奇妙な旅人(6)

 一度は二階の部屋に引き上げたサキが、階下に現れたのは日付が変わるまでいくらも無い時間帯だった。

 階下はまだ寝静まっては居なかった。マリーとポロから伝えられた魔獣が出たという噂は狭い村の中を瞬く間に飛び交い、不安に駆られた村人たちが村長の屋敷に詰めかけて来たのだ。食堂に村の主だった男たちが集まり、村長であるバドはその対応に追われていた。ポロやヨナといった村長の仕事を手伝っている男たちも同席しているらしかった。

――酔っぱらってたっていうのに、ご苦労様なことで。

 サキは村長の赤い顔を思い起こしながら、村人たちの邪魔をしないように足音を忍ばせていたが、慣れない屋敷の内をうろついているうちに村人に見つかってしまった。村人達は、中にはハーケン戦役での出征に従軍した者もいるようだが、流石に魔物と戦った者はいないらしく、年若いサキにすらすがる様に意見を求めた。仕方なしにサキは食堂へ連れていかれて殺気だった村人たちを宥めすかしつつ暫く意見を述べていたが、より適任の者が現れてようやく解放された。もちろん、適任者というのはリュードッグの事である。

 魔物の特徴を己の戦功話に織り交ぜながら声高に話すリュードッグの声を背で聞きながら食堂を出て、サキはマリーの姿を探した。幸いマリーの姿は程なく厨房で見つけることが出来た。どうやらサキとリュードッグをもてなすための宴の後片付けをしていたらしい。

「あら、サキ。どうしたの? 何か用?」

 マリーは厨房に入って来たサキにすぐに気付き、サキが声をかけるよりも早く明るい声で尋ねてきた。

「ああ、ちょっとマリーに借りたいものがあってね」

「あら、大変。私、お金なら貸せる程持ってないよ?」

 マリーは洗った皿を布巾で拭きながら、そう言って自分の言葉に笑った。サキもつられて笑う。

「安心して、お金じゃないよ。鋏を貸して欲しいんだ」 

「鋏? 何に使うの?」

 マリーの質問に、サキは右手の人差し指と中指で作った鋏で自分の前髪を挟んで切るふりをする。

「旅の間にちょっと髪が伸びすぎちゃってね」

「そんなに伸びてないよ。寧ろもっと伸ばしても可愛くて良いと思うけど?」 

「マリー」

 サキはマリーへ呼びかけながらその傍へ寄ると声をひそめた。

「可愛くなっちゃ困るんだよ」

「あー、そう言えばそうだったね。何だかもったいない。髪が長いサキも見てみたいな」

「昔は長く伸ばしてたよ」

「へぇ、そうなんだ」

 マリーはそう言いながら最後の皿を拭き終わると濡れた手を前掛けで拭った。

「髪を切るなら外でやろう。鋏を持っていくから、先に行って待ってて」

「鋏だけ貸してくれれば、あとは自分でやるよ」

「ダーメ、鋏は貸してあげない」

 マリーは悪戯っぽくそう言うと片目を閉じてみせた。

「自分でやったら綺麗に切れないよ。私に髪を切らせて。大丈夫、可愛く仕上げるから」

「だから、可愛くしちゃ駄目なんだってば」

 そう言いながらも、サキは諦めたように「じゃあ、お願いするよ」と言って厨房を出た。

 屋敷の外に出ると、南天に双子の月がかかっているのが見えた。

 地上の夜の闇を照らす、白い月と青い月である。

 白い月と青い月を地上から見上げた時、両者の大きさがほぼ同じであることから双子の月と呼ばれている。

 だがまれに二つの月が重なることがあり、その場合には青い月が白い月を覆い隠すことから、白い月は青い月より遠方にあると考えられる。白い月は四十日と少しで満ち欠けをし、青い月は三十日足らずで満ち欠けをすることも両者の違いである。

 年に数回、その双子の月がそろって満月になることがあり、双望月そうぼうげつと呼ばれている。この日の月は、その双望月が近いことを予感させるような、幅の違う二つの上弦の月が空に浮かんでいた。満ち欠けの早い青い月の方がまだ僅かに細いのである。二つの月の光は夜の地上を明るく照らしていて、これだけ明るければ散髪するのにも困ることはなさそうだ。

 サキが屋敷の扉を開けたまま二つの月を見上げていると、後ろから物音が聞えた。振り向くと、右手で椅子を引きずり左手に鋏と櫛を持ち、脇の下に丸めた布を挟んだマリーが出てくるところだった。サキは慌てて駆け寄るとマリーの右手から椅子を取り上げた。

