二十三年前⑥

 安藤仁美が誘拐されたのが九月十五日(金曜日。敬老の日)で、遺体発見がその二十日後の十月五日(木曜日)。

 番平理恵が誘拐されたのが十月二十日(金曜日)で、遺体発見がその二十六日後の十一月十五日(水曜日)。

 知浦郁実が誘拐されたのが十一月二十六日(日曜日)で、遺体発見がその二十二日後の十二月十八日(月曜日)。

 堂坂千尋が行方不明になったのが十二月二十八日(木曜日)──。

 その日から二十日が過ぎていた。しかし、今なお堂坂千尋は発見されていない。精液や足跡の主も見つかっておらず、ミッシングリンククイズとやらの答えもわからないままだった──厳密には、ミッシングリンクらしきものの一つは挙がっているのだが、それだけで犯人の逮捕に繋がる類いのものではなく、クイズの答えとしては不完全なものでしかなかった。

 倉橋は苛ついていた。早く見つけないとまた殺されてしまう、と焦燥もしている。もう二十日だ。すでに殺されている可能性だってある。そう思うと心はますます荒れていくばかりだった。

 自然と煙草の量も増えていた。平均すると一日一箱半ぐらいだったのが、最近では二箱を超えるのが当たり前になっている。

 今も懐から愛しのマイルドセブンを取り出したところだ。倉橋は椎原の運転するセダンの助手席に座っている。被害者の関係者の下を回っているのだ。

 倉橋は覆面パトカーに備え付けられているシガーライターで火を点けた。自虐的な気持ちで大きく煙を吸い込んだ。しかし、胸中の痛みはごまかせない。煙草程度では心に麻酔を掛けることはできないようだ。虚しさのにおいがしただけだった。

「あれ?」という声が運転席から発せられた。椎原は不思議そうに、「あれはどうしたんすか?」そしてからかうように、「おホモだちから貰ったライターは使わないんすか?」

「ホモじゃねぇよ」倉橋は怒るでもなく答えた。「あれはガスが切れちまってよ」ガスボンベは自宅のアパートにあるのだが、ここ数日は帰れていないのだ。

「なーんだ」椎原は、期待外れだ、と言わんばかりだ。「ホモの彼じ──彼氏と喧嘩でもしたのかと思ったのに」つまんねー、などと言っている。

「だからホモじゃ──」倉橋の言葉は、

「すっげー大事なこと聞き忘れてたっす」という、妙に気迫のこもった椎原の声に打ち消された。

「何だよ」どうせまたしょーもねーことなんだろ?

「──どっちが挿入する側タチでどっちが挿入される側ネコなんすか?」

「……」目くるめくかのようだった。なぜ俺らがホモだという前提に微塵みじんの揺らぎもないのか。もはやまともに答えても無駄だろう、と思い、内ポケットから金色にきらめくライターを取り出し、「これが答えなんじゃねぇか」と顔の高さに掲げた。そこには一匹の豹が佇んでいた。

 ちらり、と目をこちらに向けてから椎原は、「意味わかんねっすよ」と困惑した口調。

 しめしめ、上手くけむに巻けたようだ、と煙を吐き出した。

 ライターを仕舞おうとして、倉橋の脳裏に、ふと思い浮かんだことがあった。この、コンビニエンスストアで売っているものとは桁違いに高価なライターをくれた友人──桜小路寛人ひろとのことだ。

 寛人はミステリーマニアだ。特に小説という媒体を愛している。そして、才人だ。旧帝国大学の法学部を優秀な成績で卒業し、東証一部上場企業に総合職として入社している。多少──大いに趣味人なところがあることが玉にきずだが、その頭脳は本物に違いなかった。

 ──あいつなら真実こたえにたどり着けるかもしれない。

 倉橋の頭の中に芽生えたその考えは、ぐんぐんと成長していった。

 本来なら非公開の捜査の情報を一般人に洩らすのは御法度だ。しかし、このままでは、また望まぬ現実と対面する羽目になりかねない。

 寛人に相談してみよう。倉橋はそう決断した。

「椎原」倉橋は、能天気な顔でハンドルを握る椎原を呼んだ。

「何すかー」椎原はこちらを見ずに応じた。ガムでも噛んでいるかのような口調だ。

「行き先変更だ」

「ほへ?」

「大弥矢区東町あずまちょうに向かってくれ」



 昭和レトロの趣漂う喫茶店〈iCe&shirt〉は、大弥矢駅東口から徒歩十分ほどの所──表通りから一本入った控えめな通りに面している三階建ての雑居ビルの一階にあった。周囲にはアパートや小規模なマンション、住宅が建ち並んでいる。

