EX3 映画

 映画は普通に面白かった。多くの人がに行くのも、この出来ならうなずける。


 まぁ、とはいえ、とても面白かったかと聞かれると、そこまでではないというのが僕の正直な感想だ。内容としてはよくある恋愛ものだし、終始暗さが目立つ。もちろん、それがいいと言う人も大勢いるのだろうが、僕はそこが少し気になった。


 だがしかし、相手の感想が分からない内からそんな事が口に出せるはずもなく――


「やっぱ映画館のスクリーンで観る映画は迫力が違うね。千二百円以上の価値は十分あったよ」


 などと物語とは一切関係ない感想を、まずはジャブ代わりに述べるにとどめる。


 映画を観終わった僕達は、時刻が夕食時に近いという事もあって足早に映画館を後にした。


 もし時間があれば、館内の喫茶店でのんびりお茶でもしたいところだったが、残念ながらそんな時間はなく、後は真っ直ぐ帰宅の途に着くのみである。


「映画館の醍醐味だいごみと言ったら、スクリーンとスピーカーの大きさですよね。家にアレがあったら、毎日大迫力の映画が楽しめるのに」

「……」


 一瞬、高梨家ならあるいはと思い掛けて、さすがに無理かと思い直す。金銭的に可能かどうかは知らないが、あんなのが家にあったら邪魔で仕方ない。


「ストーリーはどうだった? 僕は結構楽しめたけど」


 今度は、少し踏み込んだ探りを入れる。具体的な感想は全く言わない我ながら姑息な手だ。


「そうですね。私もそれなりに楽しかったですよ。ただ、ところどころ、女性の台詞に共感出来ない部分はありましたが」

「例えば?」

「主人公がヒロインを心配して訪ねてきたシーン、ちょっと卑屈過ぎるかなって。後――」


 氷菓さんの口から、次々と登場人物の気になる台詞が湯水のように湧き出てくる。


 それを僕は相槌あいづちを打ちながら、特に口を挟む事なく聞く。


「あっ」


 しかし、何かに気付いたのか、ふいにその言葉が止まる。


「すみません。急にいっぱい喋ってしまって。それに、もしかしたら、お兄様はお兄様で違う感想を持ってたかもしれないのに……」

「ううん。僕も同じ事思ってたし、氷菓さんがたくさん話す姿って新鮮で見てて楽しいから」


 お父さんの話をしていた時もたくさん話はしていたが、そういうたくさん話すと今日みたいに興味のある分野についてたくさん話すのとでは、受ける印象が全然違う。もちろん、見ていて楽しいのは後者の方だ。


「こういうの詳しいの?」

「詳しいかどうかは分かりませんが、好きではあります。昨日言ったように、放課後は一人でいる事が多かったので、本の虫だったんです、私」


 そう言って氷菓さんは、少し寂しげな笑みをその顔に浮かべた。


「氷菓さんはどんな話が好きなの?」

「うーん。よく読むのは、恋愛要素ありつつストーリーがメインの小説とかですね。SF要素入ってたりミステリー要素入ってたり」

「じゃあ、今日みたいなTHE恋愛って感じのやつはあまり読まないんだ」

「そうですね。全く読まないわけじゃないですけど、数は少ないです。お兄様はどんな本を読まれるんですか?」

「僕も氷菓さんと似たような感じかな」


 適当に何作か、読んだ事のある小説のタイトルを上げてみる。


「あ、三つとも読んだ事あります。どれも一作完結で読みやすいですよね」

「続きものは続きもので良さがあるんだけどね。最近だとミステリー系の――」


 最近僕が読み始めた小説は、新人作家の女性が執筆業界の事件に巻き込まれる、いわゆるビブリオミステリというジャンルに分類される作品だ。内容が面白く、発売されたばかりだというのに、僕は全ての刊をすでに三周はしている。


