第十五楽章


 マリオに紹介されたのは、東の郊外にある小さな蒸留所だった。


 そこのオーナーであるガルリアは豪放磊落といった感じの女傑で、俺の三倍の太さはあろうかという剛腕を大袈裟に広げて歓迎してくれた。


「猫の手も借りたいくらいだからね、アタシとしちゃあ渡に船さね」

「ありがとうございます! いや、助かりました」


 飾りげのない執務室の、これまた飾りげのない長机の向こう側にどっしりと腰を下ろしているガルリアは、火のついた葉巻をたっぷりふかしながら目を細める。


「あんた、金がない割には礼儀がしっかりしてるね」

「そうですかね?」

「ああ、アタシも仕事柄いろんな人間を見てきたが、なぜかうちを訪ねてくる奴らは皆、品がないからね。ほとほと手を焼いているんだ」


 そう言ってガルリアは豪快に笑うが、なんと反応して良いか分からず、作り笑いで誤魔化す。


「ガルリア、そりゃないよ。僕はこのクソ忙しい店の救世主だぜ? なんたって人手を増やしたんだから。給料上げてもらってもいいくらいさ」


 そう軽口を叩いたのはマリオだ。


 マリオは俺の面接の間、この社長室の隅に置かれた来客用の、お世辞にも質が良いとはいえない革張りのソファに胡座をかいて座っていた。


 ガルリアは俺に「これだよ」と目配せをしながら肩をすくめる。


「お前の今回の働きには感謝してる。だけどね、給料あげるかどうかは、今からの仕事ぶり次第さね。まあ、こんなところで油売ってるようじゃあ昇給はおろか減給もあり得るぞ」

「なんだよ。ちょっとくらいサボったっていいじゃんか」


 マリオはあからさまに不満を顔に出す。


 ガルリアは少し大袈裟にため息をつくと「ただまあ、今日の働きに対する報酬がないっても可哀想だから、今度の薔薇祭り、一日だけ休みをやろうかね」と言った。


 それを聞いたマリオは向日葵のような笑顔を見せるとソファから飛び降り飛び回る。まるで暴れ独楽である。


 ガルリアはそんなマリオを見つめながら目を細める。その目尻には我が子を見守る母のように愛情深い皺が浮き出ていた。


 俺の前職のオーナーにはないものだった。


 年はもいかぬ子供を働かせているというからどんな悪なのかと初めは警戒したが、どうやらこのガルリアという女性は経営者にしては珍しく、従業員を人間扱いするタイプのようだ。

 

「本当!?」

「ああ、本当だ。友達と遊びに行っといで」

「うん! ありがとう! じゃ、アポロまた後でね!」


 マリオはひとしきり飛び跳ねたあと、社 出口へと駆け出す。それをガルリアが「ちょっとお待ち」と制止した。


「なに?」

「このアポロに仕事を教えてやんな」

「僕が?」


 ガルリアは深く頷くと俺の方に目線をずらす。


「あんたには、レモンの皮剥きをやってもらいたい。できるね?」

「ええ。前職ではじゃがいもを剥いてましたから」

「Excellent ! じゃあ、勤務時間は朝九時から夕方五時まで、給料はさっき言ったとおりでよろしく頼むよ」


 正直、ガルリアが提示した報酬では日々増えていく宿泊費という名の借金はどうにもならなかった。まさに焼石に水である。しかし、他にどうすることも出来なかったし、ダリアのように知らぬ存ぜぬで日々を過ごせるほど俺は肝が据わっていなかった。これはただの現実逃避であることを自覚していた。


「アポロ! 行こう!」

「ああ、よろしくな」


 マリオに手を引かれ、俺は社長室を後にした。


「あっちの建物が蒸留所だよ」


 マリオが指し示す方を見ると、そこには背の高い石造りの平家ひらやがあった。


 建物の左手側の壁からは太く長い配管が何本も伸びており、さながら巨大なパイプオルガンのようだった。パイプからは青白い炎のような光がゆらゆらと立ち昇っており、そこから「ピーブー」とパイプオルガンの音を下品にしたような、あまり美しいとは言えない音が絶えず聞こえてくる。


 ガルリアさんによればエールガルデン製の最新式の連続蒸留機だそうだ。


 エールガルデン王国といえば、魔工機関を発明し発展目覚ましい国である。きっとあのパイプは巨大な魔工機関の一部なのだろう。


「アポロ! 仕事場はこっちだよ」


 マリオに声をかけられ我に返る。


 どうやら我々の仕事場は魔工機関の建物とは別棟らしい。


 マリオが向かう先には、蒸留所よりもずっと古く粗末な建物があった。外壁は漆喰でできており、所々崩れている。建物の正面にはこれまた年季の入った木製の扉が一つ。歪み、サイズの合っていない木の板を無理やり繋げたような格好で、所々節穴も見られた。


