第8話 修道院のビスケット 3

 シスターはマーヤに、ビスケットを焼いている間、応接間でくつろいでくれと言ったが、食に興味のあるマーヤは作っている所を見せてくれと頼む。


「はぁ、あまりおもしろいものでも無いですが……興味がおありでしたらどうぞ」


 少し困惑した様子のシスターに連れられて、マーヤは修道院に備え付けられている簡易的なキッチンにやってきた。


「シスター、何か手伝う事はあるかい?」


「そうですね……でしたら、竈に火をつけて下さるかしら?」


「おうよ、まかせな」


 マーヤは薪を置いてある棚から、何本か適当な大きさの薪を見繕うと竈に入れ、手際よく火をつけていく。


 マーヤが火付けをしている間に、シスターはビスケット作りの準備に取りかかる。


 小麦粉を入れた大袋から、適量を木製の器に取り分ける。水と、少量の塩を入れてサックリと混ぜ合わせると、棚から何やら一本の瓶をとりだした。


 瓶の中には、何やらどろりとした薄茶色の液体が半分ほど入っているのが見える。


 シスターはその瓶の中身を先程の器の中に少量流し込んだ。


「シスター、それ何だい?」


 いつの間にか火付けを終えてシスターの作業を見ていたマーヤが尋ねる。


「ふふっ、少し味見してみますか?」


 シスターはそう言うと、木製の小皿に先程の瓶の中身を少しだけ出してマーヤに差し出した。


 小皿を受け取ったマーヤ。興味津々にソレを眺め、クンクンと臭いを嗅いでみる。


 フワリと香る爽やかなハーブのような臭い……どこかで嗅いだことのあるような……。


「これは……さっき飲んだ茶と同じものかい?」


 そう、先程飲んでいたトーサの葉を煎じた茶と同じ香りがする。


「正解です。もっとも、先程のお茶はトーサの葉を煎じたもの……この瓶に入っている液体はトーサの樹液を煮詰めたものになります」


「樹液を……煮詰めた?」


 小皿の液体をぺろりと舐める。


 瞬間、マーヤは電撃に打たれたような衝撃を受ける。


「なんだこれ!? 甘い……砂糖より甘いぞ!???」


 下が痺れるような強烈な甘み。後味に先程のハーブのような香りがわずかに残るが、こんな強烈な味は、生まれて初めてだった。


「トーサの甘い樹液を煮詰めて、さらに濃度を濃くしたものがこのシロップです。そのまま舐めると甘すぎますが、ビスケットの生地に練り込むととても美味しいですよ」


「なるほどな……それが噂の ”修道院のビスケット” ってわけか。でも、こんなに甘い樹液が取れるなら、もっと他の地域に広まりそうなものだけど」


 マーヤの疑問に、シスターは困ったように微笑んだ。


「そうですね。それが少し難しいらしく……トーサの木は樹液が極端に甘いから虫に食われやすくって、スイみたいに山頂にある寒い地域じゃ無いとまともに育たないみたいなんです。樹液も日持ちしないので、街の外へ持っていくのも一苦労みたいで……」


「そうか……お土産に少し樹液もらえたらと思ってたんだけど……残念だ」


「でも乾燥させた葉なら結構日持ちしますよ。もしよろしければ帰りに差し上げます」


「本当かい!そりゃあありがたい。さっきの茶はうまかったからね」


 そんな雑談をしながら、シスターはトーサのシロップがたっぷり入ったビスケットの生地を練り上げた。


 適当な大きさに丸めて持ち手のついた鉄板の上に置き、竈に入れて焼く。


 しばらくすると、部屋中にビスケットの焼ける良い臭いがただよってきた。


 別室にいた孤児院の子供たちが様子を見にやってくる。


「もうすぐ焼けますからね。みんなテーブルの準備をしていて下さい」


 シスターの言葉に、「はーい」と元気よく返事をして食卓へと向かう子供たち。シスターはその後ろ姿を微笑みながら見送ると、竈から鉄板をとりだした。


「さあマーヤさん食べましょうか。これが ”修道院のビスケットです”」











 修道院の食卓を囲む子供たちとシスター、そしてマーヤ。


 皆の目の前には、木製の小皿に盛られた焼きたてのビスケット(体の大きなマーヤの皿には、皆より少し多めに盛られている)。


 シスターはニッコリと笑って、子供たちと一緒に食事の前のお祈りを始めた。


「神よ……日々の糧に感謝します」


 シスターを真似して子供たちも祈りを捧げる。


 マーヤは神なんて信じていない。しかし、この神聖な行為を台無しにするほど無粋でもなかったので、見よう見まねで祈りを捧げた。


「では、いただきましょうか」


 シスターの言葉で、子供たちがワッと目の前のビスケットに手を伸ばし、我先にと頬張り始めた。


 そんな微笑ましい様子を見ながら、マーヤは焼きたてのビスケットを手に取る。


 綺麗な茶色に焼けたビスケット。小麦の香ばしい香りと、トーサのハーブを思わせる爽やかな香り。


 サクリと一口囓る。


 サクサクとした軽い食感と、小麦の香り。そして原液で舐めた時は痺れるような衝撃を受けたトーサのシロップは、ビスケットに練り込まれることで中和され、優しい甘さになっていた。


 うまい。


 食べたことの無い美食。


 これこそマーヤの求めていたもの。


 マーヤはニッコリと笑うと、正面に座るシスターに礼を言った。


「ありがとうシスター。すげぇうまいよ」







 

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