「言ってくれれば自分でやるのに」

「お客さんにこんな事させちゃ悪いよ。さっ、椅子を置いて座って」

 サキはマリーから言われたとおりに屋敷から少し離れた場所の乾いた地面に椅子をおいて腰かけた。マリーは脇に挟んでいた布――どうやら洗いたての寝具らしい――を広げると、切った髪が服にかからないようにサキの首から掛ける。

「切った髪が付いて汚れちゃうよ?」

 サキは寝具が汚れることを気にしたが、マリーは気にも留めないようだった。

「汚れたらまた洗えば良いのよ。そんなことよりお客さん、腕輪を取ってくださいな」

「腕輪を?」

「そうよ。そんなおかしな腕輪をされたら自分が何を切ってるのか分からなくなっちゃうわ。耳までおしゃれな形にされたくなかったら取って頂戴」

「でも……」

 サキは不安そうに周囲を見回した。周囲に人影は無かったが、月光に明るく照らし出された二人の姿は遠くからでも丸見えになっていた。

「大丈夫、こんな夜中に誰も用もなく出歩いたりしないし、家の中にいる人たちは用事が済んだらなんだかんだ理由をつけて一杯やり始めるから、音で分かるわ」

 サキは深々とため息を吐くと、左腕の腕輪に手をかけた。

 月下に黒髪の少女の姿が現れたのを確認すると、マリーは満足そうに頷いて手慣れた手つきでサキの襟元の髪を切り始めた。

 二つの月から煌々と降り注ぐ青白い月光の下で、マリーはサキの髪を切り続ける。マリーが鋏を使う音と、時折畑の麦穂が風にざわめく音を除けば、二人の間にはただ静寂だけがあった。

 心地よい静寂だった。

 サキはマリーに全てを委ねて、月明りに浮かびあがった農村の風景を無言で眺めていた。

「良い村だね、ここは」

 サキは誰に言うともなく、ぽつりと言った。

「そうかな? 何もないごくありふれた普通の村だと思うけど……」

「マリーはこの村の事が好きじゃないの?」

「そんなことは無いよ。……でも、この村の事が大好きかって聞かれたら、分からないな。私はこの村以外の事は殆ど知らないから……」

「……そっか」

 再び二人の間には静寂が満ちた。だが、今度の静寂には言葉にできない居心地の悪さがあった。その居心地の悪さを嫌ったように、マリーが手を止めて明るい声でサキに言った。

「ね、そう言えば首飾りをしてたよね? 見せてもらっても良いかな?」

「うん? ああ、まあいいけど……これは首飾りじゃないよ」

 サキは寝具の端から腕を出して、首に下げた金の鎖を手繰って襟元から鎖の端を取り出した。そこには親指ほどの太さの柱状の石が取り付けられていた。水晶によく似た石で、色は瑠璃より青くありながら、泉のように澄んでいた。

「それは……?」

「制御結晶。魔動鎧まどうがいを操るのに使う物だよ」

 サキはそう言いながら金の鎖に繋がれた青い石を首から外すと、マリーに手渡した。マリーはそれを恐る恐る受け取って、月光にかざした。ただでさえ深い青を湛えた石が、青い月光を弾いてより蒼く煌めいた。

「これが制御結晶……何て綺麗……」

 マリーは魅入られたように青い石の輝きを暫く眺めていたが、我に返るとそれをサキに返した。

「そういうものがあるって話は聞いたことがあるけど、本物を見るのは初めて。でも、制御結晶は赤いって聞いたわ。私が聞いた話が間違ってたのかしら?」

「いや、あってるよ。アタシの制御結晶はちょっと特別でね」

 話しながらサキは金の鎖を首に掛け、青い石をもとのように胸元に落とし込んだ。マリーは再び鋏を使ってサキの散髪の仕上げにかかかった。

「でも、制御結晶だけ持ち歩いてどうするの? 魔動鎧が無ければ使い道がないんじゃないの?」

「まあ、普通はね。でも、アタシの制御結晶は形見みたいな物なんだ……母親のね」

 マリーは「えっ」と小さく声を上げると鋏を使う手を止めた。

「大丈夫、謝る必要はないよ。さっきはドグが失礼な事を言ったしね」

 前を向いたまま言うサキの声色は柔らかい。

「うん……分かった」

 マリーはそう言うと黙ったまま鋏を使い続けた。暫く無心で髪を切っていたが、はたと手を止めると前掛けのポケットから銀細工の髪飾りを取り出した。

「私のはこれ」

 マリーはサキに髪飾りを手渡した。サキはマリーがしたのと同じ様にそれを月光に翳した。花の模様の透かし彫りが入った銀細工で、大きな花弁を持つ花の中心部分には碧の石がはまっている。