 道路を挟んで向かい側にある小さな駐車場にセダンを駐めた。車から降りるなり椎原は、辺りを見回し、言った。「隠れ家カフェっていうとお洒落な感じがするっすけど、運転するほうからすれば、隠れてないで出てきてほしいっすね」かくれんぼは寂しいから嫌いなんすよ、とも言っている。

「まぁそう言うな」倉橋は苦笑いの色を浮かべた。「ここのケーキはうまいらしいぞ」

 以前来店した際、女子高生二人組がはしゃいでいたのを覚えている。かわいー! うっまぁ! などと黄色い声を上げていた。

「ホントっすか? 自分、ケーキにはうるさいっすよ」

 そうは見えないが? 細かい味の違いなんてわかんのかよ? と内心で首をひねりつつ、

「何なら奢ってやろうか」

「あざす」椎原のこの反射神経は才能だろうか。「ゴチになるっす」

「おう」と答えて倉橋は、歩を進める。

 入り口の木製扉の所まで来た。古色蒼然こしょくそうぜんとしたそれは、どこかノスタルジアを呼び起こす。

「変な名前っすよね」椎原は、扉に記された〈iCe&shirt〉の文字を見て言った。「氷とシャツって意味わかんないっすよ。しかも何でCだけ大文字なんすかね」

「推理作家の名前のアナグラムになってるんだとよ」

「へぇー」感心したような声。「ところでアナグラムって何すか? アナコンダの友達っすか?」

「辞書を引け」

 それだけ言って倉橋は、ドアを引いた。からんころん──ドアベルが温かい音を鳴らした。

「いらっしゃいませ──あ! 敏也さん! お久しぶりです」出迎えたのは、ショートヘアの大学生、由良ゆら桃萌ともえだ。彼女は開店当初からここでウェイトレスをしている。

「ああ、久しぶり」応えながら倉橋は、店内に視線を走らせた。平日の昼下がりで混む時間帯のはずだが、数人程度しか客はいないようだった。「寛人に用があるんだ。今、話せないかね」

「たぶん大丈夫ですよ、呼んできますね」

 由良はキッチンへと消えていった。

「かわいい子っすね」椎原は倉橋の予想を裏切らなかった。由良を見たらこういう反応をするだろうな、と思っていたのだ。「倉さんとはどういう関係なんすか?」

 どういう関係かと聞かれても客と店員以上のものはないのだが、それだと答えとしては味気あじけないだろう。少し考えてから、「友達の妹? その感じが近いかもしれん」

「へー、つまり恋愛対象ってことっすね」

「それは考えたことないが」

 椎原はにやりと笑った。「店主さん一筋だからっすか?」

「寛人はもっとありえねぇよ」

 と言ったところで、キッチンの入り口からデニム生地のエプロンを着けた寛人が現れた。人のよさそうな顔立ちをしているが、その知性は誰よりも鋭く、こうと決めたら揺るがない頑固さもある。そんな彼は、木漏こものような笑みを浮かべ、「僕がありえないというのは、どういう意味かな?」

「何でもねぇよ」後輩から同性愛者ネタで遊ばれていると、そのまま白状する気はなかった。

「ふうん?」寛人は、ちらっと椎原を一瞥し、「こちらの方も例の事件の?」

「ああ、巡査の椎原悠太郎だ」倉橋が答えると、

「ども」と椎原は軽く会釈した。

 店主の桜小路です、と返してから寛人は、倉橋に問うた。「それで、今日はいったいどうしたんだい? 仕事の日に来るなんて、いよいよ僕のミステリー知識に頼らざるを得ないほど追い込まれているのかな?」おかしそうに目元にしわを作っている。

