伍話

義刀が働く集積所は河川から船で運ばれてくる物品を受け取る為に川沿いに建つ。

桟橋も大型の物から小型の物まで複数伸びている。

義刀がオヤジから決闘に使って良いと示されたのは大型用の桟橋だった。今日はもう大きな荷物は無いので多少暴れても街中より周囲に迷惑は掛けない場所だ。

4人が並んで歩ける程度に広く奥行きは20メートル近くある。

集積所内よりは落ち着きを取り戻した撃連が改めて抜刀し正眼に構える。

溜息が尽きない義刀は赤鬼を呼ぶ時のような鯉口を打ち付ける事無く、通常の動作で抜刀し右手で突きの構えを取る。


「鬼には成らないのか?」

「魔が居なければ鬼も人だ。それに鬼になるには専用の武器が居る」

「……後悔するなよ!」


浅い踏み込みの上段切りを義刀が下がって避けられるが深い踏み込みで左下段からの横切りに繋げた。

避けさせる事が目的の初撃、本命の2撃目。

銀閃流連斬、縦横。

最初に習う技であり連撃を肝とする銀閃流に於いては基本となる技だ。相手の技量を正確に測る際に用いられる技でもある。次期当主候補の撃連は他にも様々な技を身に付けているが、彼は基本となる縦横に拘った。

ただ愚直に縦横に刀を振るい相手の力量を測り自分との技量差を知る。

剣は撃連にとって相手と自分を知る為のものだった。

躱されることは分かっている。

弾かれるかもしれない。

しかし、それで相手の力を測る事が出来る。

義刀の無表情と溜息が撃連には余裕なのか気力が無いだけなのか判断を鈍らせた。

まだ16の撃連、道場での試合は慣れていても刀を交える仕合は少ない。

人を斬った事はある。

侍と殺し合った事もある。

しかし鬼は初めてだった。

だから鬼である義刀のように人間以外を想定した戦い方は見覚えが無かった。

人間相手の前方を警戒した構えではない。突きの構えを取っているにも関わらず本当に警戒しているのは前方以外だ。横に薙ぐ事も上段下段を守るようにも出来る構え。

そして2撃目が義刀に迫る。

下段からの斬撃に義刀は刀で応戦した。身を低くし体を前に倒す。刀を斜めに倒す事で撃連の斬撃を上に流す。

胴体が完全に無防備になった撃連は血の気の引く音が聞こえた。たった壱合の攻防で技量の差を見せつけられた。しかも自分は胴を無防備に義刀に晒すような無様を晒している。

仕合を申し込んだのは自分だ。

相手の技量を見誤ったのも自分だ。

何より、時雨乃が気に掛けていると聞いて冷静さを欠いたのも自分だ。


……斬られる!


撃連の後悔に応えたのは斬撃ではなかった。

腹のど真ん中に鈍い痛みが走り無様に尻餅を着く。

見なくとも何が起きたかは想像が付く。致命的な隙を斬る事もせずただ蹴られた。


……なんたる屈辱!


