第3話

 購入者都合による返品で、銀行振り込みでの支払いだった場合なら、商品代金から着払い送料を引いた金額を返金する。本来なら、振り込みにかかる手数料も差し引きたいところだけれど、それはオーナーの「そんな細かいこと言ってくる店では、私なら二度と買いたくないわ」の言葉に従い、ここではショップ負担にしている。

 手数料分の負担はあるものの、こちらから強制的に送料を回収できるので、ダメージは最小限で済ませられる。


 ……はずだ。


『三千円の商品の返品に、千五百円も送料を払えって、おかしくないですか? 購入する時は送料かからなかったのに、どうして返品では必要になるんですか?』


 要約するとそういった内容のメールを受信して、花梨はしばらくパソコンの前で固まっていた。自分の理解力が足りないのかと、何回も読み直す。けれど、間違いなくクレーム調の勢いで書かれている文面。送料込みの商品には発送料金がかかっていないと本気で思っているみたいで、まるっきり言葉が出ない。


 ――いやいや、そちらの都合による返品、だよね……?


 事務デスクの上にきちんと畳んで保管してあるボーダーカットソーを改めて確認する。タグは紛失されているが、汚れやほつれといった不良個所は特に見当たらない。客から届いたメールにも、返品理由は「別の店で似た物を買ったから」と書かれている。これを購入者都合と言わずして何と言うんだろう……。


 そもそも、返送で宅配便を利用してきたのは客の方だ。別に発送方法に指定はしていないのだから、薄手のカットソーなんだし定形外郵便かなんかで送料を安く抑えることだって出来たはずなのだ。

 きっと、事前に連絡をし相談してくれていれば、間違いなくそういったアドバイスもしていた。

 彼女の言う送料無料のカラクリでは、同じ業者を使えば、店に着いた途端に着払い料金はリセットされるとでも考えたのだろうか? うちにはそんな都合の良い契約は存在しない。


 『これじゃあ、別の物を安く買い直した意味がない。私だけが損をする』


「知らんがな!」


 漫才の突っ込みさながらに、花梨はパソコンの液晶に向かって声を張り上げる。この客は実店舗の買い物でも、全く同じ理由で商品をつき返せるんだろうか? 直接面と向かって、店員に同じような屁理屈を言う勇気はあるんだろうか?


 相手の顔が見えないからと、薄れていくモラル。


 こちら側に非が無いにも関わらず、花梨は「誠に申し訳ございませんが――」と今後の対応についてのメール文面をキーボードで打ち込んでいく。言葉だけで誠実さを現わすのは、至極大変だ。

 さらにゴネて返金先の振込口座の連絡を渋ってくるようなら、もう花梨の対応できる範囲ではなくなる。


 ――オーナーが帰ってくるのは、三日後かぁ……。


 胃がキリキリと締め付けられるような感覚。昼に食べたチョココルネが消化不良を起こしそうだ。

 一つの案件に付きっ切りになっていたせいで、休憩後は他の問い合わせへの対応が完全に滞ってしまっていた。新たな注文を知らせる通知音も、気付いてはいたが何度かスルーしっぱなしだ。


「今日の集荷は無理かな……」


 パソコンモニターの時刻表示に目をやり、小さく溜息をつく。今の時代、ネットショップも即日発送が当たり前になりつつあるが、その風潮に合わせていくのも結構大変な時がある。店舗のセール時期だと、花梨も二階に上がってくる時間があまり取れなくなる。せいぜい、2~3日中に発送が関の山だ。


 小さい頃から洋服が好きで、人と話すのも大好きだった。だから学生時代のアルバイトも接客業ばかりで、卒業後も迷わずショップ店員の仕事を探した。季節を先取りしたお店で、一押しアイテムを売ることにやり甲斐を感じていた。お勧めのコーディネートを気に入って貰えた時は、本当に嬉しいし楽しかった。


 ――最近、仕事が楽しいと思ったことってあったっけ?


 昨日とほとんど同じ時間帯に、公園のベンチに腰掛けて、花梨は膝の上でミルクティーの缶を包み込む自分の両手を、ただただじっと見つめていた。今日は生クリームが中に入ったメロンパンを買って来たけど、あまり食欲がなくて鞄に入れっぱなしになっている。


 そのせいだろうか、昨日は目の前の離れたベンチに座っていたのと同じ猫が、花梨が座っている真横にやって来たのだ。三毛猫は今日も赤い首輪をしていて、花梨が脇に置いていた鞄を興味津々で匂いを嗅ぎ始める。フンフンと微かに鼻を鳴らしながら、しばらく匂いを確かめてはいたが、別に食べ物をねだってくるわけでもなかった。


 真っ白の前脚を舐め始めたかと思うと、顔を洗う仕草をする。短毛の腹毛などを丁寧に毛繕いする様子を、花梨はベンチの隣から目を丸くしながら見ていた。手を伸ばせばすぐに届く距離。猫をここまで至近距離で見たのは初めてかもしれない。


 もしかして、欲しがるかな? と鞄からメロンパンを取り出してみる。カサカサとパンの袋を開封するのを、三毛猫は耳を動かして音だけを聞いているようだった。試しに一口目を頬張った花梨のことを、ちらっと一瞬だけ見ていたが、すぐにまた毛繕いに戻ってしまう。別にお腹が空いてるわけでもなさそうだ。


 あまり食欲が――と思っていたが、食べ始めると意外と平気なのに気付き、花梨はパンの残りを食べ続けていた。最後の一口を食べ終えた後に、ペットボトルの緑茶で喉を潤す。

 と、こちらへ向かって、一人の男が歩いてきた。珍しい知人に出会えたとばかりに、ニコニコと笑いながら声を掛けて来る。


「お、ミケじゃないか。こんなところまで来てんのか、お前」


 ライトブルーのシャツに、緩めたグレーのネクタイ。重めの前髪をふんわりと横に流した韓流アイドルみたいな髪型の男に、花梨は見覚えがある。同じ駅前商店街に店を構える時計店の店長、湯崎だ。彼が声を掛けて来たのは花梨ではなく、その隣で気ままに毛繕いしている猫にだった。

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