第5話・12月のある日

 カレンダーを眺めては、冬休みまであと何日と数えるのが楽しくなる季節。クリスマスの予定なんて特にないけれど、何となくドキドキする。きっと今年も、去年と同じメンバーで集まって、誰かの家でダラダラ過ごすだけだろうけど、それでもそれなりに楽しみだった。


「男子はあれだ、ゲームの年末イベントで明け暮れるに決まってるね」

「そんなイベントがあるの?」

「らしいよ。うちのお兄ちゃん、年末までに技を磨くって、めちゃくちゃ気合い入れててさ、毎日うるさくてしょーがないよ」


 職員室へ日誌を提出しに向かいつつ、有希がうんざりと渋い顔をする。相変わらず、男子の間ではオンラインゲームが流行り続けているようで、二つ上の有希の兄も帰宅したらずっと部屋に籠っているらしい。


 ――そっか、だったら冬休みに入ってもミケが来てくれる可能性はあるのかな。


 雨の日以外にも少しずつミケの姿を見ない日が出始めていた。最近はあまり散歩に出ていないのか、それとも寒いからと家の近くだけで済ませてしまっているのか。

 全く来なくなった訳じゃないけど、会えない日が増えているのはとても寂しかった。

 でもまた夏休みの時のように、飼い主の海斗が遅くまでゲームで遊んでいれば、三毛猫が夜中に千尋の部屋を訪ねて来てくれることがあるかもしれない。


 放課後の職員室は、珈琲の香りがふんわりと漂っていた。キョロキョロと室内を見回してみたが、担任の田村先生の姿はなく、日誌はとりあえず机の上に置き去りにしておいた。居たら何かと手伝わされる恐れがあるので、不在なのは好都合だ。


 戻って来た担任と出くわさないよう、逃げるように小走りで職員室を出ると、廊下の掲示物を見上げていた有希の肩をポンと叩く。


「タムさん、いなかったわ」

「そっか、良かった」


 有希が真剣な顔で見ていたのは前年の卒業生の進学実績。千尋達だって来年の今頃には受験校を決めなければいけないみたいだが、まだまだ実感が湧かない。とりあえず制服が可愛いところがいいなという有希に、そういう選び方もあるのかと感心するくらいしかできない。


「あ、陸上部が走ってる!」


 廊下の窓の向こう、コの字形の校舎の渡り廊下を、練習着を着た男子が列を作って走っているのが見えた。小雨が降り出したらしく、普段はグラウンドを使う運動部は校舎内ランニングへと練習メニューを変更したみたいだ。陸上部以外にも、野球部員の走る姿も見える。校舎内には様々な掛け声が響き渡っていて、少し騒々しい。


 有希と並んで窓の前に立つと、千尋は下の階の廊下を行き交う運動部をしばらく眺めた。そして、陸上部の先頭を走っている島田海斗のことを、気が付いたら目で追っていた。

 こないだからどうも、海斗のことが気になって仕方なかった。ミケの飼い主で、猫を通じて手紙のやり取りをしていた相手だと分かってから、どんなに人がたくさんいても海斗だけはすぐに見つけられるようになってしまった。


「雨降っても練習無くならないなんて、大変だねー」

「そうだね……」


 教室へ戻る途中、廊下にある多目的スペースでは固まってミーティングをしているテニス部がいて、邪魔しないように無言でその横を通り過ぎる。

 雨が強くならない内にと、急いで帰り支度を済ませ、バタバタと昇降口へと向かった。


 その途中、校舎内を一巡してきたらしい陸上部の団体と遭遇した。一緒にいた有希は目をキラキラさせてその一行を凝視していたが、千尋はどんな顔をすれば良いのか分からなくて、窓の外へとそっと目を逸らした。雨足はさっきよりも少し強くなった気がする。


 陸上部の列がすぐ真横を通り過ぎていく瞬間、千尋の耳には確かに聞こえた。千尋が知っている小学生の頃とは違い、声変わりして随分低くなっていたけれど、海斗の声で短くはっきりと。


「ミケ」


 驚いて振り返った千尋の顔を、言った海斗本人も驚いたように見ている。そして、吹き出すのを堪えた微妙な顔になったかと思うと、前を向き直してから走り去っていく。慌ただしい足音を立てて遠のく一団の後ろ姿を、瞬きも忘れて茫然と見送る。


「千尋?」

「あ、ううん。雨きつくなりそうだし、早く帰ろ」


 何があったのかと不思議そうな有希には、何でもないと思わず誤魔化してしまった。でも、内心はドキドキだった。海斗からの不意打ちに、心臓がバクバク鳴っていた。


 ――今、ミケって言った?! 海斗が私に向かってミケって……。


 飼い猫が遊びに行く先が千尋の部屋だということに、彼がどうやって気付いたのかは分からない。けれど間違いなく、海斗は手紙の相手が同級生だと知ってしまったようだった。だから、千尋にだけ聞こえるような声でそっと猫の名を口にした。そして、その反応を見て確信したはずだ。



 数日続いた雨が上がり、久しぶりに温かく穏やかな天候になったからだろう、馴染の三毛猫が部屋の網戸の前で鳴いた。

 「ナァー」という愛らしい声に、慌てて窓を開けた千尋は遠慮なく入り込んでくる猫に、思わず顔を綻ばせる。


「久しぶりだね。ずっと雨だったもんね」

「ナァー」


 ゴロゴロと喉を鳴らしながら脚へ擦り寄ってくる猫を、しゃがみ込んで抱き上げる。三色の毛からはふんわりとお日様の匂いがしたので、どこかで日向ぼっこをしてから寄ったのだろうか。


 床に座り込み、膝の上に猫を乗せると、毛流れに沿って優しく撫でる。赤色の首輪を探ってみれば、細く折り畳まれた紙が括り付けられていた。

 その瞬間、一気に鼓動が早くなったのが分かった。首輪に触れたまま止まってしまった千尋のことを、ミケが不思議そうに顔を覗き込んでくる。


 ミケが苦しくないよう、首輪を引っ張らずに手紙を外すのは簡単だ。なのに、つい恐る恐るの仕草になってしまうのは、少し緊張しているからか。細かく折り目のついたメモ用紙を丁寧に開いていくと、見慣れた鉛筆書きの字が並んでいた。


『ミケ共々、これからもよろしく』


 何がよろしくなんだ、とふっと鼻から笑いが漏れ出た。互いに相手が誰だか分かった上で、この猫を通じたアナログなやり取りをまだ続けていくつもりなんだ、と。


 机からいつものメモ用紙を引っ張り出すと、千尋はそれにこう書き込んだ。


『こちらこそ、これからもよろしく』

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