武士の決闘に情けを割り込ませる、戦国の世ではないが撃連にとっては酷い侮辱に感じた。

倒れはしても目は閉じない。無関心な義刀の瞳に自分が映っていない事も分かっている。

それが余計に腹が立つ。


「武士に情けなど!」


義刀に情けを掛けたつもりはない。

撃連に刀を振り下ろさなかったのは単純に職務違反だからだ。

鬼は人を傷つけてはならないという法がある。それを守っただけで撃連の命には何の関心も無い。

勢い良く立ち上がった撃連の刀が横薙ぎに振るわれるが苦も無く斬撃を弾く。


「知らないのならば教えておくが、鬼は例え決闘であっても人を斬ってはならない」

「……不愉快な法だ」


武芸者として撃連もその法は知っていた。

こちらの首元に刀身を突き付けられるのならばまだ良い。

しかし実際にはただ腹を蹴飛ばされ尻餅を着いたところを見逃されたのだ。

撃連にとっては今までの研鑚を全て否定されたにも等しい。


「仕事の邪魔をして悪かった。いずれ、また手合せ願う」

「もう来るな」

「ふっ、くくく。自分には届かない絶対的な実力者。焦がれるな」


闘志を納めた撃連は納刀すると服の乱れを直し背を向けた。


「なあ、時雨乃嬢とはどんな関係なんだ?」

「何も無い」

「本当か?」

「あんな好奇心の強い女は嫌いだ」

「酷い理由だな」


肩を落として去って行く撃連を見送った義刀は職場に戻ることにした。

関係者だったのだから閃郷斬乃介のことを聞けば情報が手に入る。

義刀がそのことに思い至ったのは職場で荷物の仕分けをしている時だった。


▽▽▽


義刀との決闘での鬱憤を晴らすように撃連は刀を振るった。

門下生10人を相手にしても全く引かない鬼気迫る撃連の斬撃に門下生たちが次々と木刀を落とす。その度に別の門下生が乱取りに加わるが撃連は絶え間無い門下生たちを全く寄せ付けない。


「なあ、何があったんだと思う?」

「分かんねぇけど、時雨乃嬢に関わることじゃねえかな?」


門下生たちの噂話も遠く、それでも耳には入りそれが神経を逆撫でする。

そしてそれは撃連の中で何の兆候も無く膨れ上がった。

胸の中心で何かが肥大化し肋骨が内側から折れ、撃連の意識は急速に薄れていった。

それでも辛うじて自分の意識を掴み離さないよう精一杯心を強く保つ。

そんな撃連の努力は視界に映る光景と薄らと感覚が残る右腕が奇妙に動いた。

視界が銀閃流の基本の動きである脱力からの右斜めへの身体の傾きに合わせ揺れる。脱力により予備動作を必要としない斬撃が手近な門下生の股間を下段から打ち上げ人体の潰れる鈍く不快な音が響く。

手に持っていたのは木刀のはずだ。それが錆びた刀のように門下生を下段から引き千切るように両断した。

悲鳴と怒号が響き周囲が木刀や真剣を持ち出し囲むように構える。


「撃連様!」

「何故です! 何がそんなにも貴方を追い詰めたのです!」


自分は確かに心理的に追い詰められてる。懸想した女は死んだ男と鬼に関心を抱き、鬼に挑めば手心すら加えられた。

腕が意思とは無関係に門下生を叩き潰し床に血肉の染みを作る。

閃郷斬乃介が妖魔となってから全てが狂い始めた。

奴が妖魔になって時期当主の座は確実と周囲は噂し、それが彼の心に影を落とした。実力で当主の座も懸想した女も手に入れなければ意味が無い。

雄叫びを上げた門下生の突撃を肥大化した左腕らしき肉の塊が伸び掴み天井に突き刺した。

全て手から零れていく。

だから、実力で全てを手にする為に、最初からやり直す事にした。

閃郷斬乃介との決着、その為には閃郷斬乃介が敗北した鬼、義刀を倒す。

それで全てが手に入る訳ではない。八つ当たりだと自覚もあった。確かに閃郷斬乃介との決着が着かなかった事は残念だが、彼に負けるつもりも無く自分こそが時期当主だとも考えていた。

