第28話

 田口は昼ご飯に食べたパスタを殆ど吐いてしまうと「君の胃腸風邪がうつったのかな」と苦笑いした。そんなはずがないことは、嘘を吐いた私も、自覚のある田口も、ちゃんと分っていた。

 私は伊藤さんに今日の田口の症状を伝えると「随分続きますね」と返ってきたので、そこで私は自分がずっと嘘を吐いていた事を思い出した。

メールの下の方に、電話をしたいので都合のいい時に連絡が欲しいと書いてあったので、私は田口をベッドで休ませると、枕元にポカリスエットの入ったペットボトルを置き、作業部屋のドアを閉めた。着信履歴から伊藤さんを探し、リダイアルしようとすると、佐々木さんの名前が目に入った。

 それを見て、途端に胃の底が熱くなった。吐きたいと思うと同時、その着信が昨日だったことに気づく。私は震える手で佐々木さんの携帯に電話を掛けた。すると三コール程で「もしもし」という声がした。その声は、佐々木さんの物とは全く違う、余所行き感のある、一か月に二回は訊耳にしそうな種類の女性の声だった。

私があっけにとられていると、「パチさんですか?」と、彼女は言った。私は「そうです」と答えると「あの、彼氏さんから……」というので、何のことかと訊くと「昨日電話をしたときに、彼氏さんが出られて……、彼氏さんも、その、色々ご存じだったみたいなので伝言をお願いしたんですが……」

 私がそれを理解するのに多少の時間を要していると「もしもし?」と、声がしたので「すみません、電波がちょっと悪くて……、はい、ちょっと私の仕事が立て込んでいて、何も聞けてなかったんです。お手数ですが、もう一度お聞かせ願えますでしょうか」と言った。


 電話の主は、佐々木さんの高校の同級生で、おそらく、この世にたった三人の、佐々木さんが死んだ事を聞き、グリコのおまけの様に「信じられない」とは言わない種類の彼女の友達だった。

 彼女が言うに、佐々木さんが亡くなった日、彼女の家のポストにこの携帯電話と小包が入っており、彼女は携帯ケースを見て、すぐにそれが佐々木さんのものだと気付いたそうだ。携帯の画面には付箋が貼られており、携帯のパスワードと「メモ帳」という一言が書いてあったので、彼女は携帯のロックを外し、メモ帳を確認したという。そこには、彼女に対しての託と、謝罪とお礼、パチさんと言う人にも伝えて欲しい。といった事が記されていた。との事だった。

「『私とパチさん以外には、自分が自殺だったことは伝えなくていい』と書いてあったんです。『遺書なんて用意しても、盥回しにされたり、行き着く人に行き着かなかったり、読んで欲しくない人に読まれたり、なによりこっちが失敗して、その遺書だけを共有された挙句、また普通の振りをして生きるなんて、そんな馬鹿馬鹿しい事は出来ない。まあ今回は、そんな心配も要らなそうだけど。』って……」

「でも私なんて、佐々木さんとたいして親しくしていた訳じゃないのに」そう言おうとして言葉を飲み込む。それでも私は彼女の事をとても気に入っていたし、彼女にとって自分もそうである様に感じていた。それに気づいたのか電話越しに存在して居るであろう佐々木さんの友達は「ほら、あの子ああいう性格で性質だから……。あんな見た目で、あんなキャラクターを張り付けてるのに、私とパチさん以外に友達はいないって書いてあったんですよ。高校時代もね、凄く人気者で……、ほら、こう教室とか廊下で人の輪が出来てたりするじゃないですか。なんだろうってみると大体彼女が中心にいる。まあ彼女曰はく、あの子たちは、火がないと膨らまないカルメ焼きみたいなもんだから、別に私じゃなくてもいいの、似たような別の誰かが居たらそこ集まるだけなんだから。って……」

 私はそれが安易に想像できた。小学校と中学校で磨いた技を発揮した彼女と、それを発揮された同級生たち。私だって、学生の頃にそんな彼女に出会っていたら、うっかりその取り巻きの一人になってしまったかもしれない。

「それで、託っていうのは……」そう訊くと

「ええと…その…そういった語録集があるんです、あの子独特の。元気が出るから、落ち込んだら見てもいいですよ。って、書いてあるんですけど、そんなの……いります? 必要なら送りますが……」彼女が恥ずかしそうに言ったので、私は思わず吹き出してしまい「まさかポストに一緒に入ってた小包って、それなんですか?」と笑うと「そうなんですよ。ね、馬鹿馬鹿しいですよね。これから死ぬって時に、もっと他になかったの? そう思っちゃうんですけど、そういう人なんですよね。

何年か前……、就職したくらいですかね。『そういう冗談が好きなんだけど、あんまり分って貰えないから、封印してる』って言ってました。多分その封印してる時から、こつこつ書き綴ってたんだと思います。二冊あって、一冊は私の分だって書いてありました。

 あとは……、『これは決まっていた事で、避けて通れない事だから、病気で死ぬのと何ら変わらない。別に誰の所為でもないから自分をちょっとでも責めたら許さない』って、そう伝えて欲しい。それと、『たいらさんには言わないで欲しい』そういった事が書いてありました」

 それを聞くと私は、なけなしで、特別な感情を全てつぎ込んで、空っぽになってしまった佐々木さんが浮かび、目頭が熱くなった。

「ノート、頂いてもいいですか? 私、彼女の冗談とても好きでした」そう言うと、涙が落ちそうになったので私は上を向いた。

「わかりました。そうしたらあとでこの番号にメッセで住所を送って貰えますか? あと……、最後に、これは絶対に本人にだけ伝えて欲しいっていう……、『パチさんに確認して、近くに人がいないときに言う様に』って書いてあったんで、この事は、彼氏さんにも言ってないんですが……パチさん、いまおひとりですか?」


 私はお礼を言って電話を切ると、作業部屋を出て、田口の枕元に腰を掛けた。

「なんで教えてくれなかったの?」そう言うと「風邪で寝込んでるところに、更にそんなこと言えないよ」と言った。「じゃあずっと隠しておくつもりだったの?」そう言うと田口は黙り込んだ。

「ごめん、あなたは何も悪くないのに、ごめんなさい」そう言って私は煙草を持って家を出た。


「田口さんは死の匂いがします、だから気を付けて」


 最後にそんな他人の心配をしてくれた佐々木さんを責める気にはなれなかったが、そんな言葉だけを残されて、私は何をどう気を付けたら良いのかなんて、全く見当もつかなかった。


「許さないって言ったって、あなたもう死んでるじゃない」私はそう独り言を言うと、声を殺して泣いた。頬を撫ぜる風が酷く冷たく、拭っても、拭っても、滑り落ちる涙が、そのままそこで、氷柱になってしまうんじゃないかと思った。


 私は泣き止むまでに三本の煙草を吸うと、泣いたことがばれないように、田口には声を掛けず、ソファーで眠った。

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