 マリオはノブを両手で持つと、体重をかけて「エイヤ」と引く。一瞬、木を削る音がしたかと思うと、ギギギと扉が勢いよく開いた。


 その瞬間、胸いっぱいに甘酸っぱいレモンの香りが広がった。

 

 部屋の中のいくつかの作業台の上には木箱がいくつも置かれている。その中からは、溢れんばかりのレモンが顔を覗かせていた。どれもまだ若く、翡翠のように青々と輝いていた。


「ここが僕達の作業場。そんでもってあっちは樽から出したお酒を瓶に詰めるところさ」


 マリオが指差す方にはもう一つ扉があった。


「今はまだ仕込みの時期だから瓶詰めの作業はあまりないけれどね」


 部屋の中には十名ほどの人間がいて、レモンの皮剥きに勤しんでいた。


 その中の一人の男が顔を上げてマリオを見つけると声をかけ的た。


「おう、マリオ。今日は随分と遅いんだな?」

「今日は、教会に行ってたんだ」

「ああ、そうだったか。お前も読み書きくらいできなきゃな」


 それを聞いていた男の向かいの女が口を挟む。


「あんた、どうせ勉強なんかしないで可愛い子のお尻でも眺めてたんでしょうが!」

「なにを! 俺だって字ぃくらいかけらぁ。ま、女のケツ追っかけてたってのはそのとおりだけどな!」


 男は大きな口を開けて豪快に笑う。それにつられてマリオも他の労働者たちも一斉に声を出して笑った。


 随分と明るい職場のようだ。


「んで、そちらのお兄さんは?」


 俺の存在に気がついた男がマリオに尋ねる。マリオは軽く咳払いをすると、声を張り上げた。


「今日から僕達の仲間になる、アポロだ! みんなよろしく」

「よろしくお願いします」そう言って頭を下げる。


 先ほどの愉快な男を筆頭にめいめいが挨拶をしてくれた。みんな名乗ってくれたのだが、矢継ぎ早に自己紹介されたため聞き取るのがやっとで全く覚えられなかった。


「それじゃあ、アポロは僕と同じところね」


 マリオに言われるがまま、一つの作業台に二人で向かい合う形で立つ。


 作業台にはレモンの入った木箱とからの木箱、そして麻袋がそれぞれ数個ずつ置いてあった。


「レモンの皮はこの木箱に入れて、剥いたレモンはこっちの麻袋に入れるんだ」

「なるほど。でも、入れ物が逆じゃないか?」


 マリオは「ちっちっち」と人差し指を振る。


「リモンチェッロは皮を漬け込むんだよ」

「あ、そうなのか。じゃあ、この身の方は捨てちゃうのか」

「捨てないよ? 実の方は魔工機関の燃料にする」

「なるほど。でも、こんなの燃えるのか?」

「アポロは魔工機関を見たのは初めて?」

「ああ。初めてだ」

「そうか。魔工機関は別に燃えているわけじゃないんだって。なんだっけ? が沢山必要だって、ガルリアが言ってた」


 斜め向かい、つまりマリオの隣でレモンを剥いていた男、たしか名前は…………まあ、その男が吹き出す。


「ちげーよ。サイな」

「ああ、そうか。サイボウか」


 きっと、マリオは理解していないのだろう。適当に頷いていた。まあ、かくいう俺もそのサイボウというものがなんなのか分からなかったので、マリオと同じようにとりあえず頷いておくことにする。

 

「レモンにはそのサイボウがたくさん入ってて、それで動くんだってさ」

「なるほどな。で、レモンは普通に剥けばいいのか?」

「うん。まあ。あ! でも、なるべく実と皮の間の白いふかふかしたやつは剥かないように気をつけて。そいつが皮の方についていると苦くなっちゃうんだってさ」

「分かった」


 マリオは作業台の引き出しを開けて皮のケースに入ったナイフを二本取り出す。


「どっちがいい?」


 二本に違いがあるようには見えなかった。


「違いがあるのか?」

「こっちの左のやつは、僕専用」


 そう言って、マリオは向かって右側のナイフを指差す。専用ならば俺に選ぶ権利はもとよりない。


「じゃあ、こっちのを使うよ」

「オッケー。じゃあ、始めよう。アポロはじゃがいもの皮剥きしたことあるって言ってたよね?」

「ああ。ナイフの扱いには慣れてるよ」

「よかった。僕、レモンの剥き方を教えられる自信がなかったんだ」


 マリオはナイフをケースから引き抜くと、素晴らしい手捌きでレモンを剥いてみせる。


「できるんだけどね。でも、どうやって教えたら良いか、分かんない」


 マリオは舌を出して笑うのだった。


 その子供らしい仕草をする彼が職人のような手捌きを見せたことに、一抹の寂しさを感じるのだった。

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