷で良いらしい。なんならこのCMは、注目度が上がり続けている閑谷のプロモーションも兼ねているみたいだから尚更そうだろう。

 タレントとして企業や商品を考慮して演じたい閑谷と、閑谷の魅力にあやかりたい企業や事務所。その乖離の折衷案を見出すしかない。


「なあ、閑谷」

「ん? なに?」


 閑谷と相対している雫井さんは未だ、どう伝えたものかと思案中だ。大袈裟かも知れないけど、所属タレント一人の人格形成に影響を与えかねない言葉を告げないとだから、閑谷が大事が故に慎重になっているらしい。


 急に押し黙る雫井さんを不思議そうに覗き見ていた閑谷はオレが名前を呼ぶと、羽織っていたトレンチコートが波打つくらい華麗なステップを踏み、右九十度を向く。


 本人には言えないけど、無自覚であろう振る舞いが麗らかにかつ繊細でとても綺麗だ。いや、今はそんな邪な想像を膨らませている場合じゃないと、咳払いをして誤魔化す。さっさと本題に移った方が良い。


「閑谷って普段、皿洗いってするのか?」

「んん? ああ、洗剤の話か。それなら……うん、たまにお父さんとお母さんのお手伝いをするくらいだけどね」


 閑谷はオレの抽象的過ぎる問い掛けを、直ぐにタレント業に関する話題だと察してた様子だ、これは本当に助かる。オレの質問の仕方が悪かっただけなんだけど、まあいい。


「そのとき、閑谷はどう思う?」

「どうって?」

「単純に何を心の中で呟きながら洗っているのか、だよ。もしかしたら、閑谷のイメージのヒントになるかも知れないからさ」

「……うーん、そうだね——」


 閑谷は双眸を閉じ、微妙に首を傾げ唸るようにしながら記憶と辿り、思い返そうとする。これで食器用洗剤のCMキャラクターの探偵イメージが創造出来ればそれはそれで良いけど、オレの狙いは異なる。


「——おりゃあぁぁぁって」

「……えっ、ごめん、なんだって?」


 想定よりかなり子どもっぽい解答が返ってきた。イメージとのギャップが凄まじい。


「だから。落ちろぉーって、思いながら私はお皿を磨いてるよ」

「……もうちょっと具体的にならないか? いや一応分からなくはないけど、あまりに直情過ぎるからさ——」


 オレがそう言うと、何故か閑谷は微笑む。

 まるでなにか面白い出来事が脳内で再生されたかのようだった。


「——んー具体的ねぇ……真っ白にするのが楽しかった、かな? それこそ初めて台所でお母さんと一緒に料理を作ったときにさ、お皿を洗って拭うまでが料理なんだよって。でも、子どもながらに単純作業で面倒くさそうだなーって思ってたら、『おりゃあぁぁぁ』ってやり始めたんだ。多分つまらなそうにする私を見て、そうしてくれたんじゃないかなー」


 少しあどけない閑谷が嬉々として、当時の再現とジェスチャーを交え伝えている。


「閑谷のお母さんの真似?」

「そうっ。そんな風に思うと……もしかしたら勢いだけかもしれないけど、黙々とこなすだけじゃなくなるじゃない?」


 それは、よく分かる。蛇口から流々と落ちる原水の無慈悲さとか、ただ黙って見るだけだと結構虚しい。


「確かに……」

「うん。それでCMの脚本にも書いてたけどさ、今日はうんざりだ、って日もあるんだよきっと。そこで気晴らしテレビを観たり、動画視聴をすると途中に広告再生が流れる、例えば私が今撮ってるCMとかね?」


 オレは無言で頷く。

 閑谷は話を続ける。


「そんな瞬間でもさ。更に嫌気が差す、みたいにはしたくないんだよ。寧ろ探偵に扮した私を観てなにしてるんだろこの子は、みたいなさ……ここは何でもいいけど、とにかく別の興味を持ってくれたら良いなぁって私は思う。まずそれがないとさ、誰もが面倒くさがってやらなくなる。そうなると今回のCMの商品も、他社製も、いずれどこも売れなくなっちゃうから。面白いと思える些細なキッカケに、昔お母さんがしてくれたみたいに私がなれたら良いなーと……という演技がしたいんだけど、なかなか難しいね……」

