第5話『夏のある日』


 夏のある日、タークはずっと気になっていたことをエコに聞いた。


「エコはマンドラゴラなんだろ?」

「うん。そうだよ。突然どうしたの?」

 そう言いつつ、タークがエコの頭に手を置く。しっとりと湿ったような、みずみずしい感触。『“エコ”研究日誌』によればこれは髪の毛ではなく、植物でいうところの『葉』なのだという。

 エコが不思議そうにタークの顔を見上げた。


「俺には普通の人間と、どこも変わらないように見えるな」

「ターク、マンドラゴラ見たことある?」

 エコが微笑を浮かべながらタークに尋ねる。

「ないよ。……あるのか?」

 タークが驚いて聞き返した。【マンドラゴラ】――ものの本によれば、魔法薬の材料として重宝されるが数が少なく、貴重な代物らしい――など、一般人のタークが見たことのあるはずもない。


「ハーブ園にあるよ」


 エコはすんなりと、当たり前のように答えた。

 

『エコはマンドラゴラの巨大種である』


 例のファイルにあった、師匠の言葉が胸に引っかかる。マンドラゴラは植物、しかし、エコはどう考えても人間だ。

 マンドラゴラの根は、人間に似た形をしているという。だが、あくまでもそれは『形が似ている』だけであって、根が人間のように動いたりするわけではないはずだ。


 タークは興奮と戸惑いがない交ぜになったような気持ちで、エコの後に続いて家の裏手にあるハーブ園に移動した。


“ハーブ園”とは言っても、畑と果樹園とハーブ園の間にはっきりとした境目はない。

 畑の真ん中に果樹が植わっていたり、果樹園の真ん中にハーブが咲いていたり、ここの庭は一見すると秩序が全くないように見える。


「でも、師匠はちゃんと考えて植えてるんだって。アレロパシー? だったかな。植物同士の相互作用が、うまく働くように工夫してあるんだってさ」


 エコの言う通りなら師匠は意図をもってこういう状態を作ったらしい……が、雑草と野菜と薬草の見分けもつかないタークの目には、ただの草ぼうぼうの野原にしか見えなかった。

 雑然と色々な植物が生えているだけで、柵すらない。


 世話しているエコですら、土が乾いたら適当に水を撒き、自分の知っている範囲で食べられそうな草を選んで取っているだけだ。

 どこに何が植わっているのか完全に把握しているのは、師匠だけだった。


 果樹園の奥は、自然林とひと続きになっている。自然林と果樹園の間に明確な境目はなく、林はそのまま【リング・クレーター】のリム(クレーター外縁部の円形の丘)まで続いていた。夏の日差しが、木々に深い陰影を落としている。木漏れ日がきれいだった。