「……そのとおりだ」情けないことにな、と。

「そうかそうか」なるほどなるほど、と寛人はつぶやいてから、「ここへは車で来たんだよね?」

 倉橋がうなずくと、

「そっか、それなら車で話そうか」それから寛人はキッチンの入り口に半分ほど身体を入れ、「駐車場にいるから何かあったら呼んでね」と声を飛ばした。

 奥から、「はーい、わかりましたー!」という元気な声が返ってきた。

「コートを羽織ってくる」と寛人が言うので、それを待って駐車場に移動した。椎原は運転席に、倉橋と寛人は後部座席に乗り込んだ。椎原がエンジンを掛けると、吹き出し口から冷たい風が出てきた。すぐに彼は暖房のつまみをひねった。風が止まる。エンジンが温まるまで暖房は切っておくつもりらしかった。不満はない。

 寛人が口を開いた。「聞きたいのは、例の手紙のことかな?」

「そうだ」

 寛人の長所の一つは、話が早いところだ。

 以前、倉橋は、「お前って〈一を聞いて十を知る〉を地でいってるよな」と言ったことがあった。

 すると彼は笑って、こう返した。

「十を知るのは無理だね。一を聞いて知ることができるのは一だけだよ」いやいやお前しょっちゅうやってるだろ、と倉橋が食い下がると、「僕はただ想像してるだけだよ。一を聞いて十も二十も想像するんだ。この可能性もある、あの可能性もあるってね。その中から一番ありえそうなことを口にするから、そういうふうに見えているんじゃないかな?」

 すごい想像力だな、と感心はしたが、「……疲れないか、それ」と尋ねていた。

 寛人は照れ笑いのようなものを浮かべて、「僕の脳はまぐろなんだ。死ぬまで泳ぎつづけるようにできてる。疲れたからといって思考を止めることはできないんだよ」

 長所と短所は表裏一体と言うが、寛人の止められない思考はまさにそれだろう、と倉橋は思っている。周りからすれば称賛すべき長所であっても、寛人本人にとっては呪いのようなものだろう。有害な煙を摂取して、ぼーっとする瞬間を至福とする倉橋には、そんなふうに思えてならなかった。

 フロントガラスの向こうに白が見えた。雪が降ってきたようだ。

 倉橋は身体を縮めてダウンジャケットのポケットに手を突っ込んだ。

「ミッシングリンク当てをすればいいんだね」寛人に気負った様子はない。

「ああ」と倉橋はうなずいた。「あとは、できれば犯人も推理してくれると助かる」期待感が膨らんでいた。「いけそうか?」

「どうだろうね」寛人は言う。「ところで、捜査情報は教えてもらえるのかな?」

「そりゃあ教えるさ」報道されている情報だけで答えろ、なんて無茶を言うつもりはない。──いや、寛人ならできるのかもしれないが。

「切羽詰まってるね」寛人はドアガラスに顔を向けた。風花かざはなが車窓に触れ、溶けてゆく。「前回までと同様のペースなら、そろそろだもんね」

「ああ、みんな焦ってる」もう見たくないんだ、子供の死体なんて。

 倉橋に顔を戻して寛人は、「期待に応えられるかはわからないけど、聞かせてよ、事件の全容を」

 倉橋は話しはじめた。可能な限り詳細に、客観的に説明していく。

 寛人は時折、話を止めて質問を挟んだ。なぜそんなことを聞くのか、と疑問に思うものも含まれていたが、凡人なりの気遣いとして彼の思考──想像の邪魔はしないよう努めた。椎原でさえも今回ばかりは静かだった。

 すべてを語りおえた倉橋は、寒さが和らいでいることに気がついた。いつの間にやら暖房が点いていた。

 倉橋は寛人にもう一度尋ねた。「いけそうか?」

 すると、寛人はおもむろに口を開いた。「──これかなっていうのは、あるよ」

「本当か!」つい大きな声が出てしまった。堂坂千尋を救えるかもしれないという希望が、そうさせた。「答えは何なんだ? 犯人はどこの誰なんだ?!」

 その興奮を押しとどめるように手のひらを倉橋に向けて寛人は、「まぁまぁ落ち着いて」と言った。

「もー、テンション上げすぎっすよー」椎原の茶化すような声。

「あ、ああ、すまん」

 いかんな。人間、冷静さを欠いてもいいことはほとんどない。三十にもなって何やってんだか、と頭の中で自分の声が言う。

 ──知ってるか? マイルドセブンの〈mildマイルド〉には、〈穏やか〉って意味もあるんだぜ。ここは一つ、愛しのナナちゃんになだめてもらったらどうだ?

