6月17日 お題:悪堕ち・『眠れない』

「ふぁ……」

「灯里、眠そうだね。いや、眠そうっていうか、今の授業も寝てたし」

「うん…… なんかこのところ、夜全然眠れなくて」

 最近は、夜になるとなぜか眼が冴えてしまう。

 ただベッドでじっとしているのも落ち着かなくて、ついつい本を読んだりなんかして、気がついたら朝になっているような状況。

 それでいて眠気が消えたわけではないので、結局こうして普段の授業中に寝てしまうというわけだ。

 まあ、それでもなぜか授業の内容はバッチリと覚えているのでそこは特に問題ないのだけれど……


「大丈夫?」

「ダメそう」

 正直、限界だ。

 いくら授業中寝ているからと言って、それだけでは睡眠の質も量も圧倒的に足りていない。

 このままいけば、多分どこかで大変なことになるだろう。


「……そっか」

「参っちゃうよ。どっかで自律神経やっちゃったのかな……」

「……私、よく眠れる方法知ってるんだけど、教えてあげよっか?」

「うん、お願い」

 ――きっと、ダメだろうけど。

 一瞬そう言いかけて、ぐっと言葉を飲み込んだ。

 千景には悪いけど、そういう手段ならもういくつも試したのだ。

 それでも、全てダメだった。

 とはいえ、せっかく千景が教えてくれるのだ、その好意を不意にはしたくない。

 

「じゃあ、今日灯里の家行ってもいい?」

「うん、いいよ」

「分かった。じゃあ、一旦家寄ったらすぐに行くね」

「ありがとう……」

 

 ♦


 そして放課後、千景は宣言通りすぐにやってきた。

 それでも、寝る方法を教えてくれるのは夜だということで(どうやら泊まっていくつもりらしい)、それまでは二人でゲームをしたりして待つことにした。


 ♦

 

 楽しい時間というのはあっという間に過ぎるもので、気が付くともう夜だ。

 お風呂入ったり夕食を食べたりして……そしてとうとう寝る時分。

 私たちはベッドに腰掛け、二人でまったりとしていた。


「さて……それで、そろそろ教えてくれるよね? 眠れる方法ってやつ。今日もなんか気持ちが昂ってきちゃったし」

「うん、もちろん。 はい、これ。飲んでみて」

 そう言って千景が差し出したのは、何やら赤い液体の入った小瓶。

 中身が何なのか訝しみながらも、私はそれを受け取る。


「なにこれ? もしかしてワイン?」

 ……寝酒でも進めるつもりなのだろうか?

 

「ちがうちがう。私が教える方法、合う人と合わない人がいるから、それを確かめるための物。さ、飲んでみて。不味かったら吐き出していいから」

「わかった、飲んでみる」

 千景が出すなら悪いものではないだろうと、そう思いつつ蓋を開けて中身を一気に口へと流し込む。


「どう?」

「……美味しい」

 今まで味わったことのない味で、口の中で転がし、そして飲み込むと徐々に心が落ち着いていくのが分かった。

 

「よかった。落ち着くでしょ、それ?」

「うん、これなら眠れそう」

「そうだよね。ふふ、ふふふ…… それに、病みつきになりそうな味でしょ?」

「確かにね。……もしかして、何か危ない物でも入ってた?」

 不意に見せた妖しげな笑顔に、一瞬だけ親友が得体の知れないものに見えてしまい、声がひきつる。

 

「いやいや、そんなわけないでしょ…… 私を何だと思ってんのさ灯里……」

「だ、だよね。ごめん、一瞬千景の笑い方が怖かったから……」

「酷いなぁ、もう。……で、怖かったって……こんな感じ?」

 不意に、あの怪しげな笑いを浮かべた千景にベッドへと押し倒された。

 至近距離に近づいた千景の顔は、今まで知らない彼女の魅力が映し出されていて、胸が高鳴り、顔が熱くなる。


「……なんてね。どう? 私の演技」

「すごい……ドキドキした」

「そうでしょうそうでしょう」

 それでも次の瞬間には、千景はいつもの調子に戻っていた。

 それが演技だと分かって、安心するやら残念に思うやら、不思議な感覚が残る。


「それじゃあ、そろそろ寝ようか。さっきのはお試しだから、早く寝ちゃわないとすぐ効果が切れちゃうし」

「そっか。うん、そうしよう」

 そして、私たちは一緒にベッドで眠りについた。


 ♦


 ――喉が渇いた

 枕元のスマートフォンで時間を見ると、今は午前二時。

 

