第5話 キャストの気持ち

 眞姫那は「まず、理屈じゃなくて、なんとなく感じたことから話すね」と前置きした。

 私は小さく頷く。


「単純にさ。楽しかったのよ。今日、絵里が止める前にやっていた部分の演技。この前までやっていたのとは違う感情が楡井の演じるコウジから出てきてさ。あ、コウジ、本当はこんな風なやつだったんだ、って思った」

「――本当はこんな風なやつ?」

「うん。そう。これまでの演技でもいいんだけどね。それはそれで、筋に乗っかっていたし、物語のパーツとしては全然アリだったわけ。でもさ。なんか今日はちょっとだけ違った。あたしもビクッてしちゃった」

「え? そういう風には見えなかったけど? ちゃんとリズム的にもおかしくない感じで返していたと思うし」

「あ、いや、その『ビクッ』じゃなくてね。気持ちが『ビクッ』てしたっていうかさ。楡井の演じるコウジが、なんか、ちゃんと存在しているように思えたのかな。目の前にいるのが楡井の演じているコウジじゃなくて、ちゃんとコウジに思えたっていうのかな」


 分からなくもない。うん、なんとなく分かる。

 でも私の解釈が正しければ、それって眞姫那が楡井のことをメチャクチャ褒めていることになるとも思うんだけど。

 そんな演技を、私は止めてしまったっていうことだろうか?


「――あ、そんな顔をしないでよ、絵里。あくまで一つの感じ方だからさ。それに、前後関係からしたら、あれじゃ不味そうなのはあたしにだって分かるよ。演出が止めるのは、アリよりのアリだから、全然良かったと思うし。マジで」

「ありがとう」


 なんだか気を使わせてしまっているみたい。

 でも眞姫那の言う通りかもしれない。楡井くんのお芝居は悪くなかった。

 あくまで、あの部分だけ切り出せば、の話だけど。


「もう一つは、理屈の話だけど、キャストの立場としては楡井の気持ちもわかるかなーって感じ? キャストが好き勝手出来る成分が多いほうが、やってて面白いしね」

「そりゃ、そうだけど……」

「分かってるって、チームプレーだもんね、お芝居だって。それでも絵里だけはキャストの中でも、演出兼任だから、実は好きに演技方針決められるキャストってことで、『ずるいなー』ってあいつなら思っているかもよ」


 確かにあいつなら思っていそうだ。


「私、演出だけに集中した方がよかったかな?」

「そういうこと言わない〜。そもそも絵里がキャストやらなかったら、絶対的に役者不足だから、それこそ全国大会なんて夢のまた夢だよぉ」

「――そうだよね」


 でもキャストもやっているから演出として全体を見れていないって気もしていた。

 だから、楡井くんにも「舐められてるんじゃないかな?」って。中途半端だから――


「痛っ! なんで、突然、デコピンっ!?」

「ん? なんか辛気臭そうな顔していたから。でも初めに言ったでしょ。総合的に考えたら、絵里は間違ってないんだから。胸を張ってリーダーやってなさい」

「うん。そうだね。宮藤先輩みたいに、皆をちゃんと引っ張っていかないとだもんね」


 そうなのだ。個別のことはいろいろあるけれど、私にはやらねばならないことがあるのだ。

 演出として、全体をまとめるお仕事が。


「そーいうこと。でも、アレ、笑ったね。楡井のやつ。んで、絵里、本日最大の大声だったと思うよ。まさにワロタ。マジで絵里は宮藤先輩に入れ込みすぎだから」

「し……仕方ないじゃない。まさか本当に楡井くんが宮藤先輩のことを知らないなんて思ってもみなかったんだから。そもそも、脚本の作者なんだよ? あなた今まで脚本の表紙見てないの、って感じ」


 今日の練習の途中。私が楡井くんに演技の指摘した後、彼が言ったのだ、「宮藤先輩って……誰っすか?」と。

 問題外の発言に私は驚いてしまって、「はぁぁぁぁぁ!?」と大きな声を出してしまったのである。


「そりゃそうだけどさ。楡井のだいってそもそも宮藤先輩と被ってないからさ。『知らない人』なんだよ、単純に」

「そっかー。うん。まぁ、そうなんだよね」


 なんだか納得できない気もするけれど、それはそうなんだと思う。


「あたしももちろん総文がダメになった時にさ、リアルタイムに高1で居たから、あの時の空気感は覚えているよ。だからこそ『いっちょリベンジ、やったりますかい!』って気持ちは共有しているんだけどさ。もしかすると、今の一年生にとってみたら、そういうの結構どうでもいいのかもしれないなって。もしかしたらあたしたちのエゴなのかなーって、時々思う。ほんの、時々だけどね」