 油断するとすぐに思考が喫煙に向かってしまうのは、重度のニコチン中毒者である証左だろうか。

「でも、何でなんすか?」意識を現実に戻すと、椎原が寛人に質問していた。「仁美ちゃんたちのお母さんたちのこと、めっちゃ気にしてたっすよね? クイズの答えと関係あるんすか?」

 そうなんだよな、と倉橋も同じ疑問を感じていた。寛人は話の腰を折ってまで安藤百合子や番平槇、天城伶依子──知浦陽子、堂坂香苗のことを聞いてきた。特に彼女たちの容姿についての質問は、意図がわからなかった。

「もちろん関係あるよ」寛人はあっさりと肯定した。「椎原君たちはミッシングリンクをどこに着目して考えていたのかな?」

「え、それは……」問われた椎原は、ためらいがちに答える。「手紙には『僕の好みの女の子』ってあったんで、ターゲットの女の子に何か共通点があるのかなって思っていろいろ考えてきたんすけど……」教師の顔色を窺う小学生のような雰囲気だ。「ダメだったっすか?」

「うん、それじゃ答えには永遠にたどり着けないね」やはり寛人は、あっさりと、どこか飄々ひょうひょうとした響きさえ含ませて言った。「それは犯人の罠なんだよ。その書き方だと、椎原君の言うようにターゲットの少女自身に意識が向いてしまう」

 ロリコンを自称する犯人が、僕の好みを当てろ、と言ってきたら、少女本人に注目して考えてしまうのは当然だろう、と倉橋は思う。

「けど、犯人が好む少女の特徴という意味なら、少女の母親に共通点を求めても解釈上の矛盾は発生しないよね? これこれこういう感じの母親を持つ少女が好き、という理屈も成り立つのだから」寛人は、例えば、と考えるように置き、「結婚相手の条件に親の職業や学歴を要求する人もいるじゃない。それと似たようなものだよ。求める異性の特徴にその人以外の人間を組み込んでいるという意味でね」

「犯人が小狡こずるい人間だというのはわかった」倉橋は少し焦れていた。もったいぶらないでくれよ、と。「それで、具体的には母親の共通点は何なんだ?」

「共通点又は規則は三──いや、厳密には五つある」寛人は言う。「一つは、〈小学生の娘がいること〉だけど、これは問題ないよね?」

 倉橋がうなずくと、寛人は続ける。

「二つ目は、警察の推理どおり〈名字をローマ字表記にすると頭文字がアルファベット順になっていること〉だね」

 これに関しては捜査本部でも推測はされていた。

 一人目が安藤Ando仁美でA、二人目が番平Bandaira理恵でB、三人目の知浦Tomora郁実はTだが、〈知浦〉には〈チウラ〉という読み方もあり、それを含めて考えると知浦ChiuraでC、堂坂Dosaka千尋でDとなり、きれいにアルファベット順になる。

 しかし、この推理だけでは事実上何もわかっていないのと大差ないのだ。次はE、つまり〈え〉から始まる名字の少女が狙われるということになるのだが、遠藤えんどう江川えがわなどはまったく珍しくないし、そのうえ、複数の読み方のどれか一つが該当すればよいとなると何人いるのかわからない。

「ここで重要なのは、犯人が名前を基準にターゲットを選んでいるということなんだ」寛人は教え諭すように言った。

「どういう意味だ?」倉橋は聞いた。寛人は何を考えている?

「──もしかして」椎原がひらめきの声を発した。「犯人はお母さんたちの元カレなんじゃないっすか?!」

「いや、お前な……」しかし、倉橋の言葉は途切れた。

 考えてみると、自分を振った女への逆恨みでその子供を狙うというのは、絶対にないとは言えないのではないか?

