異世界剣客立志編

尾中炊太

第1話 転移

ニオン峡谷に、火の手が上がった。

それはウェルディン王国第三王子、アルベルト・ウォレス・リヒテラーデを狙った賊の襲撃によるものであった。


アルベルトを乗せた馬車を操る御者の手は忙しなく動いている。

それはアルベルトの命を守るためであり、また、何よりも自身の命を守るためであった。


齢十を数えたばかりのアルベルトは、馬車の中で従者のトマス・リッカーにすがりついて怯え、泣いていた。

けたたましく鳴るひづめ

きしる車輪。

炎魔法による爆発。

そのどれもがアルベルトの心をすくませ、恐れさせた。

「もっと速く逃げられないのか!?」

「無理です!これ以上は!」

「いいから速くしろ!私の命令が――」

賊の炎魔法が、馬の腹の下で発動した。

立ち上がる爆炎に馬が吹き飛ばされる。

馬と車を繋いでいた手綱はちぎれ、奇跡的なバランスを保って車だけがそのまま直進する。

「――私の命令が、聞けないのか!?」

アルベルトの涙声の混じった怒声が、虚しく中空にこだまする。


車は暴走を続け、レスト森林へと消えていった――。


今日も、天玄坂泰之てんげんざかやすゆきは不愉快であった。

もっとも、泰之が愉快であるときなど、彼が高校に入ってからはほとんど無かった。

自宅の稽古場けいこばで双子の弟である泰典やすのり試合しあって、勝利した時が彼の数少ない楽しい時間であった。

成人も参加する剣道の全国大会で三位に入賞した今日も、泰典と、幼馴染の敏弘としひろに敗れているという事実が泰之を不愉快にさせた。


泰之を不愉快にさせるものは何も剣道の結果のみではない。

彼は純粋で、強い正義感の持ち主であった。

それ故、甚振いたぶられている弱者を見過ごすことは出来なかったし、政治的な腐敗にも、一々口には出さないが、確かな嫌悪感を示した。


七月の妙に暑い日だった。

泰之はコンビニで買ったアイスをくわえ、自転車をいでいた。

ただの学校からの帰り道だったが、気まぐれに寄り道でもしようかなどと考える。


「やめてください!」

泰之は、女性の声を聞いて自転車を止めた。

声のした方へ向かっていくと、女性が五人の男たちに絡まれている。

何をするつもりなのか見極めようと泰之は六人の様子を窺うことにした。


「いいからよ、俺たちについてこいって」

「素直についてくりゃ、悪いようにはしねぇからよ」

下卑た笑い声が聞こえるような気さえするセリフだ。

思わず泰之は眉間にしわを寄せ、竹刀ケースから木刀を取り出す。

あんな悪役じみたセリフ、悪役として歯が浮きゃあしねぇのかな。

そんなどうでもいい心配をしながら、泰之は路地に入って更に近づいていく。

「痛っ、離してください!」

「大丈夫大丈夫、痛いのは最初だけだから」

「おめぇのじゃ、入ってるかもわかんねぇんじゃねえの?」

「あ、ひでぇっすよ、タカさん」

「ひでぇのは顔だけにしろってな」

「ぎゃははは!……って、誰だテメェ!」

突然会話に割って入った泰之は二歩半分後ろへ跳躍する。

「誰でもいいだろ、正義の味方だよ」

「何だこいつ、カッコつけやがって」

「五対一で勝てるつもりか?頭、沸いてるんじゃねえか?」

自分の頭を指さして挑発する男。

安い挑発だな。

泰之は欠伸をして頭を掻く。

「うん、勝てるよ。十中八九ね」

「ふざけるのも大概にしねぇとマジで殺すぞ」

口喧嘩にもいい加減飽きた泰之は、脅してきた男をめつける。

「うるせぇなぁ、本気なら口より手を動かせよ」

「ぶち殺す!」


赤いシャツのチンピラが右手を振りかぶり、殴りかかってくる。

その瞬間、泰之は赤いシャツの男の懐に入り込み、右の掌底であごを打ち上げる。

そのまま左足を前に滑らせ、木刀を持つ左手を右から左へ横薙ぎに振る。

赤いシャツの男の腹に木刀がめり込む。

赤いシャツの男がうずくまる前に木刀を引ききり、その勢いのまま赤いシャツの男の後ろにいた、タカさんと呼ばれた男の鳩尾みぞおちに右肩でタックルをする。

タカさんと呼ばれた男が怯んでいる隙に木刀を両手で持ち、今度は左から右に振りぬき、右の壁へ叩きつける。

一瞬で二人がやられ、男たちは目に見えて動揺した。

「まだやる?」


やられた男たちを抱えて、残りの三人は退散していった。

「大丈夫ですか?」

泰之は残された女性に話しかけた。

「あ、は、はい。大丈夫です……」

女性は明らかに怯えた様子で泰之に答えた。

泰之はしょうがないと思った。

二メートル近い筋骨隆々たる大男から話しかけられれば、いくら助けられた後とはいえ普通の女性は怯えるだろう。

加えて、服装は学生服だが、ワイシャツのボタンを全て開け、中に着ている黒いタンクトップを見せつける着こなしは、所謂いわゆる不良の風体である。

人を射竦いすくめる鋭い眼光の垂れ目。

彫りは深く、鼻梁びりょうが高い。

後頭部、側頭部を刈り上げた短髪のツーブロック。

泰之の外見は、客観的に言って初対面の相手に恐怖心を抱かせるのに十分と言えた。

「あの、何かお礼を……」

「お礼?」

泰之は正直意外に思った。

女性が逃げだすと思っていたし、そもそもお礼を目的にやったことではない。

自分の中では弱者を助けるのは当然のことであるし、言ってしまえば、あの男たちが気に食わないからやっただけなのだ。

「お礼なんて、要らないですよ」

「そうはいきません!そうですね……何か、うーん」

女性は顎に手を当て、考え込んだ。

めんどくせぇな、と泰之は素朴に思った。

「あの、本当に」

「そうだ!よければ、異世界にご招待しましょう」

この人は何を言い出すんだろうか、と泰之は思った。

「私、実は異世界から来たんですよ」

「なるほど、異世界から」

一刻も早くこの人から離れよう、と泰之は思った。

「えぇ。……その顔は、信じてませんね?」

「まぁ、信じられませんからね……」

不満そうな女性に、泰之は苦笑する。

何をどう信じろというのだ。

「ムムム。もし、異世界に行けたら嬉しいですか?」

「そうですね。この世界はあまり面白いことも無いですし」

口をいたのは泰之の素朴な感想だった。

何度やっても泰典や敏弘に公式戦で勝てないことも、いつまで経ってもよくならない世界も、ついでに言えば見た目で不良扱いされることも。

どれもが泰之の苛立いらだちを募らせる。

「じゃあ、早速異世界に招待しましょう!目を閉じて。それから、これを。異世界に着いたら食べてください」

女性は泰之に饅頭まんじゅうの様な物を渡した。

「……これは?」

「異世界の食べ物です。ヨモツヘグイってご存じですかね?簡単に言うと、異世界の食べ物を食べることで住人として認められ、異世界の人間の言語が分かる様になるってわけですね」

「なるほど?変なところで設定ってますね」

「設定ではありません、ことわりです」

「はいはい、じゃあ異世界に連れて行ってください」

泰之は目を閉じ、呆れた様に言う。女性はにっこりと笑って、

「――言われずとも、貴方はもう異世界に居ますよ」

「はぁ?」


泰之が目を開けると、そこは森の中で、女性はどこにも見当たらなかった。

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