 私は思わず、眞姫那の顔を覗き込んだ。

 薄い色の髪を人差し指で掬って左の耳に掛ける。

 彼女は「なんかいらないこと言っちゃったかも」とバツが悪そうに苦笑いを浮かべた。


「ううん、分かる。私、全然、そういうこと考えられてなかった」

「絵里は考えなくていいよ。リーダーだし。まっすぐ、ゴール見ていて欲しいし」


 眞姫那はそれから「それに」と継ぐ。


「あんたにとって宮藤先輩は特別な存在なんでしょ」

「うん」


 中学三年生の時。姉に連れられて見に行った京都府立文化芸術会館。夏のブロック大会。

 そこで私は初めて高校生の演劇を見た。それが宮藤先輩の作・演出による洛和高校演劇部の作品だった。後に、府大会、近畿大会と抜け、全国大会へと駆け上がることになる作品だった。


 私が第一志望を洛和高校にしたのも、演劇部に入ったのも、全部、きっとあの作品を見たことが決めてだったように思う。

 宮藤先輩は私にとって、そういう意味で特別な人なのだ。間違いなく。


 目の前で両肘を突く親友はなんだか意味ありげな笑みを浮かべてから、「食べちゃおうか?」と私のチョコパフェを指さした。

 それから私たちは黙々と苺パフェとチョコパフェの残骸を平らげた。


 窓越しに見える賀茂川に夕陽の光が乱反射する。

 それは私たちの街が誇るきれいな景色だ。

 そしてこの喫茶店が私たちのお気に入りである理由の一つだった。


 光は不思議だ。たった一種類の光という存在が、様々なフィルターにかかり、変幻自在にその姿を変える。そしてそれは、さざなみだったり、鳥の羽だったり、屋根に並ぶ瓦だったり、様々な配列となって、私たちの世界を彩る。


 舞台の上には初め、何もない。背中にはホリゾント幕が広がる。

 そこに映し出されるアッパーホリゾントライト、ロアーホリゾントライトの光。

 この街の美しさにくらべたら、そこで作れる色彩の空間は単純だ。

 でもだからこそ、私は好きなのかもしれない。そんな劇空間が。


「どうしたの? 何見てんの? 絵里?」

「ん? 賀茂川。光がきれいだなって。ほら、夕日の向こう。山からボワーって広がる赤い光ってホリゾントライトっぽくない?」

「あー、わかるー。そういう発想って、めっちゃ演劇人っぽいね」

「えへへ」


 パフェを食べ終えた私たちは、お会計を済ませて店の外へと出た。

 先に出て西の夕焼けを眺めていた眞姫那が「あ、そういえば」と振り返った。


「あのシーンの照明指示にあった『ビリジアン』だけど。ホリゾントライトのポリカラーフィルターにビリジアンは無いらしいよ。照明くんが言ってた」


 照明卓のある下手で出番待機している時に伝言されたらしい。


「え? そうなの?」

「うん。だから今日出してみた深めの緑は頑張って『こんな感じかな』って照明くんが作ったものらしいよ。大丈夫だった? もし大丈夫だったら、そう言っておいてあげると彼、安心すると思うよ」

「う、うん。――わかった」


 ビリジアン。それは宮藤先輩からもらった脚本のト書きにそうはっきりと指示してあった色だった。「ホリゾント幕はビリジアン色に」と。――その色がない?


 どうしてそんなことがあるんだろう?

 でもビリジアンだって緑だ。

 小学校の時に使わされた水彩絵の具で何度も見たから、その色はよく覚えている。


 宮藤先輩がポリカラーフィルターに無い色をわざわざ指示した?

 もしかしてもっと深い何かを指示しているんだろうか。

 それともポリカラーフィルター以外の何かを使わないといけないんだろうか。


「あんまり、深く考えなくていいと思うよ。絵里。照明の色って細かくは結構変わっちゃうからさ」

「うん。……そうだね」

「パフェ、美味しかったね。また、木曜日から頑張ろーね」

「うん。……私は、明日も道具作りのお手伝いで、一応、学校に行くけどね」

「ふへー。真面目。まぁ、それでこそ、あたしの絵里って感じ?」

「何よそれ?」

「うーん。なんだろね」


 他愛のないことを口にしながら、二人ともそれぞれの自転車に跨がる。

 そして南方向へとアスファルトの上を漕ぎ出した。

 徐々に黄昏時に向かう。夏の京都の街中へと。

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