「……あれ?」

 隣で眠っていたはずの千景がいない。

 落ちたのかと思って床を見ても、そこにもいない。

 彼女がどこに行ったのかは気になるけど、でも今はとにかく水が飲みたい。喉が渇いて仕方がない。


 台所へ行って、水を飲む。一杯……二杯……


「なんで……」

 どれだけ飲んでも、喉の渇きが消えない。

 それどころかむしろ、飢えはより酷くなる一方。


「あれ、飲みたい……」

 そんな時、脳裏に浮かんだのは、千景に貰ったあの飲み物。

 あの味がフラッシュバックして、あの匂いが鼻腔をくすぐり、私を誘う。


 ふらりふらりと導かれ、行きついたのは姉の部屋。

 朝早くて寝ているはずの彼女の部屋は、ドア越しに光が漏れていた。

 

「お姉ちゃん……起きてるの?」

 気になって、開けてみると……


 そこに、千景がいた。

 千景が姉に覆いかぶさって、何かをしている。


「あ、やっと来たね、灯里」

「なに、してるの……? 千景……?」

「灯里がそろそろ渇くころかなと思って、準備してたの」

「準備って……何の……?」

「こっちに来てみればわかるよ」

 千景に手を掴まれ、部屋の中へと連れられる。

 

 奥で見たのは、姉の首に穿たれたふたつの小さな傷跡と、そこから流れ出る鮮血。

 その瞬間、私の中で、何かが暴れ出した。


「ふふっ、どう? お姉さんの血は?」

「え……?」

 千景の声で我に返る。

 いつの間にか私は、姉の傷跡へと口を当て、そして流れる血を啜っていた。


「ひっ……」

「美味しかった、でしょう? あの味よりも」

「っ……それは……」

 未だ口の中に残る風味は、さっきもらった液体をもっと美味しくしたもののようで、その味を意識すると、姉の血を啜ったという罪悪感すら忘れるほどの多幸感に包まれる。


「もっと飲みたいと、思うでしょう?」

 ……千景の言うとおりだ。まだ、満足できていない。まだ飢えは、残っている。


「でも……」

 姉の首に穿たれた傷は、いつしか完全に塞がって、跡形もなく消えていた。


「傷跡がないなら、作ればいいの。灯里には、もうそのための牙だってあるんだから」

「え?」

 言われて気付く、口内の違和感。

 指で触れて見れば、犬歯が異様なほどに伸びている。


「あとは……もう、分かるでしょう?」

 ――だめだ、想像してはいけない。その言葉に従ってはいけない。

 そう思っても、身体は動き出してしまう。


 引き寄せられるように姉の首筋へと近寄って行き…… 大きく口を開けて…… その首へと、牙を突き立てる。

「っ……!」

 そこまで行ってしまったら、もはや止められない。

 私はただ、一心不乱にその血を啜り続ける。

 

 きっと私は、このまま姉を殺すまで血を啜ってしまうだろう。

 異常な中にあってもどこか冷静な理性がそう結論付け、それでも私は血を吸うのをやめられない。


「夜眠れないって聞いて、私の血を飲ませたら美味しいって言ってくれたから、期待してたけど。思ってた通り、やっぱり灯里もこっち側だったんだね」

 その声を聞きながら、それでも私は血を啜り続ける。

「あれ? でも……眠れなくなったのは最近だよね? もしかして、ずっと私と一緒に居たから、そのせいで存在がこっち側に近づいちゃったのかな? だとしたら、ごめんね。私、灯里の全て、奪っちゃったみたい」

 全く嬉しそうな千景の声が、心地いい。


「……ふう、ご馳走様でした」

 そして、私は"食事"を終える。

「それじゃあ、渇きも癒したことだし、寝なおそっか!」

「うん、そうしよう」

「分からないことがあれば、また明日教えてあげるね」

「ありがとう」


 千景のおかげで、今日からはよく眠れそうだ。

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