第25話 位山へ登りました(^^)ノ

朝の9時半過ぎには、飛騨の一宮である水無(みなし)神社に到着していた。


神社には、4月に行われる生き雛祭りの、お代理様とお雛様の顔出しパネルが置いてあったので、親切な巫女さんに頼んで、夫と二人で写真を撮ってもらった。


参拝も終えて、少し時間があるので、折角だから、位山(くらいやま)に登ろうと夫が提案して来た。


あまり、天気も芳しくないけど、山頂まですぐだからと言う夫の言葉にほだされて、つい良いよと言ってしまった。


モンデウス飛騨位山からダナ平林道を抜けて、しばらく車を走らせると位山登山口の駐車場に到着した。


空はいつ雨が降ってもおかしくない色をしている。


夫は、折り畳み傘を二つリュックに入れた。


私は、この天気で山なんかに登りたくないなあ、と思っていたが、夫は、そんな事お構い無しの様子である。


しばらく登って、霧雨が降って来た。


当たり前だが、私は登山するような服装で来ていない。


汗と雨でジーンズが湿っぽくなり、足に引っかかって登り辛い事この上ない。


私は、ジーンズは登山に向いてない事を学習した。


山中にはいくつかの磐座(いわくら)と呼ばれる古代の祭祀遺跡があった。


夫は興奮していたが、私は、正直早く帰りたかった。


途中、2歳か3歳くらいのお子さんを連れた若いお母さんを見た。


お母さんは、本格的な山用ウェアに身を包み、お子さんは、雨ガッパと黄色い長靴を履いていた。


子供は泣いており、泥だらけになりながらも、雨が降る山道を登っていた。


お母さんは、子供のペースに合わせて、それでも、子供を決して抱き上げたりせず自力で歩かせていた。


その現実離れした光景に驚いたが、私は、そう言う教育なんだろうと、母親らしき人に挨拶だけして、歩速を早めて追い越してしまったが、今思い返しても、あの親子は、実在したのかと思う。


そう思わせるには十分な程、霧雨が降る位山は、不思議な雰囲気を醸し出していたのだ。


霧に取り巻かれ、山頂は何の展望も無かった。


山頂からしばらく歩くと、飲めば病が治ると言う湧き水があり、夫は持参の水筒に入れて、美味しそうに飲んでいた。


私も頂いたが、冷たくて本当に美味しかった。


下山途中、両面宿儺(りょうめんすくな)について夫が語り出した。


山登りに乗り気でなかった、私を退屈させない為の配慮だろうか。


飛騨高山で、最も古い古墳の一つに、冬頭王塚(ふいとうおおづか)古墳がある。


この古墳は、5世紀に遡る古い古墳で地元でもよく知られた祟る古墳であると言う。


副葬品の中に直弧文鹿角刀装具(ちょっこもんろっかくとうそうぐ)を装着した刀剣があり、恐らく、これは大和政権より下賜されたもので、強力な呪力を帯びた剣であると言う。


この古墳の埋蔵者は、二人おり、一人は青年でもう一人は歯のない老人であったそうだ。


遺体は、一人は北を頭に、もう一人は南を頭に埋葬されており、夫曰く、こうした特殊な埋葬方法は、呪詛や呪術の対象である可能性が非常に高いと言う。


副葬品の直弧文鹿角装鉄剣(ちょっこもんろっかくそうてっけん)は、鹿の骨で造られた直弧文と言う特殊な文様が彫られた柄を持つ刀剣であり、地方の一豪族が所持出来るようなものではない。


従って、この古墳に埋葬された者は、非常に高貴な人物であると推定されるが、古代の飛騨についての記録が極端に少ない事から、被葬者が誰であるかまでの特定には至ってない。


しかし、何らかの理由で、この墓に埋葬された二人が大和政権によって両面宿儺(りょうめんすくな)、即ちケルビムにされてしまったのではないか、と夫は語った。


雨の中を歩いて来た為、身体が冷え切ってしまったので道を急いだ。


あの親子とは、何処かですれ違ってしまったのだろう。


道中誰にも会わなかった。


私は、とにかく、お腹が空いたので、急いで下山を果たし、麓の支那そば屋さんの暖簾(のれん)をくぐった。


とにかく暖かい物を身体に入れておきたかった。


出された支那そばは、本当に冷え切った身体に染み渡る程、滋味だった。


付け合わせの漬け物が、また泣かせる美味しさで、次もまた絶対に来ようと思った。


その後は、飛騨高山の街をぶらぶらして、地酒を試飲したり、飛騨牛のお寿司を食べたりした。


ホテルは温泉付きだったので、そこで冷えて疲れた身体を癒やし、夜は、ホテル近くの赤提灯で、今回の旅行最後の地酒と地元の料理を楽しんだ。


私は、地酒を飲みながら、両面宿儺(りょうめんすくな)は何で、滅ぼされちゃったのかな、と夫に尋ねた。


夫はしばらく考えた後、両面宿儺(りょうめんすくな)の逸話は、日本書紀に記されたのみで、その8年前に編纂された古事記には記載が無いんだよね、と言った。


恐らく、そこには何らかの意図があったと思う。


両面宿儺(りょうめんすくな)が征伐された5世紀と言えば、まだ国内統一の時代だから、当時、大和政権に服属しない王朝が飛騨にはあったんだろうね。


飛騨は、古代から良質な木材の産地だし、大和政権は、それらを狙って東国へ進出する為の足掛かりとして飛騨を攻めたのかもね。


或いは、本当に聖書に記載されているように、両面宿儺(りょうめんすくな)を配置する事で、生命の木の道を守らせたのかも知れないね、と言って、夫は燗のついた地酒を煽(あお)った。


ああ、気分が良いな。


明日は、飛騨高山にある個人的には、日本で一番美味しいパン屋さんと、千光寺へ詣でて、帰路に着こうと思う。


家に帰ったら、溜まった仕事を片付けなければ…。

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