3

「何度見ても何もないし狭いけど、寝るだけだしいいよね。何より安いし」


 部屋に帰ってきたテラはそう言いながら真っ先にベッドへと倒れた。


「あっ! でもコインシャワーが併設されてて、しかもコインランドリーもあってそこはすっごい当たり。おかげで身も服もスッキリぃ~」


 言葉尻が弾み最後の一言はそのまま鼻歌へと繋がるようなリズムを刻んでいた。そんな彼女を横目にユーシスは帽子を小さなテーブルに投げ捨てると椅子へ倒れるように腰を下ろした。


「ねぇ。明日の朝食どうする? 食べてから行く? それとも列車の中で食べる?」

「もう次の飯の話してるのか?」

「だってそれによって起きる時間変わるじゃん」

「面倒だから列車でいいだろう」

「おっけー」


 それからは特にする事もなく、ただ過ぎ去るのを待つだけの時間が続いた。


「そろそろ寝ようか」


 大きく伸びをしながらテラがそう言うとユーシスは椅子から立ち上がりベッドへ歩き出した。

 だが、ベッドに体を沈める前ユーシスは一度カーテンの隙間から外を確認した。等間隔に並べられた街灯が微力ながら照らす通りは仄暗く、どこか不気味。しかしながらそんな雰囲気とは裏腹に宿前を通る人影は一つも無かった。

 それでも少しの間、目を凝らし通りへ警戒の視線を走らせるユーシス。今の彼の脳裏には、数日前テラを攫われてしまった時の失態が嘲笑うかのように流れていた。

 そしてようやく安全だという事を確認したユーシスはカーテンから手を引き二人で寝るには狭すぎるベッドへと体を倒した。


「流石に狭いね」

「一人部屋だからな」

「でも昔は毎日こんな風に狭い所で身を寄せ合って寝てたから何だか落ち着く」


 昔をより再現するよにテラは更に身を寄せた。


「毎日のイラついてたがな。……まぁ、あの頃は良かった」

「負けてばっかだったもんね。でもあの時とはもう違うよ」

「――どうだかな」


 ユーシスはそう呟きひっそりと軋むほどに拳を握り締めた。

 そしてそれは夜もすっかり年老いた頃。肌を突き刺すように気配を感じユーシスは一瞬で覚醒し起き上がった。夜と一体化し光の無い部屋を闇に慣れた双眸が見渡す。だが、部屋はそれがただの悪夢による勘違いであると言うように何事もなく平然としていた。

 ユーシスは部屋の中が安全だと分かると迅速かつ静かにベッドから降り、窓を開けて外を警戒の眼差しで見渡す。しかしそこには無人の通りが伸びているだけで人影らしきものは無かった。かと思ったが、再度あの感覚を感じたユーシスは視線を向かいの屋根上へ。

 だがユーシスの視線とすれ違いそれは屋根の陰へと消えて行ってしまった。飛び行く鳥が落とした羽根のようにその片鱗が一瞬見えただけ。


「ユーシス? どうしたの?」


 もう誰もいない屋根へ視線を向け続けていると後ろからテラの眠気の絡み付いた声が聞こえてきた。その声に振り返ると重そうに体を起こしたテラが寝ぼけ眼でユーシスを見つめていた。眠気にあまり抵抗出来ず細くなった目で。


「いや。何でもない」


 そう言いつつも最後にもう一度、屋根上へ視線を向けてからユーシスは窓とカーテンを閉めた。そしてベッドへ。眠気に負けるように体を倒したテラを横に天井を見つめていたユーシスは、屋根上で見た(そういうにはあまりにも一瞬だったが)何かを思い出しながら同時にまだ拭い切れていない失態を思い出していた。


「大丈夫だよ」


 するとそんなユーシスを見透かしたらように目を瞑ったままのテラは撫でるような声でそう言った。


「ユーシスはあの頃とは違う。ユーシスは強い」


 だがユーシスは何も言わなかった。それは実際テラを守れなかったという確かな事実が今も脳裏で蘇っている所為だろう。


「お休み」

「――あぁ」


 しかしそんなユーシスに対しテラは少しの沈黙の後、答える必要はないと言うように眠りへとその身を委ねた。須臾の間、天井を眺め寝れずにいたユーシスもいつしか意識は溶けてゆき、気が付けば朝を迎えていた。