「奇麗だね。これは……?」

「私の母さんの形見。サキのだけ見せてもらったら悪いからね。どうやって手に入れたの物か分からないのだけど、母さんがいつも付けてた。……本当言うとね、私、母さんの顔をあんまり覚えてないの。私がちっちゃいころに死んじゃったから。でもね、いつもその髪飾りを付けてたことは覚えてるわ。それと、いつも優しくて陽だまりの匂いがした」

「そうなんだ……。見せてくれてありがとう」

 サキはマリーに髪飾りを返すと、独り言のようにポツリと言う。

「今まで考えたことも無かったけど、アタシは母様の顔を覚えている。ただそれだけでアタシはきっと幸せなんだろうね」

「どうかな? 私は母さんを亡くしたのが小さい頃だったから、その時は凄く悲しかった筈だけど、今ではもう悲しいとは感じないわ。どっちが幸せなんだろうね?」

 マリーは髪飾りを元通り前掛けのポケットに戻した。

「さ、散髪はこれでおしまいっ。あ、私ったら鏡を持ってくるのを忘れてたわ。ちょっと待っててね」

「ちょっと待って」

 屋敷の中へ引き返そうとしたマリーを、サキが呼び止める。

「ね、マリー、さっきの髪飾りだけど、どうやって手に入れたか分からないって言ってたね」

「え? ええ、そうよ。父さんも知らないみたいだから、父さんから贈った物じゃないみたい」

「そっか……」

「何かおかしかった?」

「おかしいって程じゃないけど……。髪飾りにはまっていた碧の石だけどね、あれは魔石だよ」

「魔石?」

「特別な条件下で魔力が結晶化したもの。綺麗だけど、装飾品に使われるのは珍しいね」

「そんなものが何故母さんの髪飾りについているのかしら?」

「さあ……? 作った人が魔石の事を知らなかったのかも知れないね。魔石はね、強力な魔術を使うときの補助として使ったり、大規模な魔法陣を描くときに印として使ったりするんだけど、使うとすり減ってしまうんだ。君のお母さんの大事な形見だから気をつけないと……」

 そこまで言ってサキは何かに気づいたように口を閉じた。マリーはその様子に口に手を当ててクスクスと笑った。

「分かったわ。私が魔法陣を描くときは間違って母さんの髪飾りを使わないように気をつけないとね!」

 そこまで言うと、もう堪えられないというように、今度は腹を抱えて笑いだした。

「でも、でも私、今後、そんな機会、きっとないわ」

 息も切れ切れに笑いながら言うマリーに、サキは苦笑する。

「降参、降参だよ。アタシが馬鹿なことを言った」

「ううん、あんまり可笑しかったからつい笑っちゃったけど、ごめんね。サキは親切で言ってくれたのよね」

 両手を上げて降参を意を示したサキに、ようやく笑い終わったマリーは謝罪した。笑った時に零れ出た涙を眼の縁に溜めたままのマリーを見て、サキはぽつりとつぶやく。

「君は良く笑うね、マリー」

「そうかな? こんなに笑ったのは久しぶりだよ。私たち、相性がいいのかもね」

「そうなのかな……?」

「きっとそうよ」

 断言するマリーの言葉を聞いて、サキは頼みづらいお願い事をするように神妙な面持ちで言う。

「そっか。……なら、マリーに一つ頼みごとをしても良いかな?」

 サキの様子にマリーは「あら、大変!?」と驚いた声を上げると続けた。

「私、お金なら貸せる程持ってないよ?」

 お互いの顔を見合うと今度は二人で腹を抱えて笑った。夜のしじまに、少女たちの華やかな笑い声が響いた。

「安心して、お金じゃないよ」

 マリーは笑い終わってから口を開いたサキの真剣な表情を見て、自分の表情も引き締める。

「良かったらアタシと、その、友達になってくれないかな?」

 サキの言葉にマリーは眼を丸くして驚いて、言葉を失った。その様子に、サキは慌てたように付け加える。

「ただの旅人からこんな事を言われるのは迷惑だって事は百も承知してるんだ。もし、迷惑じゃなかったらで構わないから」

 しどろもどろになって取り繕うとするサキに、マリーは小首を傾げた。

「あれぇ? 私たちって、まだ友達じゃなかったんだ?」

「えっ?」

 サキはマリーの言葉を理解するのに暫く時間を要した。

「じゃあ、良いんだね!?」

 サキは椅子から立ち上がると、マリーに駆け寄った。その拍子に、首からかけていた寝具が外れて地面に落ちたが構わず、月光の下で二人の少女は手を取って踊る様に跳ねて喜んだ。 

 その様子を薄く開いた屋敷の扉から覗き見る者がいる。

 その人物は、白い口ひげを撫でつけると「ふむ」と小さく呟いて、扉の前から去って行った。

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