 エコは林の一角に腰を下ろすと、そこに生えている巨樹の根元を指さした。

「あれだよ。木の根元に生えてるのがマンドラゴラ」


 巨木の作る深い影にひっそりと葉を広げる、モスグリーンのロゼット植物(茎が極端に短く、葉が放射状に広がる植物)。――それが、【マンドラゴラ】だった。


「これがそうなのか……。たしか、根の部分が人の形をしてるっていう話だよな」

 タークは疑い混じりに呟く。あまり目立たないこのちっぽけな草が魔導士が喉から手が出るほど欲しがる魔草【マンドラゴラ】だとは、にわかに信じがたい。


「……わたしも気になってたんだよね。ねえ、抜いてみようよ!」

 エコが笑いながら言った。タークは驚き、ためらったが、エコはさらに続ける。


「師匠は、これは大事なものだから絶対抜いちゃダメって、わたしに根を見せてくれなかったの。……でも、気になるじゃない。タークも見たいでしょ?」

 エコがいつものように無邪気に笑いながら、タークに尋ねた。


 タークが、ゆっくりと頷く。

「……見たい。気になる」


「ようし! 気にしないで、他にも生えてるから。いくよ~」

 エコがマンドラゴラに手をかけた。タークが周囲に目をやると、たしかに、マンドラゴラの株が十数個群生している。


「思ったより固い~。ターク手伝って」

 エコがタークに助けを求め、二人で脇から土を掘る。太い側根が何本も土に食い込んでいた。ぶちぶち音を立てて、それを切っていく。

 それは植物の悲鳴のように聞こえなくもなかったが、タークは気にしなかった。


「よし、これでいけそう! うんしょ」


 半分ほど掘り起こしたところで、再びエコがマンドラゴラの葉を持ち、無理やり引き抜こうとする。それでも抜けないので、タークが横から手を貸した。

 ぶつり、と根が切れる音と共に、マンドラゴラがようやく土から抜けた。

 さっそく明るい土の上にマンドラゴラを置き、二人でしゃがんでその姿を眺める。


 土にまみれたマンドラゴラの根は、二股に分かれた細長い芋のような形をしていた。

 表面がざらざらした長い主根から、細かいひげ根が無数に伸びている。だがエコが無理やり抜いたせいで、無残にも大部分がちぎれていた。

 うわさに聞く霊薬の材料といっても、これでは何の変哲もないただの植物だな……とタークは思った。


 根の部分が人間の形をしているのではないかなどと疑っていたタークは、すこし安心する。


(これが成長したからといって、エコみたいに大きくなるのか……?)

 タークが疑念を抱く。マンドラゴラの大きさは、葉から根の先まで全て入れてもタークの手のひら程度しかない。二股に分かれた根の先端が人の形に見えなくもなかったが、エコとは似ても似つかない。ただ、葉の色とみずみずしさは、エコの髪の毛によく似ているように思えた。


「……やっぱり違う気がするな。……」


 エコがポツリとつぶやく。



――



「エコが生まれたのは、六年前なんだよな? 生まれた時はどういう感じだった?」


 マンドラゴラを抜いてからというもの、エコは何となく沈んだ顔をしている。自分とあの植物が兄弟だと言われれば、戸惑うのも仕方がないことだろう。


「覚えてないな……。覚えてる最初の記憶は……師匠が目の前にいて、わたしは座ってて、師匠の話を聞いてて……そう、師匠が一番最初に教えてくれた言葉は、『エコ』っていうわたしの名前だった」

「そうか……」


 タークも、自分の最初の記憶を思い出してみる。乳飲み子だった時の記憶はなく、幼児の時、母親について虫捕りに行った記憶が最も古い。

 確か、落ち葉の下にいる虫を捕る手伝いをしようと思ったのだ。捕った虫の脚をもいで遊んだこと、石をひっくり返したらムカデが出てきて泣いたことなど、ありありと思い出せる。

 だが、なぜそこへ行ったのか、そこが何処だったのかがすごく曖昧だ。幼いころのことは、感情が大きく動いた出来事ぐらいしか思い出せない。


「でももっと前のことも、なんとなくイメージはある。なんだか、湿ってて、あったかくて、ゆらゆら揺れているような。深く考えたことなかったけど、土の中にいたころの記憶なのかなあ」

 エコが虚空に目をやる。手探りで先ほど淹れたお茶のカップを手にとると、ゆっくりと口に運び、傾けた。

「タークが来てから、わたし、前よりもいろんなこと考えるようになったんだ……」


 エコは目線をどこかへやったまま、独り言のように言う。カップを両手で包み込むように持ち替えた。

「自分ってなんなのかなって。どうやって産まれてきたのか、なんで生きてるのか。師匠に聞いておけばよかったな……」

「師匠か。俺が来てからだいぶ経つが……一向に帰ってこないな」

 タークがこの家に住むようになってから、二ヶ月ほどの時間が経っている。だが、師匠はその姿を見せるどころか、連絡が来る気配すらない。

「タークは、師匠が帰ってきたら、どうするか決めてる? ……また、旅に出るの?」

 エコは、遠慮がちにタークを見た。お茶の入ったカップを両手で置き、身を乗り出す。

「さて。どうするかな……」

 タークが腕を組んで考え込む様子を見せると、エコがタークに懇願するように言う。


「わたし、タークにずっといてほしい。いつも想像するの。師匠と三人で暮らせたら、どんなに楽しいだろうって。もし……、」

 そこで一旦言葉を区切る。

「タークが良ければだけど……」

「エコがそう思うなら、俺もそうしよう」

 エコを元気づけるため、タークは笑顔で頷いた。期待通り、エコの表情がぱっと明るくなる。

「ターク!」

 エコがタークに手を差し出す。タークがその手を握った。

「師匠はすぐに帰ってくるさ」

「うん……」

 それはなんの根拠もない言葉だったが、エコは素直に頷いた。



――



 とても暑い日。


 この日のお昼ご飯は、トマトの冷製スープと水瓜のジュース、それに、エコが最近はまっている小麦粉の生地で作った麺。芋虫や生野菜と和えて、油の入った玉ねぎのソースをかけて食べる。それに、冷やしたヤギ乳を付けるのが最近の定番メニューだった。