真剣を持った門下生の腹を貫き真剣を奪う。

義刀に直に会うまでこの気持ちが表に出てくる事は無かった。

それが直に会ってみればどうだ、感情が抑えられずに決闘を挑み、手心を加えられ見逃されもした。

だから、心の中で何かが膨れ上がってしまった。敗北を受け入れたつもりになっていた心は周囲の噂話で簡単に崩壊した。


「妖魔を確認。討滅する」


鞘に収まった刀を視線の高さに掲げた少年が道場の入り口に立っていた。

柄を握り、鯉口を切り、刀を中間まで抜き、勢い良く納刀した。

少年の身体が赤く巨大な弐本角の鎧に身を包まれた。刀は巨大な太刀に変じており鞘はその場から床に落とした。


……その姿だ。


その姿が閃郷斬乃介に繋がる。

何も手に入らなかった、全てが手に入る位置から離れてしまった。

だが、それでも、もしかしたら、眼前の鬼を倒せば何かが変わるかもしれない。

的外れな考えだという自覚はもう無い。

眼前に立つ紅い鬼と競り合いたい、それ以外の感情が薄れ急激に意識が明確になる。


「やっと、見つけたぞ」


自分の口から発せられた声は酷く掠れていた。叫び過ぎて掠れたのではない、最初からそういう声だったという程に少年らしさの全く無い声だ。

赤鬼はただ太刀を正眼に構え軽い足取りで踏み込んできた。単純な縦の斬撃は門下生を叩き潰した左腕を深く裂く。返す刀が更に深く踏み込み肩までを下から切断する。

痛みなど全く無い。二の太刀を放った赤鬼に向けて右手の木刀を振り抜くが太刀が真正面から木刀に触れ真っ二つに右腕まで裂き進んでくる。その斬撃を筋肉で受け止め回復し始めた左腕で殴り掛かった。