 早朝も少し落ち着いた時間帯。部屋を後にした二人は鍵を返す為に受付に来ていた。だがカウンター裏は無人で先日そこにいた店主の姿はどこにもない。


「あれ? おじさんどこ行ったんだろう」


 そう呟きながら軽くカウンターを覗き込むがやはりそこに人影はない。どうしようか、そう考えながらテラがふと落とした視線はカウンターに置きっぱなしになった新聞へと留まった。じっと見つめたまま自分の方へ引き寄せた新聞を回転させ、大見出しと目を合わせる。

 そこに書かれていたのは連続殺人事件の記事。夜の間に現れ翌日の早朝に発見される遺体はどれも狂気的で悲惨な状態らしい。


「おっと。悪いね」


 テラがその記事を読んでいると奥からやってきた店主はそう言いながらカウンター越しに腰を下ろした。


「いえ」


 微笑みを浮かべたテラが新聞を戻すと店主はその記事に一度視線を落とした。


「都市部の事件がここまで届くなんて相当酷いんだろうね」

「怖いですね。早く捕まって欲しいですけど」

「お嬢さん達もウェルゼンに寄る事があれば気を付けて。特に夜はね」

「はい。ありがとうございます」


 そして鍵を返したテラはユーシスと共に宿を後にした。閉まりゆくドアを背にしながら疎らに雲が浮遊する空を見上げ大きく伸びをするテラ。

 その一歩後ろで空気に紛れるように、だが突き刺すような視線を感じていたユーシスは辺りを一瞥した後、正面の屋根上を見上げた。そこにはコートを身に着けハット帽を深く被った人が二人、覗き込むように見下ろしていた。

 ユーシスはその姿を確認するや否やテラの手を取り歩き始める。


「ちょっ! ユーシスどうしたの? 駅反対だよ?」

「分かってる」


 状況を呑み込めないままのテラの手を引きあの場から離れたユーシスは少し歩くと路地へと入り、突然立ち止まった。


「ユーシス?」

「デュプォスだ。デュプォスが――」


 だが説明を遮り頭上から降ってきた二体の人に化けたデポォスは、ユーシスとテラの行く手を阻んだ。コートとハット帽で顔は見えない。

 ユーシスは咄嗟に後方を確認するが、逃げ道は無いと言うように通りから同じ様にコートとハット帽を身に纏った二人組のデュプォスが路地へと入ってきた。


「ユーシス……」


 前後を挟まれテラは不安げな声を漏らす。


「大丈夫だ。下がってろ」


 そんなテラにアタッシュケースを預けたユーシスは、壁を背に左右のデュプォスを警戒の眼差しで交互に見遣る。

 すると開戦の合図を鳴らすかのように四体のデュプォスは一斉に人の皮を脱ぎ捨て襲い掛かった。(それは誤差のようなものだが)一番最初に間合いを詰めたデポォスの頭を壁へと叩きつけたユーシスはすぐさま次のデュプォスへ足を突き出した。狭い路地の限界まで壁へ身を寄せたテラの目の前でユーシスは相手じゃないと言うように瞬く間にデュプォスを片付けてしまう。

 だがその直後、頭上から更に追加のデュプォスが五体。雨の様に降り注いできたデュプォスにユーシスは一度、大きく退き態勢を整える。デュプォスが危険度が高い順に排除しようとするのを知っていたが故に少しテラから離れてもユーシスは態勢を立て直した。

 しかしその内の一体は少し様子が違っていた。先頭の一体だけは整った服装をしやけに落ち着き払いっている。

 そしてそのデュプォスはユーシスへ向け余裕の微笑みを浮かべると傍のテラの元へ体を向けた。


「待て!」


 その言葉を振り払うようにデュプォスはハンカチを持った手を表情を恐怖に染めるテラの口元へ。彼女は一瞬にして意識を失った。

 そしてその倒れる体を受け止めたデュプォスは、ユーシスの方へ再度顔を向ける。依然と余裕の微笑みを浮かべたその顔を。


「街外れの洞窟で待っていますよ」


 そう告げるとテラを抱え上げ他の四体を残しデュプォスは屋上へと消えて行った。

 残された四体のデュプォスとユーシス。先に動き出したのはデュプォスだったが、その決着はあまりにも呆気ないものだった。


「テラ……」


 名前を呟いた後、ユーシスは行き場の無い怒りをぶつけるように地面に転がる虫の息だったデュプォスの頭を踏み潰した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る