第3話 大人になれない人

 僕は中学生になり勉強に部活にと生活環境が一変し、祖父母の家へはすっかり足が遠のいてしまった。そうなるとおのずとおんちゃんと会うことも少なくなり、正月に顔を合わせる程度になっていた。


 おんちゃんは相変わらず作品を商品として売り込むつもりはなく、銀細工師としても芸術家としても生計を立てられずにいた。

 ごくたまに景気の良い企業から記念品のネクタイピンや腕時計の注文を受けていたようだが、どれも一時的で継続的な顧客にはならなかったし、景気が下向きになるといよいよ作品は売れなくなり何カ月も無収入ということもあったようだ。


 僕はそんな情報を逐一聞いていたわけではない。仮に聞いていたとしても心配はしなかっただろう。おんちゃんは祖父母に養われて安穏と恰好良く暮らしているに違いないのだ。祖母の実家が昔からの地主だった関係で、祖父母にはおんちゃん一人を養うくらいの蓄えはあったらしい。

 おんちゃんは稼ぐことを、イコール恰好良いとは思っていない。だから逆に稼げない(稼がない)ことが恰好悪いとも思わない、ある種のナルシストだ。おそらく稼がなければ生活できないであろう僕にはとても共感し難い感覚の持ち主である。

 

 その頃の僕は、おんちゃんにはほとんど興味を失っていた。

 小学校と中学校では社会環境が激変する。すべてがになってきた感じがして、自分が一歩、大人に近づき成長した気分になっていた。だから頑なに変わらないおんちゃんが、大人になれない幼い人に思えてきていたのだった。


 変化と新しいことが次々起こる新鮮な日々は瞬く間に過ぎ、僕は三年生になっていた。周りでは進路のことがぼちぼちと話題になり始めている。

 将来なりたい自分を目指して高専や工業、商業、農業高校を選ぶ者、大学進学を見据えて進学校を選ぶ者、家業を継ごうとする者、就職を選ぶ者。

 僕は焦った。

 僕は将来自分を思い描いたことがない。漠然と会社員にと思っていた。

 夢ならある。僕は作家になりたかった。

 でもそれは正しく儚すぎる夢だ。日本には小説だけで生計を立てられている作家は200人前後くらいしかいないらしい。プロ野球選手が最大で840人だから、プロ野球選手になるより困難ということだ。現実味があまりにも薄い。僕もそんな夢を口に出して思い描くほどもう幼くはない。


 僕はその時の学力で入れる高校に進学した。受験勉強を頑張って、ちょっと上を目指そうという気もなかった。

 可もなく不可もない高校生活はそれなりに楽しかった。部活は文芸部に入った。

 自分の作品を初めて他人に読んでもらうことは刺激的だったし、批評会で作品の批評をしあうのは辛いけれど楽しくもあり勉強になった。

 しかしその批評会というのも、結局は部内の交友関係の濃淡がそのまま批評に反映されるだけで、作品の本当の評価については曖昧であることに気づき、僕は三ケ月で文芸部を退部した。

 ただし小説は書き続けた。誰に読んでもらう当てもないのだが、それでも書きたいことがいっぱいあって止まらなかったのだ。


 帰宅部になった僕は授業が終わるとすぐに学校を出た。週に一回は映画館に行き、その他の時間はほとんどを県立図書館で過ごした。小説から評論、how-to本、学術書、図鑑に至るまで読み漁り、飽いたときには文章を書いていた。

 おかげで勉強はできる方ではなかったが、国語だけは(自分で言うのもなんだが)ずば抜けて成績が良かった。

 

 芸術は美術を選択した。文芸を選択すれば授業は容易いと思ったが、おんちゃんのことが頭をよぎったのだ。

 売れない、売るつもりもない絵を描き、写真を撮り、銀細工を作るおんちゃん。美術とはなんなんだろう。それが少しでもわかるかもしれないと思ったのだ。

 しかし結論から言えばこの選択は失敗であった。美術の授業は実践であり、美術史や美術概論を教授する時間ではないのだ。まぁ当たり前だが。

 僕は絵が下手クソだし描きたいと思うものもなかった。かと言って与えられた課題を描くのはもっと苦痛で、僕は週に一時間、手も足も出ない時間を過ごすことになったのだった。

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