第3話 演出と正解

「――演出意図は分かっているつもりですけど? あそこで一呼吸溜めることとか、冷たく突き放すのとか、そんなにおかしいですか?」


 私の指摘に楡井くんはムッとしたように眉を寄せた。


「おかしいとは言ってないけれど……。でも、もともとあそこはそういう演技じゃなかったじゃない? あそこでそういう反応をすると、コウジが何考えているのかわからなくなっちゃうし、その後の展開とも整合しなくなると思う」

「そうですか? 別に僕は通じると思いますけど?」

「通じるとか、通じないとか、そういう問題じゃなくてね。なんていうかな? 楡井くんの演技の変更がね、他のキャストのするべき演技に影響を与えるの。――そういうことをまとめるのが演出で……だから、楡井くんにもそういうところを分かってほしいの」


 落ち着け私。いくら態度が不遜でも、相手は一年生。私は先輩。演出。

 だから感情的にぶつかっちゃだめ。ちゃんと教えてあげないと。

 横から眞姫那が「だってさー。コウジくん」と野次を飛ばす。


「すみません。よくわかんないッス」


 不機嫌そうに腕を組んだ。

 また眞姫那が「わかんないんだってー。どうする、演出?」と茶化したような野次を飛ばす。

 視線を飛ばすと、眞姫那は首を竦めてみせた。「ごめん」て感じで。


「だからね、楡井くん。あそこはつっけんどんじゃなくて、相手のことを思いやりながら困ったような顔をするっていう部分だって――」

「じゃあキャストは自分で工夫しちゃだめなんですか? 自分でここはこのキャラクターこういう気持ちなんだろうなって、気づいて、思いついても、それを試しちゃだめってことですか?」

「――何て?」

「だから、そう思ったんですよ。コウジはあそこで、ユミコのことを本当は心配しているけれど、そういう感情とか全部相まって、つっけんどんに返してしまうんすよ。それがコウジなんすよ。多分」


 それは無表情に腕組みして話す彼からは少し意外な感じのする熱っぽい言葉だった。


 ――コウジの思い? 本当のところはどうなのだろうか?


 やり取り的に、ここはフラット気味に、そして小さな思いやりを込めて、ユミコを心配させまいとする言葉だと思った。脚本をちゃんと読んで、私はそう思った。


 宮藤先輩は、このコウジの台詞に何を乗せたのだろうか。

 ト書きには、何も書かれていない。


 正解は、――どこにあるんだっけ?


「……でも、そんなこと、楡井くん、この前まで言ってなかったじゃない? 先週のお芝居では、ここ、ちゃんと演出プラン通り、ユミコを思いやるような言葉だったよ? その時に、相談してくれたら、ちゃんと議論できたのに」


 彼はきっと遊んでplayいるのだ。演技playではなく。


 私たちのリベンジが掛かった、この舞台で。

 ブロック大会を抜けられなければ、府大会も、近畿大会もないというのに。


「いや、さっき思いついたんすよ。舞台の上で」

「――は?」

「だから、そう思ったんすよ。コウジってて、ユミコが来た時に、『もう、なんで来るんだよ』って。ユミコを心配しているからこそ、そのユミコを連れてきたユミコに怒ってしまうんすよ」

「……ユミコとユミコ?」


 一瞬、楡井くんが何を言っているのかが、分からなかった。

 でも、分かった。コウジのより深い心理について語っているのだと。


「――でも、演出プランには従ってもらわないと、周りだって困るし。きみの演技は他の人の演技に影響を与えるんだから」

「でも、川添先輩は問題なく対応してくれていたと思いますよ」


 視線をやると、眞姫那は口笛を吹いて視線を逸らした。


 たしかに眞姫那との掛け合いは問題なく成立していたと思う。

 むしろ「良く出来ていた」と言っても良いかもしれない。それなら――問題ない?


 いや、違う。問題ないわけがない。

 だって、ここでのコウジの思いは、その後の一つ一つの出来事に影響を与えていくはずだから。

 物語は登場人物たちの心情の変化を繋げていくことで生まれる。

 だから、そんな一時の思いつきで、演出プランを変更されては全体が機能しなくなってしまう。

 そう思う。きっとそうだ。それが正解のはずなんだ。


「それとも村越先輩は、キャストに自分が演じるキャラクターの心情を考えるなって言うんですか?」

「そんなこと……ないわ」


 それは、まるで詭弁だ。私はそんなこと言っていないし、言うつもりもない。

 キャストがそれぞれに考えて、それぞれの演技をしていく。そんなのは当たり前だ。


「じゃあ、気づいた心情の違いは、どこで表現すればいいんですか? 芝居中に気づいてもそれをその場でやらずに、後で先輩に相談すればいいんですか? なんかそれってバカバカしくないっすか? その場で演っちゃうのが一番わかりやすいし、早いじゃん。それこそ心情の意味なんて、やり取りまで含めてやってみないと、どうなっていくかわからないんだし」

「それは……そうかもだけど」


 確かにそうだ。そうなのだ。そうだけど。


「――でも、演出は私だし」

「コウジ役は僕ですよ」


 視線を逸らす。隣を見ると、あと二人の一年生が、怯えたような顔で、楡井くんのことを見ていた。

 高校の部活で、こんな感じで上級生に食ってかかるなんて信じられないのだろう。


 ――うん。ありえないと思うよ。


 私だってそれなりに先輩たちに意見は言ったけれど、これはなかった。

 さすがになかった。これは、失礼だわ。


「それでも私は、宮藤先輩が意図していたのは、そういう表現じゃないと思う。だから、演出としては、今まで通りの演技をお願いしたいの」


 怒鳴りたくなるのを、泣きたくなるのを、グッと堪えて、私は冷静に、言葉を絞りだした。


 どんなに生意気でも、相手は一年生の後輩なのだ。

 私は、この舞台をあずかる、演出家なのだ。

 でも楡井くんが口にした次の言葉は、そんな私の脳内を真っ白に吹き飛ばした。


「――その宮藤先輩って、……誰っすか?」


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