『My Bonnnie』をもう一度

冷門 風之助 

その1

 その日、俺は中野にあるライブハウスにいた。

 50人も入れば満杯というような、小さな店内は、半分も埋まってはいない。

 しかし熱量だけは負けていなかった。

 20人ばかりの客は総立ちで、バンドの演奏に声援を送っていた。

 メンバーは全員女性。

 ギター、ベース、ドラムス、そしてキーボードという編成だった。

 確かにまだテクニックはそれほど上等という訳にはゆかなかったが、しかし

決して下手ではない。

 あんまりロックに詳しくない俺だが、なかなか捨てがたい魅力を持っている。

 ええ?

”探偵も暇なんだな。わざわざライブハウスにロックを聴きにきたのか”

 だって?

 勘違いして貰っちゃ困る。

 仕事だよ。仕事。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 依頼人と俺が逢ったのは、今から2ヵ月前、3月も終わりにかかったころで、上野の山の桜が五分咲きほどになったが、新型ナントカの影響で花見の客はあまり見込めないだろうと、ラジオのニュースが悲観的な喋り方をしていた時だった。

 

 電話で知らせて来たとおり、まるでストップウォッチで測ったように、時間通りに新宿四丁目にある、通称三角ビルの五階に位置する俺の城。

”乾宗十郎探偵事務所”の呼び鈴が鳴った。

 俺がどうぞと呼びかけると、そいつはドアを開け、まず直立不動の姿勢をとり、

『入ります!』と声を張って告げると、ほぼ90度に頭を一度下げ、中へと入ってきた。

 吹きださないのに一苦労だ。

『まあ、楽にしなよ』

 俺が言うと、彼はまたそこで頭を下げる。

 背の高い男だ。

 190までは行かないが、恐らく180センチはゆうにあるだろう。

 肩幅が張り、デカい顔をしている。

 その割には目鼻は愛嬌があった。

『お久しぶりです。乾一等陸曹殿!』

 ソファに腰を下ろし、俺が淹れてやったコーヒーのカップを前に、依頼人はまた頭を下げた。

『どうでもいいが、その一等陸曹殿は止めてくれないか?俺はもう自衛隊を退職してるんだ。今はただの探偵だよ』

 そうでした、すみません。

 男はそう言って、また頭を下げた。

 俺は我慢できずに苦笑する。

 真面目な男だ。

 しかしそこがまた良いところでもある。

 

 依頼人の名前は大前田英五郎(幕末の侠客みたいな名前だろ?しかし本名なんだから仕方があるまい)といい、俺が陸自の第一空挺団に居た頃、教育隊に入ってきた男、そこで助教をしていた時に教え子だったことになる。


 もっさりしたところはあったが、努力家で一途で、確かにのみ込みはお世辞にもいいとは言えなかったものの、まあ優秀な隊員だったことは間違いない。

 彼は普通科から選抜されて入団してきたのだが、知っている人は知っている通り、自衛隊というところは、本人が希望したって、永遠にいられるところじゃない。

『自衛官候補生』・・・・つまり二等陸士から這い上がっても、いいところ四年間、陸士長どまりだ。

 それ以上を望むなら、『陸曹任官試験』というのを受けなければならない。

 しかしながら昔と違って、これがそう簡単に受かるほど甘いものじゃない。

 彼はこいつに二度チャレンジし、二度とも落っこちた。

 三度目も受けようとしたらしいが、当時の上官(俺じゃない)から、

”陸士長までやれたんだ。これで充分だろう”と言い渡された。

 早い話、

”お前さんにはもう無理だから諦めろ”と、引導を渡された訳である。


 俺みたいに、向いてもいないのに何故か試験に合格し、10年も陸自の飯を喰った男もいれば、大前田みたいに、あれほど熱望していながら、結局プロの自衛官になれずに終わった男もいる。世の中上手く行かないものだ。


 さて、四年で自衛隊を退職した後、彼は何をしたか?

 幸い彼には他に取り柄があった。

 格闘技・・・・レスリングである。

 彼は高校時代までレスリングで鳴らし、国体や高校総体では、共にグレコローマンの80キロ級で、二度も四位に入るほどの実績の持主だった。

 入隊後も、体校(陸上自衛隊体育学校)に通い、オリンピックの強化選手にも選ばれたこともあった。

 

 自衛隊を退職したとなれば、選ぶ途は一つしかない。

 その頃俺はもう既に退職して、探偵稼業に入っていたから、幾つかのコネを頼って数あるプロレス団体を紹介してやった。


 しかし、ここでも不器用男が顔を覗かせた。

 あんまりこういういい方はしたくないんだが、プロレスってのは、いわば『見せるスポーツ』の世界だ。

 ただ勝てばいいってもんじゃない。

 大前田は確かに強かったのだが、プロで生きてゆくための”華”が無さ過ぎた。

 あっちで断られ、こっちで首を横に振られ、そして最終的に落ち着いたのが、ある弱小団体だった。

 

 そこのオーナーが俺の昔馴染みだったこともあり、彼は草鞋を脱ぐことに相成った。

 それから月日は流れ、俺も年を取り、一本独鈷の私立探偵となり、久しぶりの対面だ。

『じ、実は乾一等・・・・いや、乾さんが探偵をしてるのを思い出しまして、どうしても引き受けて欲しいと・・・・』

 

 彼は相変わらずの生真面目さを顔全体に表し、どもりながら一冊の雑誌を取り出した。

 頁を捲って、そこを指で指し示す。

”クイーン・エンジェル、本日ライブ!”

 一人の女性がメンバーを従え、ギターを片手にマイクで熱唱している。

 飾り気のない真っすぐな髪を、首の後ろで無造作に束ね、化粧もそれほど濃くはない。

 アクセサリーも付けていない。

 黒いタンクトップにレザーのパンツ。

 今時珍しい女性ばかりのハードロックバンドという訳だ。


 大前田の説明によれば、まだメジャーとして売れているわけではない。

 マイナーレーベルでアルバムを二枚ほど発表しただけだが、音楽性とテクニックはかなりのものがある。

 何でもある時、先輩に連れられて中野のライブハウスに行った。

 そこで一目見て、

『ほ、惚れちまったんす』

 という訳だ。

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