 エコは魔法で氷が作れるので、夏でも冷たい食事が出る。もしタークが街で同じ内容の食事を摂れば、一般的な市民が一か月は暮らせるほどお金がかかるだろう。


「ねえターク、師匠は本当に帰ってくるかな……」

 食べながら、エコが唐突にそう言った。


「どうしたんだ、急に……」

 タークは手に持っているフォークを置いて、エコの顔を見つめた。

 一見して平静そうに見えるエコだが、タークははじける寸前の風船のように危うげな雰囲気を、その表情に読み取った。


「師匠は、どこに行くとか、いつまで出かけるとか、なんにも言わないで出て行ったの」

「うん。そうらしいな」

 タークが相槌を打つ。

「わたし、タークが来てから……。タークが来るまで、本当に何も考えないで暮らしていたの。自分のことも、師匠のことも、なにもかも、疑問に思うことなんてなかった。ただ師匠の言う通り、ここで待っていればいいんだって思ってた。でもタークがここで住むようになってから、前より師匠のことを考えられるようになったの……」


 エコが額に浮かんだ汗を腕でぬぐう。時間が止まったような数分間が過ぎていった。草原からうるさいくらいの虫の声が聞こえる。窓から見える夏空は、見たものを圧倒するほど青い。そこに白い太陽が照りつけ、草木を輝かせていた。

 エコが口を開いた。


「師匠は……、師匠はわたしを捨てたんじゃないかな……」


 ポツリとつぶやいたエコの言葉が、草原の虫のさざめきに紛れて消えた。

 だがタークには、エコが救いを求めて叫び声を上げたように思える。


 そんなことはない。

 すぐにそう否定してやりたかった。だがタークにはそれができない。

 

 タークは師匠の部屋の本や資料を読むうち、師匠という人物の人となりを何となく理解し始めていた。

 それで浮かび上がってきたのは、師匠は強力な魔導士であり、研究欲旺盛な発明家でもあるが、その一方で興味のなくなったものにはとことん興味がなくなる性格だということだ。

 師匠がエコという存在についての興味を失ったとすれば、エコの懸念が当たっている可能性は……高い。


「エコ……」


 エコに慰めの言葉をかけてやりたかったが、自分の頭のどこを探してもそんな魔法のような言葉は出てこなかった。エコの心中をおもんぱかると、タークは胸が握りつぶされるように苦しくなる。


 エコにとって師匠は産みの親であり、教師であり、唯一の理解者だった。

 マンドラゴラの魔法生物――唯一無二の存在であるエコは、自分以外に仲間といえるものがいない。おそらく、子どもを作ることもできないだろう。

 一種かつ一個体のみの生命。四年後に迫ったエコの寿命は、そのまま『エコ』という種が絶滅するまでの時間でもある。


 エコは、師匠が居なくなってから一年あまりの時間を一人で過ごしてきた。意見が交わせる他者が誰もいない家に、一人きりでずっと放置されていたのだ。

 師匠にもエコが孤独になることは分かっていたはずだが、それにも関わらず長期間戻ってこないということは、やはりエコに興味を失ってしまったのだと考えるのが自然だ。


「気休めかもしれないが、エコが望むのなら俺はずっとここにいるよ。できる限りのことはしたいと思っているんだ」

「ターク……」


 タークに言ってやれることはこれしかない。

 エコは静かに泣き始めた。二人だけの時間が流れる。お互いがお互いにとってかけがえのないものになったと感じる、そんな夏のある日。

 願わくば、平穏なまま日々が過ぎればいい……タークは心底そう思う。

 このまま何事もなければ、エコと二人で平穏に暮らしていける。人界から隔絶されたこの世界で、エコと過ごすのも悪くないかもしれない。

 師匠が帰って来れば何よりだが、そうでない場合は……。自分がエコと最期まで一緒にいてやる必要があるとも、タークは考え始めていた。


 流れ続ける時間の川は、止まることもさかのぼることも許されていない。タークとエコにとって来るべき時が来るのも、時間の問題だった。


 この緑の切妻屋根の家と別れ、【リング・クレーター】の外へと旅立つ日……。


 それも、そんな夏のある日の出来事だった。

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