「うん——」


 誰しも多かれ少なかれ、画面越しに活躍する芸能人、有名人に羨望を向けることだあるだろう。けれど実際にそうなったとして、ここまで他人のことまで含めて演じようとする人物がどれくらいいるのだろうか。


 オレもただの一般人に過ぎないから全ては分からないけど、成り行きとはいえ閑谷がタレントとしてスカウトされる所以が美麗な容姿や若さだけじゃないと、ここ数日の間で何度も思い知らされる。どうやら閑谷は性根からとても端正な成り立ちらしい。


 世間が想像している以上に、そこまでお人好しで客観視も出来るのは、希少な存在だ。それでいて本人はまだ気付いていないけど、今回のCMキャラクターの構想が殆ど固まっていることも、今ので大体判別が付く。


「——閑谷。素人のオレが言うのもあれだけど、その話してくれた内容のイメージで演じることって無理なのか?」

「えっ?」


 閑谷の疑問にオレすぐ応える。

 ここが畳み掛けどきだろう。


「だってイメージしやすくて、興味を持って貰えると自然と購買欲にも直結して、閑谷と洗剤の双方の知名度アップにも繋がり、企業のマーケティングとしてもちゃんと成立する。素人目に見ても、かなり良さげにオレは感じるけど……違うか?」

「そっか……うん……——」


 暫し熟考したのち、閑谷はオレと、途中から話に聴き耳を立てていた雫井さんを交互に眺めて大っぴらに口を開く。


「——そうだね、違いないと思うよ。ただちょっと私のエゴが入っちゃいそうだなーとは……」

「それを含めて、演技なんじゃないか? どんな名優でも、自分の存在感を完全に消し去る芸当は恐らく不可能だ。みんな持ち味というか、それぞれの魅力があって武器がある……閑谷にもあると、オレは思うよ」


 自称評論家みたいな口調なのが遣る瀬無いし、素人が何言ってんだとも自虐に走りたくなる。それでも、閑谷がこのまま迷走し続けているのはもう見ていられない。


 だって閑谷の魅力というか武器の中には、この素直さが少なからずあるからだ。だから演技とはいえ、それを自ら消失させようとするのはただただ勿体無く映る。

 オレがどんなに欲しても得られないモノを、閑谷は幾つも有している。


「……ありがとう、吉永。撮影が再開されたらイメージをもっと明確化して臨むよ」

「ああ」


 すると閑谷が微笑みながらオレに向けて指を差す。それはいつかのやり取りよりも、若干だけ成長した探偵としての勇姿。


「次はさっきまでの私とは違うからね。覚悟しておいてね」

「……気長に見てるよ」

「ふふっ。まあいっか、またねっ」


 そうオレに告げた閑谷は雫井さんを見据える。心なしか、先程よりも精力が満ち溢れて向き直った気がした。


「由紀子さん、ちょっと監督さんと打ち合わせに行きたいんですけど——」

「——……ええ、もちろん。ついでに私も同行するわ。鮮加は先に行ってなさい」

「はいっ!」


 雫井さんとすれ違い、揚々と闊歩していく閑谷の後ろ背を、オレと雫井さんで眺める。トレンチコートにハンチング帽。後ろからだと制服部分が隠されていて、まるで本物の探偵のようにも見えなくもない。


「吉永くん、貴方って意外と策士ね」

「……なんのことですかね?」

「……いいえ。私としては褒めたつもりなんだけれど、分からないのならいいわ」

「そうですか……」


 意味深に言い残し、雫井さんは監督やスタッフさんと会話をしている閑谷の元へ合流しようと歩み始めた。


 策士、なんて形容をされることをした覚えはない。ただ閑谷に知られないように、演じようとした全く新しい探偵像を、過去を引き合いに出し、閑谷そのものにすり替えた。これこそ閑谷のタレントとしてのプロ意識が狂うことなく、企業や事務所や雫井さんの意向にも沿った折衷案。


 平たく言えば、丸く収まった。

 雫井さんにはお見通しだったらしいけど。


「……まあなんであれ、結局は閑谷次第なんだよな」


 このすぐ後に撮影が再開される。休憩前での盛大な噛み散らかしや、所定の位置に移動出来なかったりの凡ミスを頻出させていたのが嘘のように、閑谷はファーストテイクでいつもより幼気さ溢れる探偵を演じ切った。

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