 だが椎原だからなぁ、とも思う。彼の推理力に対する信頼はゼロに等しい。

 が、寛人は、「母親の名前を知っているのはどんな人物か、という考え方は正解だよ」とほほえんだ。

「うっそー?!」椎原は仰天したように声を上げた。

 何でお前が驚くんだよ、と倉橋はあきれた。

「うん、本当。五つあるミッシングリンクのうちの一つを導き出すのに必要な視点だよ」と首肯し、けれど寛人は、「それについてはいったん措いておいて、先に残りの二つを説明するよ」

 うい、了解っす、と答える横顔を眺めつつ倉橋も、余計なことは言わない。きっと後回しにしたほうが効率的に説明できるのだろう、と寛人を信頼している。

「三つ目も名前に関することだよ。これも難しくはない。特別なことではないから意識しづらいというのはあるかもしれないけどね」寛人の視線が倉橋のそれと交錯した。その瞳は、何だかわかるかい? と尋ねていた。

 一拍だけ考えて倉橋は、お手上げだよ、というように首を横に振った。

「すごく簡単だよ」と言う寛人の声は柔らかい。「三つ目の共通点は、〈被害者の母親の名前に自然にまつわる漢字が使われていること〉」

「マジか」と椎原は唖然とした様子でつぶやいた。「マジでちょー簡単じゃないっすか」

 安藤百合子の百合、番平槇の槇、知浦陽子の陽、堂坂香苗の苗──たしかにそのとおりだった。

 だから簡単だと言ったじゃないか、とばかりに寛人は含み笑い、「こういった名前はありふれているから盲点になりやすかったんじゃないかな」

「ううん」と倉橋はうめくような声を洩らした。それにしたってなぁ。「単純明快なのに気づけないものだなぁ」

「人間は簡単にバイアスに掛かってしまうからね」それから寛人は次のミッシングリンクへと話題を転じた。「さて、四つ目だけど、これが一番重要だよ。というより、この共通点があるからこそ犯人を推理できた、と言ったほうがより正確かな」

「そんなヤバい手がかりを見落してたんすね、自分ら。ヤバすぎっすね」

「いや、その事実自体は見落していないよ」寛人はそう答えてから、「椎原君は被害者少女たち四人の母親と初めて会った時、それぞれどんなふうに思ったかな?」と尋ねた。心の目線の高さを合わせるかのような優しい響きがあった。

「え、どんなふうって、それは四人とも同じっすよ。はちゃめちゃ美人じゃん、ヤりてーって感じっす」椎原は倉橋のほうにも声を向けた。「倉さんもそうだったっすよね? 鼻の下伸ばして百合子ちゃんの巨乳を楽しんでたっすもんね」

「誤解を──」招く言い方はやめろ、と言いたかったのだが、

「正解──四つ目は〈容姿端麗なこと〉だね」

 唐突で予想外な寛人の言葉に倉橋は口をつぐんだ。

 寛人は、「椎原君の着眼点は完璧だよ」と口にし、「本当に優秀なんだね」と感心している様子さえ見せた。

「マジすか、ヤバいっすね、ヤバすぎてヤバいヤバいっすね」椎原は動転しているようだった。

 幾ら何でも野梅野梅言いすぎだろ、と再びあきれてから倉橋は、寛人に尋ねる。「母親たちが容姿に恵まれていることが、犯人特定にどう繋がるんだ?」

 ふふ、と表情を和ませた寛人は、楽しげに問うてきた。「敏也は、日本人女性のバストサイズの平均が、具体的にどれくらいか知っているかい?」

「──は?」具体的なサイズだぁ? そんなの知るかよ、と眉間のしわに怪訝をにじませつつも今まで抱いてきた女の記憶をひっくり返す。彼女たちのいまいち信用できない自己申告や実際に見て、触った時の印象を併せて推測するに、

「だいたいCか、大きめのBぐらいじゃねえか?」

「うん、正解」寛人はうなずいた。

「流石っすね、パねぇっす」椎原が感服したように言ってきた。──お前それどういう意味だ?