赤鬼は刀身を引き抜いて後退し再度踏み込んでくる。

まるで自分の身を顧みない、ただ敵を効率的に殺す為の回避と踏み込みだ。


「何だその戦い方は」


本来、侍とは自分が生きる為に技量を上げる。それは自分の命を守ると共に自分が守りたいモノを守る為だ。

だが赤鬼の動きにそれは無い。

使い捨ての暗殺者のような戦い方、それに閃郷斬乃介が負けたと考えると腹が立つ。

奴を裂く刃が欲しい。

自分を守る鎧が欲しい。

全てを手にする力が欲しい。

全て、全て、全て、欲しい。

そう願った腕が変形する。

堅く、鋭く、刃のように意志を伸ばす。

身体が硬質化し侍鎧のように数枚の装甲を段状に重ね盾とする。

それを見て赤鬼が後退し太刀を上段に構えた。


「神仏無頼、加護無用」


言葉に呼応するように刀身が赤く発光を始めた。


「魔を持って灰塵を築く」


刀身から生まれる熱で木材が発火し死体を飲み込む。


「業炎、滅刀」


刀身の鍔から業火が吹き出し赤鬼が大きく踏み込んだ。上段の単純な一太刀、単純が故に限りなく高速で二の太刀など考慮しない必殺の斬撃。

手にした両の刀身を重ねて受け止める。上段からの斬撃を重ねた刀身で受け右側、赤鬼にとっての左側に流し反動を利用して切り返す。

そう考えた撃連は1つ思い違いをしていた。刀身の業火はただ威力を上げる為ではない、防御の為の刀身が受ける前に溶けてしまう。

鋭い踏み込みはそのまま斬撃の深さに繋がる。脳天に触れた刀身が撃連の意識を焼き切り、それでも長年の修練で身に付けた条件反射が脳に損傷を受ける前に撃連を突き動かす。

赤鬼に向けて踏み込み鎧と化した胴体を武器に赤鬼を轢き殺す。

そうすれば、やっと、全てを手に入れられる。


▽▽▽


焼けた銀閃流道場の中で義刀は鎧武者の妖魔を見下ろしていた。

何を思って妖魔になったのかは分からない。何を妖魔に願ったのかは分からない。知りたいという欲求も無い。

それでも面倒だという感情はあった。


「討魔、完了」


拾い上げた鞘に太刀を納めた瞬間、義刀が纏っていた赤鬼の魔装は消え炎も消失した。

しかし炎が破壊した惨状は残り木材と人の肉が焼ける酷い匂いが辺りに充満している。

建物の外、義刀の背後では野次馬が集まっていた。遠巻きに何が起きたのかを知ろうと見ているが情報が少ない為に踏み込んでくる様子は無い。

そんな中でも物怖じせずに銀閃流道場に踏み込んできた者が居た。

義刀が侍や役人らしくない小さな歩幅の足音を怪しんで振り返れば袴姿の少女が立っていた。


「時雨乃か」

「名前、憶えて頂いたんですね」

「記号を覚えるのは得意だ」

「人の名前を記号として憶えている人は初めて見ました」


人に呆れた様子を見せた彼女だが義刀は特に違和感を感じなかった。

単純に誰もそんな時雨乃を見る機会が無かっただけだろうと思うだけだ。


「また、憑き物ですか」

「ああ。役人が来たら俺は帰る」

「憑き物になられたのは、どなたでした?」

「俺が着いた時には人相が分からなくなっていた」

「そうですか」


時雨乃から視線を外した義刀は周囲を見た。焼けてしまった死体を見ると顔まで炭化している者も居て人相の区別が付かない。建物の柱もいくつか焼けており一部が崩れ始めた。


「建物が崩れる。外に出ろ」

「心配してくれるのですか?」

「お前が死ぬと更に妖魔が出る」

「……鬼の理論ですね」


時雨乃の指摘を無視して外に向かう義刀を待っていたのは鬼に対する住民たちの非難の目だ。


「これが人のやる事かよ」

「何人死んだんだ」

「人を守っているつもりか」


そんなつもりは全く無い義刀は無事だった道場の門に背を預け住民たちの言葉を全て無視して役人の到着を待った。

そんな義刀の態度が気に食わない住民も居たようで好戦的な態度で義刀に掴み掛った。


「おい! 銀閃流の方々は俺たちが喧嘩しても仲裁してくれたりしてたんだぞ!」

「……」

「鬼なら、力が有るならもっとちゃんと守れんだろうが!」

「……」

「何か言えよ!」

「……」

「お、おい、何か言えよ!」


胸ぐらを掴まれ近距離で叫ばれているにも関わらず何の反応も示さない義刀を気味悪がった男が拳を振り上げた。

その拳が振り下ろされる前に義刀が口を開き、ただ溜息を吐いた。


「何だよ、その態度は!」

「邪魔だ」

「あ?」

「俺の仕事の邪魔をするな」

「仕事って、銀閃流の方々は良い人達だったんだぞ!」

「俺の仕事には関係無い。役人が来たぞ。騒がれたくないなら失せろ」


遠目にも分かる物々しい集団が現れた。まだ遠いがこのままでは騒ぎになっているのが分かるだろう。


「お前はっ」

「失せろ。これ以上騒ぐなら仕事を邪魔したという名目でお前を殺せる」

「なっ!」


義刀が男の手を振り払い左手を鍔頭に乗せれば男は気圧されたように後退った。


「何が仕事だ、この憑き物が!」


男がそう言った瞬間に義刀の背後から小さく笑い声が聞こえた。

義刀は全く興味が無かったが男の驚いた顔から察するに時雨乃が居たのだろう。


「その憑き物に抗う術も無く、ただ守られるだけの無力な私たちに鬼の方々を非難する権利など有る訳も無いでしょう」

「な、女!?」

「お前ら、本当に早くここから失せろ。役人がお前の顔を覚えるぞ」

「ちっ」


義刀の忠告で去って行く男と入れ替わりで時雨乃が義刀に向き合った。


「鬼の方は貴方しか知りませんが、いつもこのような事になっているのですか?」

「野次馬の前で長い時間居れば大体ああなる」

「……貴方は意外と誰にでも優しいですね」


時雨乃の言葉に首を傾げた義刀だが理由は聞かずに到着した役人に状況を説明する事にした。

理由は知らない方が良い。知ったらきっと、感情が生まれてしまうから。

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