「へー。そんなに面白いんですか。今度探してみますね」

「良かったら貸すけど?」

「いえ、そんな汚したらいけないですし。それに私、本は買って読む派なんですよ。なんか、自分の物にしてから読みたいというか、それから批評したいというか……」

「あー。分かる。確かに、僕も借りないかもな」


 別に、借りるのが悪いというわけではない。ただ、僕はそういう事をしないというだけだ。


「お兄様もですか? 私達、気が合いますね」


 そう言うと、氷菓さんはにこりと僕に微笑んでみせた。


「本は月にどのくらい読むの?」

「最近は、週に一冊って感じですね。昔はそれこそ、暇さえあれば読んでたんですけど、一冊一冊の出会いを大切にしたくなったというか、じっくり読むようになったというか……」

「一緒だ」


 氷菓さんの話を聞き、僕は思わずそう呟いていた。


「え?」

「僕も中二までは凄い量の本読んでたんだけど、中三のどこかのタイミングで我に返ったと言っていいのか、この読み方でいいのかなって。それからは、文章を一文一文理解しようと心掛けるようになって」


 その結果、読む本の数は格段に少なくなった。しかし、一冊毎の理解度は以前より上がった――ような気がする。


 まぁ所詮、素人のこだわりで、本当は、然程意味はないのかもしれないけど。


 そんな事を話している内に、駅に着いた。


 改札にICカードをかざし、中にはいる。降りる駅こそ違うが、乗る電車は同じなので、そのまま二人でホームへ向かう。


「そういえば、夕食は誰が作ってるの? 氷菓さん?」


 その途中、ふと気になり、氷菓さんにそんな質問をする。


「用事がなければゆー姉――あ、従姉いとこが、用事があれば私が。一週間で見ると、大体半々か、従姉の方が少し多いくらいですね」

「どっちも料理するんだね」


 それより――


「ゆー姉って呼んでるんだ、従姉さんの事」

「いいじゃないですか。小さい頃からの仲なんですから」


 言葉とは裏腹に、そう言う氷菓さんの顔は真っ赤に染まっていた。


「仲いいんだね」

「それこそ姉のような存在で、小さい頃はよく遊びに付き合ってもらってました」

「なんかいいね、そういうの。僕にはそんな人いないから、うらやましいよ」


 僕に兄弟はいないし、仲のいい同年代の親戚もいない。だから、素直に二人の関係を羨ましく感じる。


「もし従姉がいなければ、私はどうなってたか分かりません。今も家にいて鬱屈とした気持ちを抱えて、お兄様にも声を掛けられなかったかも」


 それは氷菓さんにとっては、容易に想像が出来る、有り得たかもしれない未来なのだろう。だけど、そうはならなかった。従姉がいたから、そうはならなかったのだ。


「だから、感謝してるんです、私。従姉のゆー姉に。いつか恩返しがしたいと思う程に」


 そう告げた氷菓さんの顔には、落ち着いた笑みが浮かんでおり、その表情が僕に彼女の思いの強さを伝えていた。


 ホームに降り立つと、程なくして電車がやってきた。


 それに二人で乗り込む。


 車内はそれほど混んでおらず、二人並んで椅子いすに腰を下ろす事が出来た。


「その内、ゆー姉の事も紹介しますね」

「え? あ、うん。楽しみにしてるよ」


 氷菓さんの従姉か、一体どんな人なんだろう? 顔は氷菓さんに似ているのかな。大学生という話だから、やはりそれなりに大人の女性なのだろうか。……確かに、見てみたいかも。


「でも、ゆー姉があまり美人だからって、今日のお母さんみたいに見惚みとれちゃダメですからね」

「べ、別に、今日も見惚れてないし。びっくりしただけだし」


 綺麗過ぎて驚いた。それを人は、見惚れたというのかもしれない。


「ははは。冗談ですよ」

「たく」


 僕で遊ぶのは止めてもらいたい。って、僕も人の事は言えないか。


「お兄様」

「ん?」

「私には見惚れてもいいですからね」


 悪戯っ子のような笑みを浮かべ、そんな事を言う氷菓さん。


 その言葉に甘え、じっと見つめさせてもらう。そうしたら、十五秒で怒られてしまった。


 見惚れてもいいと言ったのに、理不尽だ。

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