 非常に気になるが、椎原を詰めるのは後にするとして、今は紅茶好きの名探偵の推理を傾聴する。

「安藤百合子のバストサイズは平均より三つぐらい上に見えたんだよね? つまりEかFということになる。これはかなり珍しくて、BとCがそれぞれ日本人女性全体の三十パーセントほどを占めるのに対して、EとFは二つのサイズを合わせても十パーセントにも満たないんだ。じゃあ次は椎原君に質問。日本人の二重まぶたの割合はどのくらいでしょうか」

「んーと」と思考するように言ってから椎原は、「半分くらいっすか?」

「それだと多すぎるかな」正解は、と寛人は続ける。「──三割。三人に一人以下しかいないと言われている」

 嘘だー、と椎原は不服そうだ。「だって、ここにいる日本人はみんな二重じゃん。百割二重っすよ。本当にそんなに少ないんすか?」

「あはは」寛人は白い歯を見せた。「たしかに僕らはそうだね。でも事実だよ。女の子に関して言えば、二重まぶたを作る化粧品もあるから実際のところがわかりにくいというのもあるかもしれないね」

 その化粧品とやらを使っていなかったとしたら、安藤百合子は百人に三人以下の逸材ということか。更に鼻や口、歯並び、バランスなどを考慮すると、彼女ほどの美人との遭遇率は相当に低そうだ。

「けど、巨乳や二重がレアだから何だってんだよ?」倉橋は腑に落ちない。珍しかろうが、いないわけじゃないだろうし、探し出すこともできなくはないだろ、と。

「敏也の疑問もわかるよ」寛人は察しよく倉橋の内心に答える。「でも、名前の条件をクリアした美人を四人もそろえるというのは、そんなに簡単じゃないと思わない? 大前提として幼い娘がいなければならないというのもあるし、実際にやるとなると厳しいものがあるよ」

「でも、犯人はそれをやれてるっすよ。だから自分らが駆り出されてるわけだし」椎原が口を挟んだ。

「うん、そうだね」肯定して寛人は、「そこがミソなんだよ」と言い、次いで倉橋に向かって、「敏也はまだわからない? 漠然とではあっても違和感自体は感じていたみたいだし、そろそろ気づけるはずだよ──最後のミッシングリンクに」

 番平夫妻と対面した時の違和感のことを言っているのだろう。倉橋はその瞬間の感覚をもう一度、思い出そうとする。

 あれは、番平槇を見ていて、ふと感じたのだった。

 しかし、自分でもなぜそこで違和感を覚えたのかがわからない。寛人は母親の容姿が重要だと言う。なら、第二の事件の顔形に関する記憶の中にその正体が隠れているのか?

 思考に沈んでいく──、

「……あ」もしかして、というものに思い当たった。と同時に、自分でも正確に理解していなかった違和感の正体を、外側から難なく看破する友人に戦慄した。こいつは人の無意識まで見通せるのか、と。

「わかったかな?」寛人は急かさない。この時間を楽しんでいるふうにも見える。

「違和感の正体はわかった」倉橋はそれを口にする。「娘の番平理恵は一重まぶたなのに母親の槇は完全な二重まぶただったことが、引っかかったんだと思う。専門的なことはわからんが、経験則でいうと、親が二重だと子もそうなっている場合が多い、はずなんだ」

 経験則に反する事実特有の据わりの悪さが、違和感の正体だったのだ。無意識下でそれを認識していたということだろう。

 うんうんそうだね、と寛人は首を縦に揺すり、「その経験則は正しいよ」と言う。「二重まぶたは優性遺伝子だから、両親又はその一方が二重まぶたの場合、子もそうなる確率のほうが高いんだ」──さて、と彼は語調を引き締めた。「確率の壁を越えてそろえられた四人の美しい母親、個人情報たる氏名の把握、劣性たる一重まぶたの発現──これだけの伏線ヒントがそろえば、もうわかったんじゃないかな?」

「ああ」倉橋は肯首した。「やっとわかったよ」

「え? え? どういうことっすか?」椎原は混乱しているようだった。「自分、全然わかんないんすけど」すねているようでもある。

 ふふ、と微笑して寛人は、「うん、じゃあお待ちかねの伏線回収こたえあわせといこうか」と悪戯が成功した少年のような、得意さと無邪気さが混在した表情で言った。「五つ目のミッシングリンクは──」

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